2016年12月11日日曜日

「持論を述べた」という言い方が嫌いだ

以前に〝のびしろ〟に感じる違和感を書いた。
当時のちょっとした流行語だったように思うが、
確か朝日新聞でも堂々と
プラスイメージであるかのように使われたので
オイオイと思ったのだった。

同じように最近
ちょっとした流行語みたいな感じで
何となく違和感を感じるのが、
「持論を述べた」という言い回しだ。
 「持論を展開した」と言ったりもする。

世の中の出来事について
その道の専門家ではなく
芸能界の〝ご意見番〟的な人が
やくみつる、ビートたけし、松本人志とか)
意見や感想を述べたのを紹介する時、
この「持論を述べた」という言い回しが良く使われる。

特にお笑い系タレントの場合、
本気で言っているのかシャレで言っているのか
ちょっと分かりづらかったりすることもあるから、
「〜と言った/語った」と普通に言い切るには、
メディア的にちょっと躊躇するのかもしれない。

でも、「持論を述べた」という言い回しには
「言っているのはあくまで本人ですからね
 別にこの意見を支持するわけではありませんよ」的な
メディア側の過度なエクスキューズが見える気がして、
どうも好きになれないのだ。
   
さらに、そこはかとなく
「事情を良く知らいない素人が
 勝手な理屈をこねていますよ」的な
ちょっと小バカにしたような感じすら漂う。

いずれにしても、
当人よりもメディア側が高いところにいて
見下ろしているようないやらしさがあるのだ。

〝ご意見番〟を気の毒に思う気持ちは微塵もないが、
メディアの〝偉そうな感じ〟が鼻につくなぁ。