2013年1月31日木曜日

「ぼくらの昭和オカルト大百科」初見健一

  
“70年代オカルトブーム再考”と
サブタイトルがつけられた
とっても面白かったのだ

「時代がどうかしてた」1970年代
雪男・ネッシー・ツチノコに
ユリ・ゲラーと超能力
そしてUFO特番に「あなたの知らない世界」
さらにコックリさんに口裂け女

1970年に開催された大阪万国博覧会の
テーマ“人類の進歩と調和”や
当時としても違和感のあった三波春夫の
能天気な歌に溢れる明るい未来像が
上記のような「イカれた時代」に変貌した1970年代
その時代背景を考察したり
自身の体験に基づく時代の空気を切り取ってみせた本

オカルトを肯定するのか否定するのかという立場に立たず
なぜそのようなことがこの時期日本に蔓延し
その後衰退していったのかを追った
懐かしくも新鮮な内容の本であった

しかし…どうしても気になった事がある
それは次の部分だ

「では、七〇年代において、この『イカれた時代』がいつはじまったのか?これはほぼ正確に特定できる。
一九七三年。
 この年、その後の約一〇年間にわたって定番となるオカルトな大ネタたちが、なぜかまるで歩調を合わせるかのように群れをなして日本を急襲し、僕らの好奇心をワシづかみにしてしまったのだ。」

すでに1971年の怪獣映画「ゴジラ対ヘドラ」に見られるように
時代の中には「暗い未来の予感」が膨れ上がってきていて
1973年第一次オイルショックは引き金を弾いただけ
そして花開いたオカルト世界ということなのだ

【1973年】
「日本沈没」→ 終末気分
「ノストラダムスの大予言」→ 人類滅亡
「石原慎太郎の国際ネッシー探検隊」→ ネッシー・ブーム
「幻の怪蛇バチヘビ」矢口高雄 → ツチノコ・ブーム
「お昼のワイドショー“あなたの知らない世界”」→ 心霊ブーム
   
【1974年】
「恐怖の心霊写真集」→ 心霊ブーム
 ユリ・ゲラー来日 → 超能力ブーム

などなどが1970年代日本を覆い尽くすことになる

実は今からちょうど40年前となるこの1973年 
プログレの勢いが凄まじかった年でもあるのだ
この年に発表された作品群はなかなか濃い

・「太陽と戦慄」(Larks' Tongues in Aspic)King Crimson
・「狂気」(The Dark Side of the Moon)Pink Floyd
・「恐怖の頭脳改革」(Brain Salad Surgery)EL&P
・「月影の騎士」(Selling England by the Pound)Genesis
・「海洋地形学の物語」(Tales From Topographic Oceans)Yes
・「自由への叫び」(Arbeit Macht Frei)Area
・「幻の映像」(Photos Of Ghosts)PFM 
・「パレポリ」(Palepoli)Ossana 
  
などなど…

この1973年はそれぞれのバンドの創作エネルギーが
ピークに達したと思える時期である 
先陣を切ったイギリスに比べ
その影響を受けた他国のピークが遅くなるのは仕方ないが
いわゆる第一陣たる開拓者たちのピークは
この1973年にあると言い切っても良いくらいだ

というようなことを考えると
この1973年…あるいはその前後というのは
何か大きな転換点だったんじゃないだろうか
という気がしてきてしまうのだ
人間の精神的な活動が異様に活発化し 
得体の知れない衝動が吹き出した時期
そんな歴史的シンクロニシティーが
もしかするとあったのかもしれない…とか

1973年ほどではないにしても
ことしも何か大きな変化の年になるかもしれないなぁ

2013年1月30日水曜日

実家で畳マットをリセット!

