2011年5月19日木曜日

「お互い死ななくてよかったですよ」

前々任校は新設校で
わたしは開校一年前から準備室勤務に入った
その時点で10名を越える体勢になったのだが
さらにその半年前から
先発隊のようにして数名が開校の準備を始めていた

その一番大変だった時期から
開校2年目までご一緒した方からお電話をいただいた
“同僚”とは言うものの年齢的には上であったし
何より仕事の上でもお人柄の上でも
わたしにとっては“大先輩”な方である

しかし開校2年目に体調を崩され
卒業生を出さずして他校へ異動されたのだった

最後はお休みも多めで傍から見ていても辛そうで
やはり開校前後の過酷な業務で
心身ともに疲れ果ててしまわれたんじゃないかと思っていた

その方から今日電話をいただいた
久しぶりにその頃の何人かが集まるので
ご一緒に飲みましょうというお誘いであった
  
近況報告として
わたしが昨年9月で退職したことや
そこに至る経緯や今の生活などをお話すると
ご存じなかったこともあって最初はびっくりされていたが
次第にいろいろ共感し合いながらの長話となったのだった

実はその方も異動される前は
心身ともにかなり厳しい状況だったようで
医者からは狭心症の症状が出ていて
このままでは過労死すると
言われていたのだという
そこで 
  
「自分のできることをし尽くしたんだ」 
  
と自分に言い聞かせることにして
道半ばでの異動を自分から管理職に申し出たのだそうだ

その後夜間定時制に移られお身体も回復されて
今は体調管理に注意しつつ
元気にお仕事をされているようである
でも「主管」(管理職)への誘いは断り続けているという
その気持ちは非常に良くわかる
生徒から離れると働く喜びがなくなってしまうのは
わたしも同じだったから

その方は現職に踏みとどまった
わたしは職を辞した
今いる場所は異なっているけれど
やっぱり同じような苦境を体験した
“戦友”みたいな感じがした
  
残念ながら今回のお誘いは辞退した
子どもの運動会の日だったので
その後かなりボロボロになっている可能性があると思ったし
まだあの頃を懐かしみながら
ワイワイと騒げるほど体調が安定していないからだ

でも懐かしいあの頃の同僚に会いたいという気持ちはある
それはとてもありがたいことだ
そして次に会える機会がやってきたら
「教員は辞めましたけど、今はこんなことやっているんですよ。」

って言えるようになっていたいものだ

「お互い死ななくて良かったですよ。そう思いましょうよ。」

その方の言葉には優しさと重みがあった