Youtubeへの音楽作品の投稿にお手伝いした方経由で
とある“マダム”(その方の表現です)から
CGについてメールをいただいた
“マダム”さんはわたしがお手伝いした方の
かつての生徒さんだそうで
メールでやり取りをしている中で
CGのことが話題になったようなのだ
そこでその方に間を取り持っていただいて…
直接ご丁寧なメールをいただくこととなった
直接ご丁寧なメールをいただくこととなった
そこには次のようなコメントが入っていたのだった
「サイトとブログを拝見させていただきました。Youtubeで拝見した作品とは、また違った雰囲気の作品もたくさんあって、とても楽しかったです。そして、作品の持つパワーに圧倒されました。『この絵の中に入ってその場の空気を吸ってみたい!』」と思う作品もありました。」
う〜ん素晴らしい
いろいろややこしいことを考えずに
素直にわたしのCGの世界に入ってくれている感じがして
とてもうれしい
絵を描いている時には
そこには意図も意味も象徴もないのだ
だから絵を“理解”しようとする人に
いろいろ聞かれてもわたしは困惑するだけなのだ
だから絵を“理解”しようとする人に
いろいろ聞かれてもわたしは困惑するだけなのだ
この建物はなに?と問われてもわたしにもわからない
ここはどんなところ?と聞かれてもわたしにも答えられない
その世界をそのまま受け入れて
その中に入り込んで浸ってもらうしかないのだ
その中に入り込んで浸ってもらうしかないのだ
そして地上に降りてみたいとか
ワシのいるところから見下ろしてみたいとか
あの建物の向こう側をのぞいてみたいとか
あの光の下の水面すれすれを飛んでみたいとか
あの光の下の水面すれすれを飛んでみたいとか
奇妙で雄大で不思議な世界を
そのまま楽しんでもらえるのが一番なのだ
それは絵を描きながら
わたし自身が行なっていることでもある
逆に言えばそういう衝動が湧くような世界を
いつも描こうとしているのだ
「あっ!それと、ワシさんに妙に愛着がわいちゃって、見つけるたびに『あ、ここにいた!お、ここにも!』」って、つい嬉しくなりました。」
子どもみたいに
こうして楽しんでくれるのもいいなぁ
いろいろな楽しみ方で絵を見てもらえれば
それが一番である
実は“マダム”もそのことにも触れていて
「私は難しいことはよくわからないのですが、ただ思ったのは例えば、普通の風景画や人物画などだったら、見た人みんな、だいたい同じ感想を持つと思うのですが、これらの作品は、見た人それぞれが、いろんな感想を持つのではないかな、と思いました。なんというか、それだけ作品自体にとても『幅』があると感じます。」
もう感無量である…