2013年12月9日月曜日

名古屋“クリマ”の旅3 [クリマ・アップ編]

日曜日の朝
目覚めてみたら…前の晩より酷い頭痛であった…
眠れなかったわけではなかったから余計ショックが大きく
何をどうしたら良いか考えることができない

だから…“ドラマ”のように上手くは行かないのだ

かつて連日のように戦っていた“二日酔いシンドローム”である
頻度は減ったとは言え
一旦不調になったらコントロール不能なのだ

(残念だけど二日目は撤退だな…)


朝ご飯は食べずにホテルをチェックアウトし

な〜こは何とか少しでも名古屋を満喫しようと
「コンパル」で買ってきたエビフライ・サンドに
「あおなみ線」でさっそく齧りついていた
ごめんな…な〜こ

「金城ふ頭」で降りてもヨロヨロしていて

決断はしかねていたけど
現実的には撤収しかないだろうと
開場に着くまでずっと思っていた
 
ただ一つ気にかかっていたのは
ワタシが撤収するとそこに空きスペースが出来てしまうこと
そうすると色々なブースがひしめき合う
賑やかなイベント会場に水を射してしまう気がしたのだ
もちろん実際はワタシのブース一つごときで
何がどうなるはずも無いんだけど
主催者に対してこれはとても申し訳ない

さらにワタシが参加したことで

参加できなかった団体が居たんだってことも考えた

そんなことを思いながら
開場入口を抜け
フェスティバルの空気に触れた瞬間

「やれるだけやるか…。」


という言葉が口をついて出た


「そうする?」


な〜この声が弾んでいた

このまま撤収して
すぐの新幹線に乗って東京に戻ったら

「じゃあ休むから今日はバイバイね…」


っていう展開も

きっと覚悟していたんだろう
ごめんなぁ

と言っても何か目算があったわけではない

体調に好転の兆しを感じていたわけでもない
最悪な〜こにブースにいてもらって
ワタシはまた苦痛に耐えつつ徘徊するか
休憩所でうずくまっていることになるかもしれない…

そんなことを思って

さっそくちょっと徘徊していたら
紙コップ式の自動販売機を見つけたのだった
そこには冬場になると普通の自販機では買えなくなる
“アイスコーヒー”があったのだ

ちょうど一ヶ月程前に

第二画集の打合せでデザイン会社の方と会った時
絶不調をアイスコーヒーで乗り切った記憶が甦る

100円でアイスコーヒーを買い

アイスが溶けていくのを待ちながら
自販機そばのソファでゆっくりと一杯飲む
するとほんの少し不快感と辛さが弱まった気がした

これをきっかけに

何と不調が次第に回復していたったのである!
まるで“ドラマ”のようだ
“最後まで諦めない心”とかいったものの成せる業とは
死んでも思わないけど
”はワタシを見捨てなかったのである

二日目はお客さんも大勢立ち寄ってくれた

第一画集と第二画集を二冊セットで買ってくれた方もいた
テンション急上昇であった
ポストカードも今回は遠征料込み価格150円だったけど
それなりに売れてくれた
ブースの賑わいぶりという点でも
初日で撤収しなくて本当に良かった

ワタシはフードコートで

「ジャンクうどん」と「カレーうどん」を食べ
さらに少しずつ復活することができた

 半病人というか病み上がりというか…ヒドイ顔である

ありがたい風景である

そうやって二日目午後にはヨレヨレながらも

お客さんとのやり取りも楽しむことができたのであった
「妄想画廊」と読み間違えた人が二人もいたし

こうして二日間に渡るサバイバルな格闘を繰り広げた

ワタシの「クリエーターズマーケット」は終った

な〜こは二日目に復活し最後まで出展できたことを

とても喜んでくれて
一生懸命片付け作業も手伝ってくれたし
電車の時間を調べたり
新幹線の切符を買ってくれたり
そこで食べる駅弁を買ってくれたりした

な〜このお陰でワタシは

絶不調にも関わらず何とか参加を断念せずに
結果的に回復にこぎつけることができたのだった
一人だったらもう
どうして良いかわからなかったろうし
実際どうなっていたかも分からない
あの状態では会場にすら行けなかったかもしれないしなぁ

赤字必至な無謀な計画であったかとも思ったが

イベント自体は参加して楽しめたし
ワタシの絵はここでもある程度
人の目を魅くことが出来たという自信にもなった
でもすべてはな〜こが居てくれたからである
あたらめて彼女がとても大切な人だということを
実感した旅であった
苦しい時ほど大切な人が分かるのだ

な〜こには満足いかない旅になってしまったろうけど

そういう意味ではワタシには
大変ドラマチックで満足な三日間であった
今にして思えば…だけどね
  
そしてもちろん
肝に命じておかなければならないのは
アイス入りアイスコーヒーは万能ではないということ
そしてそれでもできれば常備携帯して
備えておくべきものだろうということであった