2016年11月30日水曜日

結局〝ワイドショー〟から外に出ていないのだ

実家の母様のところへ行って、
ちょっとした身の回りの世話をしてくるたびに思うのが、
ほとんど家から出ない生活をしている母様が
いかに〝ワイドショー〟化しているか、である。

話題がワイドショーのことしかないのだ。

それも、すべてがワイドショー的視点の受け売りである。
楽しんでも、悲しんでも、憂いても、怒っても、
それはすべてワイドショーが用意したレールの上を、
何も考えずに走っているだけなのだ。

80歳も半ばを過ぎた母様に、

もっと批判精神を持てと言いたいわけではない。
逆に、ああ、ワタシもきっとそうなのだなと、
いつも思い知らされる、それが言いたいのだ
   
何よりもまず
テレビでコメンテーターなどの受け売りは止めて、
自分なりの意見を持とう、などと思ったとしても、
その、今話題としている内容自体が、
ワイドショーによって取捨選択されたものじゃないか。

思想や戦略といった「闇の権力」的なものというよりは、
印象やムード優先で理屈は後からくっつける
感情的・刹那的・日和見的なメディアによって、
振り回され、踊らされている気がするのだ。

ほら、今はこの話題が重要ですよ、

この人は注目ですよ、
この件は見過ごせませんよ、
この映像はスクープですよ、
ワイドショー的メディアの煽りは日々絶え間ない。

だから、何だかもう、政治とか社会とか

一々考えたり、論じたりする気にならなくなった。
結局、ワイドショーを見て一喜一憂し、
物知り顔でコメンテーターの言葉を繰り返している
ウチの母様と同じじゃないか、って思うようになったのだ。

もう世の中のことはどうでも良い。

自分自身が何ができるのか、何をしたいのかだけで良い。