昨日は毎週恒例実家お手伝いであった
最近は部屋の片付け以上に
洗濯マンとしての役割が定着しつつあるが
まぁようするに“なんでも屋”なのである

昨日は茶の間とベッドのある6畳間に敷いてある
畳マットが破れてみっともなくて困っていると聞いて
両方を何とかすべく奮闘したのであった

これまでの片付けの中で
新しい畳マットが忘れ去れていたのを発見していたので 
これを6畳間に敷くことにした
3畳分の大きさなのでベッドを動かす必要はない

そして今まで敷いてあった古い畳マットを外し
破れていない比較的きれいな部分を切り抜き
その縁を修繕して1畳ほどの畳マットを作ることにした


い草のクズが飛び散って大変であったが
何とか新しいマットが完成し
これを茶の間のほころび部分の上に敷いた
こうして二部屋の見てくれを少し改善したのであった

母サマ大喜びなり


いつものように大量の洗濯物を干し
いつものように大量の処分衣類を
密かにバッグに詰め込んで
今回の作業は終了したのであった

しかし…やることは多くモノも減らない
何と言うかもう異次元レベルって感じだなぁ

2013年1月29日火曜日

加湿機購入…それも超音波式…

色々迷いながら決心がつかず
ずっと先延ばしにしていた加湿機を
結局最後は衝動買いのようにして
近くの安売り店で購入してしまったのであった
それもあまりオススメされていない超音波式である

超音波式は加熱しないので
やけどの心配もなく電気代もかからず
製品も小型で静か
さらに安価なのがメリットだが
熱殺菌ができないため
タンク中や本体の水に細菌やカビなどが繁殖た場合
それらを空気中にばら撒く結果となってしまう

長期間吸い込むと
いわゆる加湿機病と呼ばれる
アレルギーが出てしまうのだとか…

でもええのだ…とにかくすぐ欲しかったのだ
ロフトベッドにしたこともあって
暖房を切っても床上よりもベッドの方が大分温度が高い
寝ていると喉がカラカラになるし目も乾く 
おそらくそれもまた安眠の妨げになっている
さらにわが家はインフルエンザ猛襲注意報発令中だし

少なくとも湿度は確実に上がって
気持ち的には快適である
夜もちょっと過ごし易くなったように思うし
まぁ多分こまめな掃除はできないだろうから
除菌液でも買ってみようかしらね…




2013年1月28日月曜日

うわ〜…な夢

午前中に中一くんが下校してきた
1学年のインフルエンザ欠席者が急増したため
急遽学年閉鎖になったとのこと
登校後の9時にはすでに下校になったようだ

本人もここのところ咳が取れず
ずっと風邪薬を飲んでいるのであるが
まだ一応無事で
“休み”になった事を喜んでいる
でも傍から見ればかろうじて
首の皮一枚で繋がっている感じだ

そんな感じで午前中はバタバタと落ち着かず
昼ご飯を食べたらどうにもダルくなって昼寝した

そこは歪んだような景色の田舎の通りである
まだ小さい子どもを2人連れて
3人でかねてから行こうと思っていた定食屋に入る
昼の混雑も終って
あちこちのテーブルには
まだ片付け終わっていない食器や食べ残しが見える

そのテーブルコーナーを抜けて
わたしたちは和室に通される
知らない間に旅行中になっていて
どうやらここで泊まるのだ…あぁやっと着いたねぇ

客室用飲み物として
ペットボトルが色々な場所に置いてある
でも手に取ってみると
どれも口が開いていて飲み残しなのであった
こどもが飲みたがるが
これを飲ませるわけにはいかない

やがて食事が運ばれてくる
魚の煮付けのようなものがお皿に盛られ
ご飯とお味噌汁が付いている

でも子どもがそれを食べるのを嫌がる
あれ?お腹空いてたんじゃないの?と皿を見ると
何と魚は生のまま…
というかまだ生きていて
そのヌメヌメしたからだを動かしているのだ
うわっうわっうわ〜…

目が覚めた… 

起きたら頭が痛くカラダはさらにダルダル
思わず風邪薬を飲む

首の皮一枚はむしろわたしか?

