2009年2月27日金曜日

真夜中の断薬決断

今夜中の2時半。不眠症ではない。iPodに残してあった「NHKスペシャル『うつ病治療 常識が変わる』の前半部分を見て、いろいろ考えてしまったからである。まぁ例の頭痛が治まらないのもあるんだけど。


病休前の切迫した精神状態は普通ではなかったし、それは行動にも現れていた。その自覚もあった。とにかく休みたかった。現場から離れなければと思った。離れたいわけではないが、続けられないと思った。

診断名は「適応障害」だった。うつ的症状や不安症状を示すが、ストレス要因が明確な場合の精神障害だ。確かに職場で抱えていた仕事や課題は、完璧を目指すわたしの処理能力を超えていたのだと思う。具体的な大きな原因が見当たらないにも関わらず、病休前後の、職場への強い拒否反応を示していたのは、そのためだと思う。加えて長年積み重なってきた精神的・肉体的ストレスが大きかった。

どちらにしても職場、あるいは学校に対して、極度に拒否反応を示しており、それに関係すること、例えば職場とのやり取りとか、職場へ行くときに使っている電車だとかが、精神的な不安定さを引き起こした。

もちろん病休直後は、自己嫌悪、自己否定感が強かったが、それは与えられ期待された仕事を放棄してしまった、迷惑をかけてしまったという罪悪感や、社会人としてきちんと働けないという自己評価の急激な落ち込みによるものだった。

しかし、思い起こせば自殺念慮は一度として浮かんでこない。理由もなくうつ状態になることもまれだ。不安定になる時は、それなりの理由があった。食欲も落ちない。彼女ともくっつくのは大好きだ。

問題は睡眠と頭痛&吐き気だ。しかし睡眠が安定しなかったのは、4月以降の立場が決まらなかった時期だ。精神的にも不安定だった時期だ。睡眠薬が処方されたのはその時期。今は倍になっているが、驚くほど効いているという実感はない。むしろ4月以降の件が片付いて、今はかなり精神的にも安定しているから、睡眠薬はいらないんじゃないかと思うくらいだ。

そこなのだ。考えたのは。
   
結局「適応障害」であるなら、期限付きであってもストレス要因はなくなっている。期限もあってないようなものだと今は思っているから、かなり気が楽になっている。だからブログを増やしたり、サイトを立ち上げたり、積極的に何かを始めよう、何かに打ち込もうという気になっている。

明確なストレス要因がなくなったとすれば、もう「適応障害」ではないんじゃないか。
診断名は「うつ病」に変わったが、ぜんぜん「うつ病」でもないじゃないか。

そこで、すべての薬を飲むのをいったん止めてみようと思う
    
抗うつ剤、抗不安剤、催眠剤、睡眠薬すべてだ。その時、何が問題なのか、そうでないかが、少しはっきりとすると思うのだ。だって、考えてみたら、取りあえず飲んではいるけど、効果を実感した薬はないんだもの。「適応障害」でも「うつ病」でもないなら、薬を飲むのは副作用のためだけになってしまう。

むしろ今大切なのは、長年たまってガタがきている身体をきちんと治すことだろう。もっとはっきり言えば、きちんとカイロプラクティックに通って、身体の不具合を矯正してもらうことだろうと思うのだ。

したがって、明日から薬は飲まない
そして明後日は必ずカイロプラクティックへ行く

様子がどう変わるか、また逐次報告して行きます。
ジェロ先生、ごめんなさい。
  
   

2009年2月21日土曜日

「クローバー・フィールド 」と新怪獣待望論

久しぶりに東宝「ゴジラ」(1954)と大映「大怪獣 ガメラ」(1965)を観た。圧倒的に「ゴジラ」がよかった。脚本に無理がない。救いのない悲劇である。「大怪獣 ガメラ」はかなりご都合主義、そしてすでに東宝のお家芸になっていた、日本主導で世界が動く図が繰り返されている。対して「ゴジラ」は基本的に個人の物語である。個人の命をかけた葛藤の物語。重みが違う。

そこでさらに感じたのは俳優人の違い。「ゴジラ」は「七人の侍」の志村喬(山根博士)、河内桃子(山根博士の娘)、宝田明(山根博士の弟子にして河内桃子の恋人)、平田昭彦(山根博士の弟子、芹沢博士)、そして「七人の侍」の志村喬。それぞれの思い、対立、決意に説得力がある。河内桃子可愛いし。

対する「大怪獣 ガメラ」は船越英二(日高博士)、山下洵一郎(新聞記者)、霧立はるみ(日高博士の助手)。演技が軽い。それぞれの関係も薄い。霧立はるみ可愛くないし。

特撮場面はやはり、人間ドラマがいかに丁寧に作られているかにかかっている。平成ガメラシリーズの成功は、特撮の技術、怪獣の演出の素晴らしさに加え、人間ドラマの質の高さが大きい。

その後で「クローバー・フィールド HAKAISHA」(2008)を観た。自由の女神の頭部が投げ飛ばされるような一見派手なイメージが先行していたが、実は俳優の演技が核となっている。極めて個人的な体験として映画は描かれる。“博士”も“新兵器”も現れない。

そして怪物もほとんど全貌を現さない。ひたすら逃げる主人公たちの、目の前に死が迫る恐怖と、人の死に直面した心理的葛藤が描かれる。だから逆にわずかな怪獣登場場面が活きる。

ハンディカメラ風の映像作りや、救いのないストーリー、解かれない謎、カタルシスのない結末は賛否が分かれるところだろうけれど、「なかなか全貌がわからない、見たこともない怪物」の登場と脅威が、この主人公たちの「訳の分からない恐怖に巻き込まれた」というリアリティを与えている。一市民にとって全貌を知ることは無理なのだ。だからこの映画、わたしは好きなのだ。

次の日本怪獣映画が作られるとしたら、ぜひ「個人の人間ドラマ」をしっかりと作り込んだ上で、既存の怪獣に寄りかからない、「新しい怪獣・怪物」を登場させて欲しい。既存の怪獣を使い回しているうちは、その枠から外へは出られない。

