2013年8月17日土曜日


正直なところ“まだ”良く分からない

「天空の城ラピュタ」や

「ルパン三世カリオストロの城」みたいに
分かりやすくハラハラドキドキなストーリーではないし
「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」のように
強烈なキャラクターや
パワフルな場面に圧倒されるわけでもない

ファンタジックでもないけれど

リアリスティックと言うわけでもない
つかみ所が今ひとつ無いようでいて
だからと言ってつまらないわけではなく
何回も見たくなる要素が
あちこちに散りばめられている

でも思い返せば宮崎映画は

ワタシ的には“ジワジワ来る”ことの方が多かった

第一印象で言えば

「となりのトトロ」も「魔女の宅急便」も
あまりに淡々としていて
ラストのエピソードに盛り上がりが欠けていたし
「風邪の谷のナウシカ」は逆に
ラストがちょっとご都合主義的な気がした
「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」も
物語世界の異界性に比べ
ラストのカタルシスが足りなかった

でも最初気になるそうしたストーリー性の弱さは

何回も見ているうちに大した問題では無くなっていく…
というか
そういう終り方が相応しいように思えて来るのである
  
そうやって作品全体への思い入れや愛おしさは
次第に大きくなっていくというのが
ワタシの中の宮崎アニメ的な特徴だった気がするのだ
そもそもがたくさんの伏線を張り巡らして
ラストで全てを回収して観客を唸らせるという
そういう類の作風では無いのだし…

関東大震災の描写は明らかに

“「崖の上のポニョ」以降”を思わせる大胆なものだったし
田園風景や昭和初期の街並など
俯瞰が多用される絵の美しさは抜群で
それがまた時代の大きな流れを感じさせてくれた

アニメーション的にも

群衆の複雑な動きや飛行機の優雅な動き
主人公達の細やかで美しい所作も素晴らしかった

ここで味わうべきはたぶん

そうした作画や動きの美しさと実直さにも繋がる
“死ななかった人”あるいは“生き残った人”の
悩みつつ苦しみつつそれでも前を向いて
ひたむきに歩く姿なんじゃないかと思う
それも死者への思いをメインに描くのではなく
とにかく何があっても“今この時”を歩み続けた人々の姿だ

震災でも死者は描かれない

ただ思い思いに歩き続ける群衆が描かれるだけだ
戦闘機の残骸は描かれても死んだ兵士は描かれない
美しかった菜穂子は描かれても
衰弱しやがて死んでしまう菜穂子は描かれない

堀越次郎は見方によっては

エゴイスティックで人の気持ちがわからない
仕事中心の技術者に映る
でもそこに描かれる時代背景の暗い影を思うと
どうにもならない閉塞的な状況の中で
一生懸命生きる次郎の姿が浮かび上がって来る

彼はまるで関心が無いかのように

親友である本城のイデオロギー的な言葉を受け流す
彼は信念も主義主張も持たずに
自身の技術と夢だけで
時代に向き合って生きようとしているかのように見える

菜穂子は生きる望みの無い結核を患っている

次郎は一見菜穂子とは逆で
心身ともに充実し才能にも溢れチャンスにも恵まれ
夢に向かって迷い無く突き進んでいるように見える
でも実は彼も淡々とした振舞いの中で
不器用に時代と戦っていたのではないか

だから“今この時”を生きるしかない菜穂子は

彼にとって大事な大事な存在だったのではないか
だから全てを失ってしまった次郎の心を
癒すことができたのは
菜穂子だけだったのではないか
  
恐らく次郎と菜穂子も
菜穂子の死を覚悟していたのであろう
二人は結婚して共に暮らすこと
つまり“今を生きる”ことを選んだのだと思うのだ
だから二人が触れ合う場面は
悲しく美しく愛おしい
  
手を握り合うこと
軽くキスをすること
ぎゅっと抱きしめ合うこと
相手の懐に潜り込もうと身を寄せること
どれもが心に響く

そして露骨な“泣かせる場面”は排してあるから

どこで号泣というわけではないんだけど
逆に言えば全編に渡って
ずっと涙腺がジワジワと刺激されている感じ
これは何なんだろうと思ってしまう
  
いずれにしても
まだ観足りないということだろうな
感想も印象もまだまだ変わっていくことであろう
  
結婚式から初夜に至る場面と
菜穂子が疲れて眠ってしまった次郎に寄添う場面
良かったなぁ