2013年1月23日水曜日

Design Festa 2時間で全ブース売切れ

Webシステムのトラブルで
申込みを延期していたDesign Festa vol.37であるが
本日1月23日の昼12時より
Webと電話による受付を再開した
予定では15時からオフィス・FAX・郵送の受付だった
この時点で申込は7割程度とのこと

ところがなんとその後14:28分に
Design Festa事務局から完売メールが来た
14時の段階で前ブース売切れで
以降はキャンセル待ちになるとのこと

“一日3000ブース”ということだから
わずか2時間で残り3割
1000ブース近くが埋まったのだ…スゴい

通常でも4ヶ月前くらいならもう完売なんだろうけど
昨年11月の時点で申込を逃しその後待ちに待った人たちの
今日の昼に賭ける思いには
相当なものがあったんだろうと思われる
あぁ…昨年のうちに申込完了していて良かった…

この寒い冬が次第に春めいて
梅が咲いて桜が咲いて花粉症が終ったころに
Design Festaがまたやって来るんだなあ

昨日彼女は夕ご飯の“突出し”に
菜の花のカラシ和えを出してくれたのだ
鮮やかな緑色が印象的だった

どんなに寒くても春は必ずやって来るのである

2013年1月21日月曜日

新しい生活リズムを求めて

かつて定時制工業高校で仕事を始めた頃は
生活が夜型にシフトして朝寝坊するようになった
ひどい時は昼の「笑っていいとも!」で
ようやく目が覚めるという始末…

でも子どもが生まれたら
そんな悠長な生活ができるはずもなく
よく午前中に近くの公園に
一緒に遊びに行ったものだった 

保育園に通うようになると
朝9時までには連れて行かなければならないので
さらに規則正しく朝起きるようになったのだが
では朝型になったかというとさにあらず
9時半から11時くらいまで二度寝するようになったのだ

結局夜がメインの仕事だと
ヒートアップした頭を休めるのに時間がかかる
11時くらいに家に帰っても
すぐに寝ることはできなくて
ダラダラと夜中の2時くらいまで起きているのだ

それは次の単位制定時制高校でも同じで
夜間部(三部)担当だったわたしは
やっぱり夜がメインだったのである

そんな時間のズレた生活を
合計8年+6年=14年も続けたのだ
カラダがもうそういうリズムになっているのである

しかし病休になった学校は全日制であった
だからきっとそれまで溜まっていた疲れやストレスが
生活のリズムが崩れたことをきっかけに
吹き出したんじゃないかと思うのである

というようなことを思うのは
最近やっぱり朝の早起きが非常に辛いのと
実際朝起きがけは体調が悪いことを
実感しているからなのだ

起きられないわけではないのだ
でもからだも気持ちも超低空飛行なのだ
むしろ朝起きなきゃと思うことで
夜の眠りが浅くなっている気さえする

まぁ大きな不調が減ったから
そんなことも感じたり考えたりできるようになったのかも
過去の生活リズムにこだわる必要はないんだけど
今の自分にとって楽な生活リズムを
少しずつ考えていくのが良いようである

それは9時5時のサラリーマン生活への
復帰を目指したものではない
その気は全然無いし

そうではなくて
今の自分が一番楽に動けるリズムを見つけたいのだ
例えば作家だって夜型もいれば朝方もいるわけで
何かをする上では9時5時生活ができることが基本という考えは
さっぱりすっきりバッサリと捨ててしまいたい

考えてみたら
確かにノルマや〆切などに終われない気ままな生活ではあっても
最近の日々の作業量は相当なものになっているのだ
それがわたしのお仕事みたいな感じである
だから無理はしないけれどもしっかりやりたい思いがあるのだ

それが多分どこか新しい場所へ
わたしを導いてくれるような気がするのである

2013年1月20日日曜日

「Supper's Ready」の和訳に挑戦しているのだ

いつかはやらねばならないと思っていた
Genesisの代表曲「Supper's Ready」
その和訳に取りかかったのである

Yesの「Close to the Edge」
Pink Floydの「Shine on you Crazy Diamond」
EL&Pの「Brain Salad Surgery」などを
これまでなんとか訳して来たところで
いわゆるLP片面20分相当の大曲で残るものとなれば
この曲しかなかろうという気がしていたのだ

しかし…これが大変であった…
ドラッグ体験も絡んでいると言われるが
それこそ夢の中のような不条理な展開に加え
抽象的な表現や言葉遊びも多く
ネイティヴの人たちも
その解釈に苦労しているというシロモノである