2009年2月18日水曜日

診断名〝うつ病〟

今日のジェロ先生とのやりとりはこんな感じ。

「良く眠れるようになりましたかに〜?」
   
「前よりは。でも一回は起きちゃいますね。
 眠るって言うのはこんな感じなんだっていう
 感動はなかったです。」
   
「それじゃあ、ちょっと睡眠薬増やしてみますか
 それから適量を決めていってもいいわけですし。」
   
「はい、お願いします。」
   
「食欲はどうですか?」
   
「正月に体調崩した後は、ちょっと落ちてるかなっていう感じです。」
   
「外には出られてますか?」
   
「ちょっとした買い物には出るようにしてます。
 ただ、ちょっと遠出してみたら、やっぱり体調崩れました。」
   
最後に4月からの「病休更新願」を出す上で、
医師の診断書が必要だと言うことで、今日診断書をお願いした。
そして取りあえず
4月〜6月の3ヶ月の休養が必要という診断を出してもらった。
   
そんな感じで診察は終わり、
窓口で他の書類と一緒に渡された「診断書」には
「病名:うつ病」と書かれていた。
   
うわっ、聞いてないし。
ちょっとびっくり。

(ジェロ先生の字は信じられないくらい汚い)

でも本人が明確なストレス要因を意識していなくて、
これだけ長く復帰の気持ちが出てこないというのは、
「適応障害」とするのも限界なんだろうなと思った。

自覚症状としては何も変わっていない、
というか「病休更新」のやり取りが辛くて
一時期心身共にガタガタするだけで、
総体的には安定してきている。
  
それは自分がいないことを前提にもう職場は動いている、
と思えるようになったからだ。
もちろん体調が悪いのは確かなので、
体調面だけでも復帰は難しいと思うけど。

以前「うつ病をなおす」
(野村総一郎、講談社現代新書、2004)を呼んだ時、
  
「わたしは『ひどくはないが、慢性的なうつ状態がずるずると続く』ところは『軽症うつ病』の“気分変調症”っぽいし、『強い不眠、食欲不振がなく」常にうつ状態が持続しているわけではない』点では『非定型うつ病』」かなという感じがした。」

と書いた。

しいて言えば『否定形うつ病』に近いのかな。
いや、やっぱり「教育現場」への「適応障害」だと思うなぁ。
そこと接点をもたなければならない時だけ、
特に不安定になるんだから。

今日午前中の診断が終わるとすぐに、
職場へ「診断書」と「休職願」を出した。
それだけでずいぶんと気持ちが楽になった。

がんばったよ。
  
  



2009年2月16日月曜日

「イバラード」という世界

宮崎駿の「耳をすませば」という作品で主人公の月島雫(しずく)が、バロンに連れられて、色鮮やかな世界に飛び出す場面がある。スタジオジブリ的な世界に馴染んでいて見過ごしがちだが、そこに使われていた風景は井上直久という作家によるオリジナル世界「イバラード」だ。
  
  
井上直久は、高校の美術教師として19年間教壇に立ちながら、「イバラード」という空想世界を作り上げた。平行してマンガ家、イラストレーター、画家として活動しており、自ら作り上げた「イバラード」世界を、マンガ、文章、絵画、CD-ROM、DVDなど、様々なメディアを通して作品として発表している。

彼の中では、「イバラード」という空想上の世界が、細かなところまで作り込まれている。マンガを見るとそれがわかる。あるいは絵に添えられたコメントからもうかがえる。彼は「イバラード」の風景を描くだけではなく、「イバラード」という世界を表現したいのだ。

しかし「イバラード」の世界のしくみを詳しく知る必要はない。様々な場面で「イバラード」世界が解説されるマンガにも、正直なところ魅力は感じなかった。逆に、細かな設定を知ることで、世界が限定され絵の魅力が損なわれることだってある。
「イバラード」は、その絵が持っている幻想的なパワーに浸れればいいのだ。どこか懐かしく、気持ちが穏やかになれる世界。その絵を見た人が自分のイバラードの世界を思い描けばよい。その世界に一時入り込み、自由に飛び回れればよい。その壮大な景色、幻想的な光の乱舞を眺めて、ぼうっと時間が経つのを忘れればいい。


久しぶりに「イバラード博物誌」(架空社、1994年)を開いて、別の時間の流れを感じることができたのだった。

あぁこの絵に描かれている小さな家に行ってみたいなぁ。

   
   
   

2009年2月15日日曜日

「トイザらス」の“ら”

オモチャ総合店の「トイザらス」が比較的近くにある。「ら」だけひらがな。これは英語で「TOYS“Я”US」、あるいはTOYSЯUS」と表記するところからきてるのだろうな、と言うことまではわかる。
じゃあこの“Я”って何よ?と考えたわけだ。散歩中に。ちなみに今日は花粉が飛び始めたらしく、目と鼻がクシュクシュになりながら。

で思っ
たのが、これは“強調”なんだと。デカイし☆入っているし。Rの発音は「アール」だけど、実際は「アー」に近い。っていうことは、Rを前後から切り離して「アー」と読めば、「トイズ・アー・アス」となる。

TOYS
“Я”US = TOYS R US = TOYS ARE US

つまり「Toys are us.」(オモチャと言えば私たちのことですよ。)と、オモチャが主張してるような文章になるってワケなのだ。「オモチャっていうのはこのトイザらスに置いてある私たちのことを言うのよ」=「トイザらスに来ればどんなおもちゃだってあるのよ」と、オモチャが宣伝しているのだ。ケナゲだ、違うか。

もちろん実際の発音は“
トイザラス”なんだけど、そういう隠れた意味がこの表記にはあるってことなのだ。
アメリカっぽいユーモアのある社名ロゴ。でも日本語の「トイザらス」じゃ、それは伝わらないんだけどね。
むしろわたしは「ザらス」から「〜ザウルス」っていう恐竜や怪獣のイメージが浮かんでた。だからつい最近まで「トイザらス」のキャラクターって、かわいらしい恐竜だと思ってたのだ。でも実際は★模様のついたキリンさんでした。すまん、キリンくん。

