2009年2月21日土曜日

「クローバー・フィールド 」と新怪獣待望論

久しぶりに東宝「ゴジラ」(1954)と大映「大怪獣 ガメラ」(1965)を観た。圧倒的に「ゴジラ」がよかった。脚本に無理がない。救いのない悲劇である。「大怪獣 ガメラ」はかなりご都合主義、そしてすでに東宝のお家芸になっていた、日本主導で世界が動く図が繰り返されている。対して「ゴジラ」は基本的に個人の物語である。個人の命をかけた葛藤の物語。重みが違う。

そこでさらに感じたのは俳優人の違い。「ゴジラ」は「七人の侍」の志村喬(山根博士)、河内桃子(山根博士の娘)、宝田明(山根博士の弟子にして河内桃子の恋人)、平田昭彦(山根博士の弟子、芹沢博士)、そして「七人の侍」の志村喬。それぞれの思い、対立、決意に説得力がある。河内桃子可愛いし。

対する「大怪獣 ガメラ」は船越英二(日高博士)、山下洵一郎(新聞記者)、霧立はるみ(日高博士の助手)。演技が軽い。それぞれの関係も薄い。霧立はるみ可愛くないし。

特撮場面はやはり、人間ドラマがいかに丁寧に作られているかにかかっている。平成ガメラシリーズの成功は、特撮の技術、怪獣の演出の素晴らしさに加え、人間ドラマの質の高さが大きい。

その後で「クローバー・フィールド HAKAISHA」(2008)を観た。自由の女神の頭部が投げ飛ばされるような一見派手なイメージが先行していたが、実は俳優の演技が核となっている。極めて個人的な体験として映画は描かれる。“博士”も“新兵器”も現れない。

そして怪物もほとんど全貌を現さない。ひたすら逃げる主人公たちの、目の前に死が迫る恐怖と、人の死に直面した心理的葛藤が描かれる。だから逆にわずかな怪獣登場場面が活きる。

ハンディカメラ風の映像作りや、救いのないストーリー、解かれない謎、カタルシスのない結末は賛否が分かれるところだろうけれど、「なかなか全貌がわからない、見たこともない怪物」の登場と脅威が、この主人公たちの「訳の分からない恐怖に巻き込まれた」というリアリティを与えている。一市民にとって全貌を知ることは無理なのだ。だからこの映画、わたしは好きなのだ。

次の日本怪獣映画が作られるとしたら、ぜひ「個人の人間ドラマ」をしっかりと作り込んだ上で、既存の怪獣に寄りかからない、「新しい怪獣・怪物」を登場させて欲しい。既存の怪獣を使い回しているうちは、その枠から外へは出られない。