聖書や時事ネタの知識も要求されるようであるし
さらにライヴ時のPeter Gabrielの語りやコスチュームも込みで
総合的に見る必要がありそうである


まずかなりの分量であるが取りあえずざっと訳してみた
そこにはまだ全体をまとめられるような物語は見えて来ない
これからそこにある種の全体像を見つけていくことになる

ヒントとしてプリントアウトしてみた
英文の関連資料だけでも読む気が失せる量だ
ネット上に日本語訳に挑戦した例は見当たらない
はてさてどうしたものか…
取りあえず実家へ片付けに行った際に
アルバム「Foxtrot」の歌詞対訳付き盤を探してみよう
ヒントは見つけられるかもしれない

やり甲斐は確かにあるが
どこまでのモノが出来るかは予測不能である
いやぁ〜マイッタなぁ…
でも頑張ってみるのだ
誰に命令されたわけでもお願いされたわけでもないのにねぇ
   
追記:完成しました! 翻訳はこちら
 
 

2013年1月19日土曜日

カラダの緊張を解く

病休することになった4年半前のわたしは
あくびも満足にできないくらいに
カラダが緊張し力が抜けなくなっていたのだった

ちょうど冬の寒い季節に暖かい部屋から外に出た時のように
首・肩・背中が縮こまってしまう感じなのだと思うが
本人に自覚がないくらいにクセのようになっていたのだ

病休に入ってからそういう自分のカラダの状態に気づいたが
でも具体的にどうすれば良いかもわからず
それよりも自信喪失感・無力感とか
頭痛や吐気といった目の前のことを
どうやり過ごすかで手一杯であった

でもな〜こと一緒にいる時に
少しずつカラダに入っているムダな力を抜くことが
わかるようになっていったのだ
それは裸の背中をさすり合うという単純な行為だった

指圧でもなくマッサージでもなく
ただ力を抜いた手のひらで
ゆっくりやさしく撫でるというだけである
でも彼女はわたしの背中を撫でると
わたしのカラダの緊張状態がわかるので

「はい、もっと力抜いて〜。」

と言ってくれる
力が抜けると

「そうそう、そんな感じ〜。」

と確認してくれるから
力を抜く感覚というのがわかるようになったのだ

逆に彼女の背中をわたしが撫でても
わたしのカラダが緊張しているかがわかるらしいのだ
わたしが緊張しているとリラックスできないらしい
リラックスできるとアクビを連発し出すので
これまたわたしには感覚がつかみ易いのである

というふうにしてわたしは次第に
何もしないで力を抜くことと
動きながら力を抜くことを覚えたのである
それが今の回復に繋がっているんだと思う
もちろん今でも知らず知らずに
カラダに力が入っちゃうことはあるんだけど
抜く感覚がわかったというのは大きなことなのだ

こういうことは
「カラダの余分な力を抜きましょう」みたいな言葉だけでは
感覚的にわからないものだし
心療内科や精神科では治療行為の対象にもならない
かと言って普段マッサージとか受けたことのない身には
まったくの他人に触られると思っただけで
カラダが緊張してしまう

そんなことをつらつら考えて
あぁありがたいなぁと
昨日も背中をさすり合いながら思ったのであった

2013年1月16日水曜日

プログレ動画選「ProgClips」スタート

実は昨日実家へ行く電車の中でパッと思い立ったのが
今日立ち上げたこの新しいブログである
また新しくブログ始めるのかぁ〜って感じだが
またプログレ関係なのだなこれが

名盤選に訳詞に中古CD情報と来て
今度の「ProgClips」はプログレ関連の
映像クリップ&ニュースクリップ集なのだ
といいことで「プログ・クリップス」という名前なのである


facebookの「プログレ談話室」で
懐かしい映像や掘り出し物の映像や最新ニュースを
日々アップしていて思ったのだが
この「プログレ談話室」ってclosedなのだね

facebookページ(ファン・ページ)ならopenで
誰でも見られるんだけど
個人ページは facebookアカウントでログインしてないと
見ることができないのだ
何だかそれはとても残念なことに思えたのだ
だからってfacebookページに変更するつもりはない

ということでせっかくなので
誰でも自由に見ることができるブログ形式で
同じような情報を発信できるようにしたのが
この「ProgClips」なのである

動画の貼付けがfacebookに比べるとちょっと面倒だが
もちろんブログならではの良さもあるのだ

それは「ラベル」ごとにまとめて表示できたり
ブログ内の検索ができたりする点である
つまりデータベース的な利便さが高いのである
これを使えば例えばブログ内の
「King Crimson」とか「Pink Floyd」関連の
映像&ニュースだけを拾い出すことなんかができる訳だ
あぁ便利便利〜!