2009年2月14日土曜日

my 音楽歴 <1990年代〜2000年代>

1990年前後にバンドブームがあって、そこからそれまでにない個性豊かなバンドが生まれた。多くはバンドブームが去ると同時に消えていったけど、なんと1990年代のわたしを支えてくれたのは「筋肉少女帯」と「人間椅子」なのである。どっちも暗くてうひゃ〜って感じ。

「筋肉少女帯」は大槻ケンヂ率いるロックバンドであるが、上手いとは言えない(特に初期はただただ怒鳴っていた)大槻の歌う幻想的、耽美的、自虐的、逃避的、絶望的な詞、そこに被さる超絶ギターを核としたハード&プログレッシヴな演奏が、何度も何度もわたしを救ってくれた(写真は『月光虫』)
  

大槻ケンヂの詞は「大槻ケンヂ全詩歌集 花火」(メディア・ファクトリー、2003年)で読める。でも曲として聴かないと世界が伝わり切らないけど。

人間椅子」は「新月」は「孔雀音」とはまたまた違った日本を感じさせる唯一無比なバンド。文学的な詞、地獄の闇からクトゥルー神話に至るまで描かれる広く、多彩な世界、そしてヘヴィーなサウンド(写真は「人間椅子」

海外のプログレやワールドミュージックブームもあって、ジプシー・キングスなんかにものめり込んでいたから、暗い暗い時期では全然なかったけど、音楽に救われることを実感したなぁ。


そして2000年。2000年代の支えは「椎名林檎」と「柴草玲」。正反対の二人。「椎名林檎は」飛び抜けた個性。独特な歌詞と硬質な声。何を歌っても歌が上手い。そして初期の巻き舌唄法から、次第に自然な歌い方になってきたけど、世界は深くなった。そしてバンド演奏は超テクニカル(写真は『勝訴ストリップ』)。
「柴草玲」はピアノ弾き語りを中心とした演奏をバックに、思うようにいかない大人の恋の世界を切なく、そしてさらりと歌う(写真は『うつせみソナタ』)。彼女のほどすうっとココロに入ってくる歌はない。面白いことに、たまたまケーブルテレビのBGMで流れていたのを、これは!と思って書き留めた名前が彼女なのでありました。
こうして今の音楽の砦があるわけです。

こんな風に自分の音楽歴を振り返ってみるのは初めてで新鮮。まぁ節操がないというか、本流から外れたところに行ってしまうというのが、サガでしょうか。

でも、時期的にはそろそろ次の10年の音楽が現れる頃かな。


my 音楽歴 <1970年代〜1980年代編>

わたしにとって音楽が特別な意味を持ち始めたのは、1970年前後からかなぁと思う。その前にグループサウンズブームがあって、学校の男子の間でタイガース派(やや不良系)とブルーコメッツ派(まじめ系)があった、みたいなことは何となく覚えている。

その後に「赤い鳥」が自分で買った最初のLPだ。1973年の「美しい星」というアルバムだった。「赤い鳥」はフォークブームに乗って出て来たグループだけど、四畳半臭さがなく、大人の世界を感じさせてくれた。男女コーラスというのも面白かったし、若々しさと親しみ易さがあった。

「翼をください」で有名だけど、「河」の雄大なイメージ、「忘れていた朝」の「忘れた朝を、二人ここで見つけたよ」というフレーズの新鮮な感覚、「窓に明かりがともる時」の、自分の帰りを待っていてくれる女性へのあこがれ。今でもじ〜んときてしまうなぁこの曲は。

でも同じ1973年に最初に買った洋楽のLPは、ピンク・フロイドの「狂気」なのだ。バリバリのプログレッシヴ・ロック。素人がいきなり最前線突入みたいな。そして海外のプログレバンドに興味が移っていくのでありました。だから1970年代は「赤い鳥」とプログレの時代。われながら、スゴイ組み合わせだこと。

1980年代はテクノ、ニューウェーヴが出て来て、一応YMOとかも聴いたけど、あまりアルバムを追いかけることはしなかった。海外では1970年代後半に出て来たパンクロックの直撃を受けてプログレは不毛な時代。
ところが日本では、例外的にプログレッシヴ・ロックグループの活動が活発化した時期だった。だからわたしにとって1980年代は、日本産プログレの時代。

「ページェント」、「アウターリミッツ」、「美狂乱」「フロマージュ」、「孔雀音」
「高円寺百景」、「プロヴィデンス」、「ミスター・シリウス」、「ヴィエナ」…、良く聴いたなぁ。
    
「フロマージュ」は、ビルの夜間警備のバイトしてた時に、応接室にあるステレオデッキに、持ち込んだテープ入れて、夜中に大音量で聴いたこともあった。17分の大曲「月に吠える」が好きだった。

いやいや、仕事中なのに加えて、会社の私物を勝手に使うとは、ヒドいバイトであいすみませぬ。

「夕霧楼の幻想」孔雀音

「夕霧楼の幻想」は日本のバンド孔雀音(くじゃくおん)が1985年に発表した唯一の作品である。本作はオーディション用デモテープとして、ミックスダウンも含めて12時間程度という超短時間で作られたという。ほとんど一発取りでの録音だと思われる。
結局デモテープはレコード会社では採用されず、自主制作カセットレーベルから発売され、バンドは解散する。このカセットは1990年にCD化された。
   
   
 石川 真澄:キーボード
 松本 元昭:ギター
 武士 守広:ベース
 加藤 史朗:ドラムス
 小塚  靖:ヴァイオリン
 延上真麻音:作曲

孔雀音の第1の特徴は、ヴァイオリン主導型のジャズロックバンドであること。当時日本ではやはりヴァイオリンを大胆に取り入れたアウターリミッツが存在したが、アウターリミッツがボーカルを入れたシンフォニックな作風であったのに対し、孔雀音は完全なインストゥルメンタルのジャズロックバンドであった。

第2の特徴は、演奏メンバーではない延上真麻音という作曲家が全曲作曲しており、それを演奏するために集められたスタジオミュージシャン集団であるという点。延上はマハヴィシュヌ・オーケストラなどの影響を受けていたといわれるが、そういう点ではアドリブ、インタープレイで押すバンドではなく、構築型のジャズロックである。

