2014年11月26日水曜日

ワタシの回復を待ってくれた父

父はワタシの回復を待って、
今ならもう大丈夫と思って、ここで死んだのだのではないかと、
そんな気がするくらい、
実にギリギリ、絶妙なタイミングで
ワタシの回復が間に合ったのであった。

例えば一年前の今頃と言えば
名古屋クリエーターズマーケットで
絶不調になった頃である。
少しずつ元気になってきたとは言え、
あの時点ではまだいつ不調になるかわからなかった。

今年になって、ある程度順調に翻訳作業が進められるようになり
先だって、今年最後のイベンドであるデザインフェスタを
初めて、頸痛、吐き気、頭痛に苦しむことなく乗り切れて、
大分体調の安定を実感できた矢先、
わずか一週間後に亡くなったのである。

それからものすごい集中力で葬儀を乗り切ったわけだけど、
ちょっと前なら、すぐに頸痛&頭痛になって
集中力は持続せず、気力も萎え、思うように作業ができなくなり、
喪主あいさつのプレッシャーにも耐えきれずに、
もうボロボロだったに違いないのだ。

でも実際には、ほぼ一人ですべての準備をこなし、
さらにパネルを作るアイデアも浮かび、
それを使った“今まで見たことのない”喪主挨拶を練り上げ、
それなりにお褒めいただけるようなスピーチができたのである。
そして、その後も今に至るまで、頸痛や頭痛が出ていないのだ。
病休以来最高の体調だと言って良い。

「よし、今なら息子は、どうにか葬儀を乗り切れるはず。」

そう思って、
先延ばしにしていたこの世とのお別れを
父が決断したのだと、
そんな気が、どうしてもしてしまうのである。

その思いに、ちゃんと応えることができたであろうか。
そう思ってもらえているといいなぁ。