何より自分のための映像データベースになるっていうのが
一番の目的なのかもしれないな

2013年1月14日月曜日

2013年初雪

明け方からの雪はベタベタで
恐らく積もることは無いだろうと思っていたのだが
気づいてみたら一面雪景色になっていた


まだ勢いは衰えを見せていなくて
ベタ雪な割にけっこう積もるんじゃないかな

当然気温は上がらず
部屋にいて暖房を入れていても
寒さが深々と身にこたえる

今日は一日中引き蘢りだな


2013年1月13日日曜日

アコギの弦張りをしたのだ

傷のついたアコースティックギターを
修理に持って行くべく
古い弦を張って置いてあったのだが
近場のギター屋さんに事前に電話したところ

「結構お金かかっちゃいますよ〜。最低でも3万とか…。」

と言われて残念だが修理は断念した…
だって購入価格が3万くらいのギターなんですもの

そこで傷も味のウチということにして
そのまま使うことにしたのだ
ネットで程よい大きさのステッカーとか見つけたら
それを貼っておいてもいいしね

さっそく楽器屋さんでアコギ用の弦を買ってきて
思えば7〜8年ぶりの弦交換に挑戦である
というくらいだから基本の手順すら忘れているので
ネットで弦の張り方情報をゲットする
おぉ…いまは動画の説明が結構あるなぁ
以前にこの弦を張った頃にはなかったことだ

そして実際に弦を張ってみる
ピンで片端を留めペグをゆっくり回しながら
弦を巻いていくのだ
特に1弦2弦は弦が切れないか緊張する
1弦を張っている時に
2回ほどピンの方が飛んでしまったので焦った…
でもなんとか全ての弦を張り終えることができた


7〜8年前には失敗ばかりしていて
ペグ方の巻き具合もぐちゃぐちゃだったのだが
何と今回は予想以上に美しく仕上がったではないですか
わずかでもウクレレで弦交換した経験が活きているのかも…
巻き具合がきれいだと何だかとても嬉しいのだな

その後はチューナーでピッチを合わせながら
ゆっくりペグを回していく
まだまだ少しずつ弦が伸びるだろうから
今日は数回合わせたところで終了である 

今日新しく張った弦は
かなり柔らかめなものを選んだので
以前に比べて随分と弾き易くなっているはずだ
ウクレレだけじゃなく
アコースティックギターも弾いてあげようっと

「コクリコ坂から」宮崎吾朗

  
ぱっと「コクリコ坂」というタイトルが浮かばず
なんとか坂だったよな〜横浜の山の手あたりが舞台の…
ええっとイロハ坂じゃなくて…イロハ坂じゃなくて…
ええぃ…イロハ坂しか浮かばん!
みたいな感じで最近言葉が出ないわたしですが
超遅ればせながら「コクリコ坂から」を観たのである

91分という比較的短めな作品
もちろん宮崎駿ではなく宮崎吾朗監督が
「ゲド戦記」に次ぐ第二作をどう仕上げたかが
最大の見どころとなった2011年作である

結論から言えばとても良かったのであった
ストーリーに難しいところはなく
ファンタジックな要素もなく
淡々と地味で狭い世界での話が続く
でもそれが心地よいのである

演出的にも意識してデフォルメを抑えた感じだ
宮崎駿の場合はちょっと大げさな表情や動作で
われわれの肉体の記憶を呼び覚まし
感情の高まりを伝えようとしていたが
この作品では皆終始淡々とした動きに徹している
 