第3の特徴は、日本的な情緒を感じさせる作風であること。メンバーはスタジオミュージシャンだけあって、演奏技術は素晴らしい。一曲目
「エリクシール」でいきなり始まる緊張感溢れるユニゾン、そのまま曲へ流れ込み、ドラムスとベースのスピーディーで的確なリズムの上で繰り出される伸びのあるヴァイオリンの音のカッコ良さ。

しかし、そうしたテクニカルな魅力もあるが、曲によっては幻想的な雰囲気を漂わせたり、少しコミカルなアレンジがあったり、雅楽的な音が使われたりすることころに個性が見られる。むしろテンションの高い曲よりも、表現力豊かな繊細な部分が活きる楽曲と演奏の方が本領なのかと思われる。

特にうねるベース、そして歌うヴァイオリンが、何とも言えない色っぽさを醸し出しているのだ。作曲の時点で日本的な旋律が意識されていたと思うが、そこにこの色っぽさ、艶っぽさが加わることで、まさにタイトルの「夕霧楼」的な妖しい世界が顔を見せる。
ほとんど裏方としてサポート役に徹しているキーボードやギターも、ここぞという場面ではジャズ指向の強いアドリブを繰り出し、細やかで堅実なプレイを見せる。

ちなみに「夕霧楼」とは水上勉の作品『五番町夕霧楼』に出てくる京都の遊郭の名前。「新月」は日本的な闇の世界を作り出したが、それとも違う日本的世界が見え隠れする。

曲によってはアレンジの詰めが甘いかとか、音のレンジが狭いといった音質的な問題とかを差し引いても、素晴らしい作品だと言える。音がむやみに厚くなっていない分、個々のプレイの面白さが聴き取れるのもよい。

ぜひきちんとしたプロデュースと十分な時間をかけて、正式なアルバムを残して欲しかった、日本的情緒を表現できる希有なバンドの、貴重な作品である。アルバム入手が困難なことが最大の難点だが、敢えて紹介するのは、このまま忘れ去られるには実に惜しい音だからだ。
 
ぜひ再発を望みたい。
   
   
 

2009年2月12日木曜日

同僚からの〝ずる休み〟メール

久しぶりに職場の同僚からメールがあった。
 
「今日は授業がない日だから〝
ずる休み〟して
 自分の住む界隈を見て回って、一人ランチを食べたました」
   
という報告だった。

うれしくなってしまった。
気にかけてくれてるんだなぁ。
でも何も聞かないし何も伝えようとしないで、
ただお散歩の話をしてくれている。

思えばその人のおかげで、
病休までは大きく崩れずに何とか仕事をこなしてこれてたんだと思う。
急なお願いもたくさんしたし、相談相手にもなってもらった。

さりげなくいろいろと気遣ってくれた。
社会人として働いた経験があるのに、
教員としては初任者だから、
辛い思いもたくさんしているだろうに、
それを見せることはなかった人だ。

復帰する気持ちにはなれないし、
実際カラダも思うように動かないけれど、
そういう人とつながっていられたことは幸せなこと。
職場との間の緩衝材のように、
職場を思う時の辛さを和らげてくれる。

本当に本当に感謝しております。
  
  

2009年2月9日月曜日

異端のウルトラマン「ウルトラマンネクサス」

国内のウルトラマンシリーズなのに、兄弟にも入れてもらえず、放映時も子供からの指示を得られず、途中で打ち切られてしまったという悲運にして異端のウルトラマン、それが「ウルトラマンネクサス」だ。2004年〜2005年に、土曜の朝7:30〜8:00という無謀な時間帯で放映された。

見る側にとっては土曜なのに早起き、制作する方にとってはゴールデンタイム枠ではないから低予算という悪条件の中スタートした「ネクサス」は、映画「ULTRAMAN」と世界観を共有するなどユニークな設定であったが、まず最初のエピソードが暗かったことで子供の関心を掴めず、一緒に観ていた親の反感を買ってしまった。

当時私も世間の反応が知りたくてネットで見て回ったが、「親子で見る番組ではない」「期待してたのにガッカリ」「暗くて子供が怖がる」みたいなコメントが多かったのを覚えている。

  
   
まず全体としてストーリーが子供向けではない。毎回読み切りではないので、ストーリーの展開を予測したり、関連づけたりと、大人の楽しみ方が要求される。そしてビースト(この世界では“怪獣”とは言わない)の気持ち悪さ、ナイトレーダーと呼ばれる対ビーストチームの暗さ。この暗さはリアルさとも言えるのだが、子供には受けないだろう。

そして問題の最初のエピソード。ウルトラマンにならない主人公の恋人を襲う異変。部屋に貼られた不気味な絵。家族との団らんが瞬時に崩壊する妄想。そして実は彼女はすでに死んでいて、操られていたという事実。観ているこちらにトラウマが残りそうなスタートだった。
しかし、確かに低予算なのかなと思わせるような、セットの貧弱さやビーストの使い回しなど、ウルトラマン vs ビーストの対決場面には物足りなさはあったが、先の読めない展開、謎の多いストーリー、他のウルトラシリーズにはない印象的な場面など、大人の番組と割り切ればとても楽しめたウルトラマンだった。ウルトラマンになれる人間が変わるというのも斬新だったし。毎週欠かさず観ちゃいました。

予定に反して途中で打ち切りになっても、最後なんとかすべての謎を解いて話を終えることができたときは、スタッフの方々に感謝してしまったくらいだ。だから次の「ウルトラマンマックス」、「ウルトラマンメビウス」はもう物足りない。色々工夫しているのは分かるけど、基本は「ネクサス」以前に戻ってしまったからね。

異端のウルトラマンネクサス。でも唯一、大人の鑑賞に耐えうる“ドラマ”としてのウルトラマンになった作品。今では映画で当たり前になってしまったが、初めてCGでウルトラマンの格闘場面が描かれた作品でもある。カルトな人気を持つというのもよくわかる。

