2017年5月18日木曜日

トランプ大統領があぶり出すもの

トランプ大統領が攻撃されるのは、
スキャンダラスな話題云々よりも、
何よりもまず、
これまでの大統領のような、
オモテウラのある振る舞いをしないからである。
例えばメディアを信じず、逆に非難するばかりで、
馴れ合い、上手くやっていこうともしない。
やり方が下手と言えば下手なのだが、
そういう癒着がたぶん、面倒くさいんだろうと思う。

そのトランプ大統領が、

人としてどうかとか、大統領としてどうかとか、
そういうことは別にして、
その存在が静かに照らし出しているものが
どうも気になるのである。

一言で言えば、

〝自分の主張を疑わない人々の恐ろしさ〟
みたいなものだ。

〝民主主義〟とか〝自由〟とか〝平等〟とか

いわゆる「先進国」では、
「正義」であると信じられていることを笠に着て、
ひたすら相手を攻撃する姿勢。
絶対に安全な立場(だと思いこんでいる場所)から、
容赦なく相手を痛めつける姿勢。

嘘つき呼ばわりされたメディアがトランプ批判をする時、

あるいはセレブたちが反トランプ的コメントをする時、
冷静を装えば装うほど、
なぜかそういう
〝自分の立場の正しさを露とも疑わない人たち〟の
いやらしさや恐さみたいなものを感じてしまうのだ。

これは、ほかの大統領の時にはなかったものである。


そして、この感覚って何かに似ているなと思った。

そう、テロ絡みで世界で問題になっているが、
そもそもテロとは無関係に存在していた
キリスト教文化のイスラム教文化に対する抑圧に
とても良く似ている気がするのである。

かつて資本主義国は、自分たちが

共産主義国よりも優れていると思っていた。
今は、キリスト教文化国が、
イスラム教文化国よりも優れていると思っている。

それはもう当たり前のように刷り込まれているので、

キリスト教文化という視点で見ていることも忘れている。
あるのは「正義」という視点だ。
日本人だって他人事ではない。
欧米諸国の文化的影響を受けているから、
キリスト教には馴染みがあってもイスラム教には縁遠いのだ。

その結果、イスラム教に無言の圧力をかけ、追い詰め、

〝窮鼠猫を噛む〟的に反撃をされると、
(そうするように仕向けているのかもしれないが)
テロリズムだと言って、さらに強力に弾圧する。

ああ、こういうの学校のイジメとかでもあるな。

イジメとは言えないような軽い嫌がらせや無視をくり返し、
相手を精神的に追い詰め、キレさせ、
ぼくたち/わたしたちは何もしていないのに、
突然暴力を振るわれたとか言って被害者ヅラをするという。
そして
「多少のいざこざはあったかもしれないが、
 とにかく暴力はいけない」
の一点で
イジメられた方が重く処罰されてしまうという図式だ。

選挙戦の時もそうだったが、

メディアが騒いでいるほどには、
今でもトランプ大統領は嫌われていないと思う。
既存の権力や手順を無視しているので、
危なっかしい舵取りであることは確かだが、
結果的にトランプ大統領は、
〝正義を振りかざす恐さ〟をあぶり出している気がする。