ただし「マックス」のミニチュアセットは実に良かった。それもセットの奥にマックス vs 怪獣を置いて低い位置から撮る場面が多く、ミニチュアワークの素晴らしさにワクワクしてしまいました。ああ懐かしい。

    
  
(写真は上がガチャガチャフィギュア「ウルトラマンネクサス」、下がチョコエッグ系フィギュアで敵役の「ザギ」。ザギのデザイン好きなんです。このフィギュアもガチャガチャより小さいのにいい仕事してますね〜。)

2009年2月8日日曜日

「ハイヌミカゼ」元ちとせ

「ハイヌミカゼ」は言わずと知れた元ちとせの2002年デビューアルバムである。同年の日本レコード大賞でベストアルバム賞を取ったほど有名な作品。

もともと三線と島唄を習い、高校3年の時に「奄美民謡大賞」を受賞するなど、歌の才能は秀でていたのだろうけど、歌手デビューを目指して上京したのが1998年とのことで、苦労と苦悩の日々があったのだろうと思う。

今でこそ“百年に一度の歌声”というように言われてりしてるけど、彼女の民謡調のコブシをポピュラー音楽の中でどう活かすかは、なかなか難しい課題だったと思う。このアルバムはそんな格闘の結晶であり、彼女は独特なコブシを殺さずに民謡ではない歌を歌った。新しい歌だった。

鼻にかかった声も柔らかだが、声そのものに力があるというよりは、あのコブシと一体となった時に、コブシの鋭さと声質の甘さがうまくブレンドされて、魅力を発揮するのだと思う。

   
   
歌手として聴くと、こうした素材の素晴らしさは一品なのだが、それはまた歌の表現力とは別だ。まだまだ技巧的な上手さは感じるけど、情感の入り方とコブシがうまく融合できない。だから彼女の歌う歌はある程度の曲世界からなかなか外に出て行けない。

そのため彼女の魅力を最大限に引き出すには、そのための曲が必要なのだ。最高の彼女の力を堪能できる曲。わたしにとってそれはこのアルバムに収録されている「ワダツミの歌」と「ハイヌミカゼ」である。

曲調もアレンジも似ている。ボーカルを活かしたバックの少ない音、ゆったりとしたレゲエ調のリズム、リズム感豊かなドラムス、ボトムで心地よく動くベース。どちらも先日亡くなられた元レピッシュのキーボードで、元ちとせのプロデューサーであった上田現の作詞作曲。他のアルバムも好きだし、かなり気に入った曲もあるのだけど、この2曲は別格。大きな力に抱かれるような安心感と癒され感、そして焦がれる思いの激しさが力を与えてくれる。

足取り重く仕事に向かう時、何度この2曲に助けられたことか。
もちろんアルバムとしても傑作。

2009年2月7日土曜日

「Sink」 いがらしみきお

「Sink」(いがらしみきお、竹書房、2002年、2005年)は、いがらしみきおが“構想20年、執筆4年”という膨大なエネルギーを注ぎ込んで作り出したホラーマンガの傑作である。あの「ぼのぼの」のいがらしみきおである。
   
   
『いじめる?いじめる?』のシマリスくんが出てくる「ぼのぼの」である。今はもう言わなくなったけど。実は相当強いヤツだということがバレてしまってるからかなぁ。「ぼのぼの」も大好きで、今出てる30巻まで全巻揃っているくらいなのだが、ギャグマンガ的な装いを持ちながら、結構任侠的だったり哲学的だったり、奥の深さがまた魅力。様々なキャラクターも出てきてそれぞれ独特の個性を発揮する。

「ぼのぼの」の話ではなかった、「Sink」だ。これは当初ネットで連載されて話題になり、それが2005年に完結、全2巻として発売された。まずページをめくって驚いた。絵のタッチがまったく違う。「ぼのぼの」の線の細い絵からは想像もできない陰影の深い不安をかき立てる絵。

漫画的とも劇画的とも言えない不思議なタッチ。そして日常の中に少しずつジワジワと現れる怪異。気づかないところで進行している何か。理由のわからない恐怖がしだいに大きくなっていく。
でもどこか「ぼのぼの」が持っていた、ワケの分からないモノへの関心や恐怖などにつながっている気がする。そこだけ抽出して純粋培養してできあがった、いがらしみきおワールドだ。

   
   
単に怖がらせるだけのホラーでもないし、怪物や殺戮者に追われるというような分かり易い構成でもない。でも「世界の根本的な何かが崩れて行く」という恐怖や不安を味わえる作品だ。凄いとしか言いようがない。
なお2007年には「モダンホラー傑作集ガンジョリ
」というホラー作品も出ている。こちらは短編集なので、より直接的に怖い。

しかし読むなら「Sink」が先だ。
今不安定なわたしが読むべき本ではないかもしれないけど。

超疲労感急襲!

朝からちょっとダルいなと思いながら用事があって外に出たら、
途中で立っていられないくらいカラダがダルくなってしまった。
本当に膝から下に力が入らない。
座り込んだら立てなくなりそうな感じ。

朝ご飯も一応食べているのに、
電池が切れたように動けなくなりそうになった。
前もそういうことがあって、
取りあえず目の前に会った自販機で缶コーヒーを飲んで、
血糖値を上げエネルギー補給した気持ちになって、
何とか家までたどりついた。
   

   
ところが、今日は見渡したところに自販機がない!
この自販機だらけの日本なのに。なぜ今ここにないのだ〜!
ヨタヨタと自販機を求めて、取りあえず家に帰る道を歩き、
やっと発見。
本当はアイスコーヒーが欲しいところだが、
冬だから普通の缶コーヒーでガマン。

冷たいコーヒーを一気に飲み干し、一息。

また血糖値を上げエネルギー補給したと自分に言い聞かせて、
家までがんばった。

運動不足というのとも違う。貧血でもない。
パニック障害とかいう感じでもない。
急に襲ってくる超疲労感。

   何でしょうかこれは。
  
  

2009年2月6日金曜日

「スモールプラネット」 本城直季

競馬場の巨大なジオラマ(ミニチュアの立体模型)セットの写真に小さな文字で small planet naoki honjo とだけ書かれた繊細で美しい表紙。

ん?ジオラマでこんな巨大で精緻なセットが組めるか?合成写真か?とよくよく見ると、これは現実の写真なのだ。ジオラマ風に見えるのは、撮影者の技術とセンスによる新しい写真のカタチなのだ。

「スモールプラネット」(本城直季、リトルモア、2006年)は話題になったこともあってその存在は知っていたし、興味もあった。でもなかなか本屋に行って探そうという余裕もなく、写真集だからネットで注文するのではなく実際に手に取って中身を見てから買いたいという気持ちもあった。

   
    
そうしているうちに時期を逸してしまって、もうこの本のことも忘れていたのだが、たまたま立ち寄った本屋で出会ってしまったのだ。まさに、こういうのって“出会い”だなぁと思う。

この写真集の魅力はいろいろな語り方ができると思うけど、今の自分という視点で見ると、とても自分を支えてくれる写真集であった。まずなんと言ってもその独特なジオラマ風な現実が自分のアタマを混乱させているのが楽しい。固まったアタマがほぐれるような感じ。

道行く人や街路樹、駐車場の車など、普段よく見ているはずのものが、手に取れるミニチュアのような新鮮さに溢れている不思議。そしてこれまたジオラマ風な美しい色と、なぜか手作り感を宿す自然の木々、浜辺などの自然の景観。

そもそもジオラマ作りは世界の作り手になる行為だ。創造主の視点で小さな世界を自由に作る喜びと、その世界の中で自分が自由に歩き回る想像をする楽しみを持っている。この写真集を見ていると、創造主が作った自慢のジオラマを隣りで見せてもらっているような気になる。現実の厳しさから一歩しりぞいて、俯瞰することで生まれる余裕が心地よい。

そして、単純な空撮ではなくジオラマ的な風景だからこそ、こうやって距離をおいてこの世界を見た時、世界の美しさがわかる。みんな一生懸命生きている。手に取って愛でたいくらいに、すべてが愛くるしい。汚れた工事車両だってとってもカワイイ。こどもの時に砂場や浜辺で、山や城や川を作っていた時のような、ドキドキワクワクする気持ちを思い出させてくれる。周りにあるいろいろなものに興味津々だった気持ちになれる。

この世界は怖がらなくても大丈夫。

この世界にも誠実さがある。
 
そんな幸せな気持ちにさせてもらいました。ありがとう。

2009年2月4日水曜日

教員とうつ病

わたしの診断名は適応障害である。これは「明確な原因があって、抑うつ的症状を示す障害」である。したがってその明確な原因が緩和されるか取り除かれない限り、抑うつ症状は続く。逆に言えば明確な原因から遠ざかっていれば抑うつ症状はある程度良くなる。だから休職している今、こうしてなんとか動きながら生活できているわけだ。自分ではあまりその“明確な理由”がよくわかっていないんだけれども。

その違いをわかった上で、自分の抑うつ気分から推察してみると、教員がうつ病になった場合は、復帰が非常に難しいだろうなぁと思うのだ。

まず人を相手にする仕事から逃れられない。管理職でない限り、基本的に授業をしないわけにはいかない。それも自分が中心になって生徒を動かさなければならない。一般企業のように(会社によって様々ではあると思うが)、以前は顧客対応だったけど、じゃあ復職後は経理で事務作業中心にしようか、と仕事内容を変えたり、別の部署に移って違う集団の中で仕事してみようか、と職場環境を変えたりすることができないのだ。

さらに学校では予定外なことも頻繁に起きる。生徒がケガをした、ケンカした、体調が悪くなった、トイレに閉じこもった、いなくなった等々。その場その場での判断と対応が求められる。わたしは復職したばかりなので関われませんとか言っていられない。またうれしいことではあるが、個人的に頼ってくる生徒や話したがる生徒もいる。それを無下に断るわけにはいかない。それも大事な仕事なのだから。

つまり教員にとっては、復職=即最前線復帰なのだ。

授業の持ち時間数を減らすとか勤務時間を調整するとかが可能だとしても、例えば「国語」の授業を「英語」の教員が代替で行うことなどできないわけだから、現実的には難しい。となると、病休あるいは休職以前と同じ量の仕事をこなせるかどうかを考えてしまうのだ。

こうやって、ああ復職することは大変だ、またあの嵐のような毎日に飛び込んでいかなければならないんだ、と思うこと自体が、またストレスになってしまう。

うつ病者の復職って、人相手の仕事はどこも大変なのだろうけど、人相手以外の逃げ場がない教員という職業は特に大変なのだろうなぁと、半ば他人事のように考えたいわたしであった。
   
   
   

「うつ病記」はやし たける

「うつ病記」(はやし たける、メディカルレビュー社、2007年)はうつ病をテーマにしたマンガである。そういう点では「ツレがうつになりまして。」(細川貂々、幻冬舎、2006年)と同傾向の本だと言える。


ただ著者の本業はマンガ家ではなくサラリーマンであるため、正直なところ絵的な魅力では劣る。
「ツレがうつになりまして。」は暗くなりがちな内容を、細川貂々の巧みな絵と表現で笑いに変えているけれど、「うつ病記」はそのまま暗い。ただ、線の細い優しい絵と薄い着色(全編カラー)、空間の多いコマ割り、そして淡々とした描写が暗さをやわらげている。

ツレがうつになりまして。」にはない本書の特徴は以下の点だ。

・著者本人がうつ病であるため、うつ病者の視点で描かれている。
・家庭だけでなく、職場での状況も多く描かれている。
・復職を目指した内容である(実際復職している)。
・こどものいる家族があるため、経済的な面にも触れられている。

ツレがうつになりまして。」では病休している時の心理的な辛さや、体調の悪さなどに共感するところがとても多かった。おかげで「今はこれでいいんだ」と焦る気持ちや自己嫌悪を抑えることに役立った。それに対して本書では、職場の様子で共感することが多かった。

例えば「食欲が落ちる」。これはわたしの場合は家では問題ないのだが、職場で顕著だった。生徒と一緒に食べなければならないことが、非常に辛くなっていったことが大きかったが。

それから「わたしがやらねば、誰がやるんだ〜」的責任感とプライドで無理をしていた。著者はその後文字通り倒れ救急車で運ばれる。

「考えがうまくまとまらなくなる
  
そうなのだ、あれもこれもと思っていると全部が中途半端になっていく。するとさらに焦る。ずっと気になっていながら出来ない。

「トイレで20分はボ〜っとしている」
  
というのもとてもよく分かる。わたしはその間、ボ〜っとしているというより、深呼吸を繰り返しながら、自分を叱咤激励していたけど。出勤時の辛さも身につまされる。
  
「休みたいけど休めない〜」
「いっそこのまま終着駅まで行ってしまおうか〜」
「引き返すなら今だ!(オフィスに)
 入っちゃったら仕事が始まってしまうぞ〜」
  
と著者は苦しむ。でもわたしは休んだ。あるいは引き返した。だから適応障害で止まれたのかもしれない。
著者は

  
「具合が悪そうだから、かなり気になってたんだ」
  
と職場の人から言われたという。自分では最後まで普通を通したつもりでいたけれど、もしかすると何かヘンだったかもしれないな。

この本を読んだせいか、夕べ復職する夢を見た。

  
実際には職場にたどり着けるかが一番苦しいところなのだけれど、夢ではすでに職場にいて周りの人たちに
  
「ご迷惑をかけましたが、復帰しました」
  
と挨拶して回っている。自分の机には配布されっぱなしの書類が積もっている……。
  

ありえない。
  
目が覚めて思い出してゾッとした。だって無意識の復帰拒否願望が強いのか、最近同僚や生徒の名前が思い出せないことが多いくらいだもの。
  
ツレがうつになりまして。」とはまた違った視点から、安心をもらった本である。2度目の病休に際して医師から
  
「会社に殺されるよりましですよ」
  
と説得された、というのが非常に印象的だった。
  
あと著者からの一言で
  
「うつ病の怖いのは連鎖反応だと思います。」
  
とあった。
今の職場で連鎖反応が起きていないことを祈ります。
  
  

2009年2月2日月曜日

「わたしは真悟」楳図かずお

楳図かずおというと何を想像されるだろうか?「へび女」のような恐怖マンガ、「神の左手悪魔の右手」のスプラッター描写、それともギャグマンガ「まことちゃん」の“ぐわし”、あるいは映画化された「おろち」、怪奇主人公シリーズ「猫目小僧」、いやむしろ林家ぺー似の容貌と紅白のストライプシャツ、あるいは奇抜な自宅を作って周辺住民と揉めた人か。 

わたしにとって楳図かずおは、もちろん恐怖マンガ家であった。ストーリーももちろん恐いが、絵そのものが恐い。特に、化け物ではない普
通の絵が恐いことが凄く印象深いマンガ家、そういうイメージだった。なぜかわからないけど、何かが潜んでいる不穏な空気に満ちている絵。

でも特に楳図かずおが好きだったわけではないわたしが、今もってその魔力に取り憑かれ続けているのが、1982年から1986年の4年間をかけて「ビッグコミックスピリッツ」(小学館)に連載された「わたしは真悟」(梅図かずお、小学館文庫、2000年)という作品だ。

  
小学6年生のサトルとマリンはお互い惹かれ合って、町工場に忍び込み、導入されたばかりの工業用ロボットのコンピュータに質問する。「フタリハドウナルカ?」コンピュータの出した答えは「シアワセニナル」であった。二人は「ケッコン」して「コドモヲツクロウ」とする。コンピュータは答える、「333ノテッペンカラトビウツレ」。物語は急展開し、ついに“コドモ”が生まれる。
   
化け物は出てこない。殺人鬼もいない。恐らく楳図かずおのシリアス系作品では、飛び抜けて「恐いと思わせる絵」のない作品だろう。逆に言えば、普通の絵の持つ、なぜかわからない恐さがあらゆるところに現れるマンガだとも言える。
        
基本的にはSFと言えるか。いやジャンル分けは不要だろう。場面場面の異様なテンションや、静止場面の薄ら寒さ、イノチを得た機械のぎこちないのに動物的な生々しい動き、コンピュータの配線の内蔵を思わせる不気味さなど、奇抜なストーリーとともに、一コマ一コマの絵の持つ迫力が読者を魅了し続ける。
   
   
次第にいろいろな謎が物語に入り込んでくるが、何かの伏線かと思うと知らない間に消えてしまったり、すべての謎が最後に解き明かされるわけでもないので、大きなドラマツルギーやクライマックスでの大どんでん返しや大団円を期待してはいけない。そこを中心に見るときっとワケの分からない物語だ。

でもいい知れない力を持っているのだ。淡々と小さな事件や小さな恐怖を描きながら、それが大きな物語に収束しないまま、不気味さと煮え切らなさと、異様な体験をしたという実感をもたらして、マンガ文庫にして全7巻の物語は終わる。いいのだ、だって実際の人生においても、人は知らないこと、わからないことに取り囲まれながら生きて、そして死んで行くのだから。

    
すべてが説明されなくていい。すべての謎がとけなくていい。その世界に入り込み、今までに感じたことのない体験をすること。それが大事なのだ。実際に「なんという物語だこれは!」と思わず本を手にしたまま、しばらく動けなるほどの世界がここには描かれているのだから。
  
  
そして思ったのは、作者梅図かずおは、全体のストーリー以上に、自分でもわからない何かを物語に無意識に託していて、そのことを全体の整合性の破綻より優先させているのではないか、ということだ。

そこで思い出すのは、そう宮崎駿である。まったく重なるところのないように見える二人の作家ではあるが、その底に流れる、コントロールできないところに触れようとする、あるいは触れてしまう作品を作る点に置いて、とても似ている気がする。梅図かずお本人も  
  
「『わたしは真悟』は、はじめはほとんどストーリーを作っていなかったという…」
(「WAVE 4」“Making of SHINGO”、楳図かずお、荒俣宏、WAVE、1985)
   
と言っているし。

久しぶりに「わたしは真悟」を見返して、そんな感想を持ったのでした。

   
1980年代マンガを代表する超傑作。

給与返還手続き

ややこしい話なのだが、
診断書の記載日の都合で
今の病休はすでに一回延長したものになっている。
12月17日から28日までが最初の休職期間、
次に出した診断書によって
12月29日から今年3月末まで休職期間が更新されたのだ。

そこで事務手続きが間に合わず、先日の交通費の返納に引き続き、
1月の給料が通常通り振り込まれてしまったので
返納分を現金書留で送って欲しいという連絡が来た。
それを今日郵便局に出しに行くことが出来た。
   
でも交通費の返還と時ほど精神的疲労がなかったのは、
少し元気になったからかな。
お正月前後のストレスによる体調不良が、
やっと取れてきたってことかもしれない。
あと少しずつ新しい砦ができつつあるのかな。
だったらうれしい。

返還手続き作業は確かに面倒なんだけど、
さりげなく状況報告する手段には使える。
現金書留封筒に指定の現金とともに、
近況報告を書き添えた短い手紙を
担当者宛に入れておいた。
今はまだ倦怠感、集団ストレス、睡眠障害があること、
睡眠薬と強めの催眠剤で今様子をみていること、
そして現状から考えて4月復帰も難しそうだと書き添えた。
ここが一番大事なところ。
もう2月だし。

実際、頭の中で職場の生活を思い出すだけで、
まだまだいたたまれない感じが甦る。
あの辛さを忘れちゃダメ〜ってココロとカラダが言っている。
何かの拍子に同僚や生徒と同じ名前を見ると、
う〜って苦しくなるし。

さてどんな2月になっていくことやら。

きっともう校舎の増築棟は
ほとんど完成しているんだろうな。
見たいとは思わないけど。
  
    
  

お薬のプレシーボ効果

夕べはいつもの
抗不安剤メイラックス、睡眠薬ベンザリンに加え、
催眠剤レンドルミンも飲んでみた。
実感としてマイスリーより効く気がするから、
なんとなく飲むと安心。

ところが夜中に目が覚めた。
ベッドに入るのが遅かったこともあって、4時くらいに目が覚めた。
ちょっとごろごろしていたのだが眠れない。
でも焦らない。レンドルミンをもう一錠飲む。
1日2回まで服用OKなのだ。
そしたら眠れた。

確かにマイスリーより強い薬ではあるけど、
これはあれプラシーボ効果(あるいはプラセボ効果)ってやつかも。
実効力以上に、あるいは実効力ないのに、
思い込みで効いちゃうっていうやつ。
車酔いする生徒に「超強力酔い止めだ」とか言ってビタミン剤渡すと、
生徒が酔わないとかいう類だ。
わたしはレンドルミンをかなり
好意的に受け入れているのかもしれないな。
それはそれでいいことである。
眠れないとかってココロの問題でもあるわけだから、
どういうかたちでも安心できればいいのだ。
医者も薬も、信頼することが第1だから。

抗うつ剤ジェイゾロフト、
は少なくとも副作用が出るくらい効いていることはわかった。

メイラックスだけはどう効いてるんだかよくわからんけど。
寝る前に飲むし。
抗不安剤だから安心してお眠りなさいってことかな。
そう言えば最近追い詰められるような夢を見なくなった。
やるじゃんメイラックス。
って、これもプレシーボ効果かも。
  
  
  

デジタル化候補LP集

LPデジタル計画発動に伴って、LPチェックをしてみた。今手元にあるものでデジタル化したいものはこんな感じ。実家に行けばまだ少し増えちゃうかも。
   まず以前にも触れたけど、イギリスのThe Enid(エニド)の1stと2ndのオリジナル。現在CD化されているのは再録版。オリジナル版はゴチャゴチャと理由があってCD化は難しいらしい。
オリジナルの方が手作りな感じが繊細な音となって残っていて好きなのだ。


3枚目は「Fireballet」(ファイアーバレー)というアメリカのバンドの1stアルバム「Night On Bald Mountain」。King CrimsonのオリジナルメンバーのIan Mcdnaldがプロデュース。ボーカルがしっかりしていて、アレンジも多彩で聴き易い。クラシックの「禿げ山の一夜」を元に19分近い大作にアレンジしている。

Ian Mcdnaldがここぞというところでフルートやサックスを入れて、オイシイところを横取りしている感もなきにしもあらず、だったはず。

4枚目は日本のバンド「Negasphere」(ネガスフィア)の「Disadvantage」。ここでも紹介したKBBの菅野詩郎がドラムを叩いている。1985年作だからPageantらと同世代。何か凄く良かったっていう記憶しかない。「キャッスル・イン・ジ・エア〜」ってサビのところだけ覚えてる。う〜無念。

「ハードネス、構築美、プログレッシヴ・マインドの融合」を目指していたとライナーには書いてあり、18分の組曲とかもやっている。もの凄く聴きたい。

5枚目も日本のバンド「Heretic」(ヘレティック)の「Interface」。こちらも1985年の作品。ここでも紹介したフランスのHeldonのアルバム「Interface」に影響されたエレクトロニクス主体の音楽、だったような気がするが、LPには担当楽器にギターやバイオリンも書かれている。どんな音楽だったろう?

日本にはこうしたタイプのバンドは少なかったので、ぜひぜひもう一度聴きたい。

最後は「美狂乱 - EARLY LIVE VOL.1」。カセットテープ音源のため、音質の点からCD化はされないと言われているモノ。彼らには正規ライヴ盤はなく、いわゆるオフィシャル・ブートレグ(発売予定ではなく録音されたものを公式にライヴ版として出すモノ)はCDでも2枚出ている。しかしスタジオアルバムデビュー前1978年〜1979年の、初期メンバーでの演奏が聴けるのはこのアルバムだけなのだ。演奏は壮絶、だったと思う。音もハンパなく悪かったようにも思うけど。


こうして「はず」とか「思う」とか煮え切らない言葉で言わねばならない無念さを、なんとかはらしていきたいと思う所存である。