主人公のメル(海)が
米びつから米をマスで計ってお釜に入れるという
単純だけれどムダのない一連の動きの
なんと美しいことか
わずかな手首の動きや微妙な間が
日常生活をきちんと送ることの大切さを
教えてくれるようである 

同じようなことは
俊がクラブハウス「カルチェラタン」で
ガリ版の刷り物を作っているところでも感じた
インクトレーでローラーを転がして
持ち上げたときのネチャっとする感覚や
鉄筆で切ったロウ紙の上をローラーを転がす時の
すうっとインクが染み込んでいくような感覚

一つ一つの作業
もっと言えば一つ一つの動作を
きちんと丁寧にやることの大切さ 
そんなことを
いっぱい感じさせられた作品なのである

それはメルが日課として旗を揚げ続ける行為にも繋がるし
この話の大きな山場となる
「カルチェラタン 」の大掃除にも繋がっていく

メルの声を担当している長澤まさみも

かなり感情を抑えて声を当てているが
これが不思議と冷たい女性という印象に繋がらない
むしろ作品全体に落ち着きと上品さを加えているのだ

そういう意味では
波瀾万丈の展開も無く大きな謎も無く
ハラハラドキドキな場面も無く
大どんでん返しも無いこの作品が
作品として成立していること自体が
奇跡と言って良いかもしれない

もちろん不満はある

動作だけでなく表情も極めて抑えて描かれているのだが

こと表情に関しては抑え過ぎな感じなのだ
というか人形のような無表情に見えてしまう場面が
何ヶ所かあったように思うのである

演出を地味に抑えているからこそ
微妙な表情にこだわるといった
集中力が持続しない感じなのである
だからギリギリの感情が絵から伝わって来ない


もちろんこのような世界も現実にはあり得ない
例えそれが1960年前後という時代であったとしてもだ
それは「カルチェラタン」を中心としたモラトリアムな世界
一人の悪人も大人の闇も存在しない善意に満ちた世界

その中で「カルチェラタン」を救うために掃除をするのだが
なぜ大規模な掃除に突入していくのかはあまり明快ではない
でも物事はなぜかご都合主義的に上手くいってしまうのだ
二人の微妙な関係を含めて
結局少年少女は大きな試練も挫折も味わわず 
物語は平和に静かに終る

だからこの平板で捻りの無いストーリーや
余りにささやかな主人公二人の恋愛模様に
鼻白む思いをする人もいるかもしれない

それでもわたしはこの作品が好きである
そうしたマイナス要因があると自覚した上で
この静かで丁寧な所作をする登場人物たちが好きなのだ
そしてゆっくり歩くように進むテンポが心地よいのである

時々取り出しては楽しみたくなる作品になりそうである

“熱意の暴力”を防ぐために

「強いクラブにするために体罰は必要」
「気持ちを発奮させたいがためにそうした」
「体罰で生徒が良い方向に向かう実感があった」
(朝日新聞1/12朝刊より)

似てるなぁと思った
何にかというと子どもの虐待にである

「子どもの躾のためにやった」

という自分への言い訳をしながら
最悪の場合わが子を死に至らしめてしまう
幼児/児童虐待である
良かれと思って暴力を振るう
それも圧倒的な体力や権力の差の下で
反撃されないことを承知の上で
そこには自分の方が相手寄り優れているという
思い込みも存在する
小さい子どもと大人である親
経験の浅い児童生徒と経験豊富な教師/監督
という関係は
ある意味絶対的であるという点で
一種のパワーハラスメントでもある

しかし児童虐待には
これは躾の名を借りた虐待じゃないのか?とか
いけないと思っていてもすぐ手が出てしまう…というような
自責の念が時折垣間見られる
しかしスポーツ界で体罰を行なっている人には
どうもそういう視点が決定的に欠けている気がしてならない

それは児童虐待のような密室での出来事ではなく
公の場での出来事でありながら
結果を出しさえすれば許されてしまう
つまり公然と体罰をすることを
世間から認められてしまうことによるのかもしれない
むしろ自信を持って開き直って
体罰を行なっている感じすらする

そして体罰なしには指導が出来なくなってしまうのである
コミュニケーションが暴力を通してしかできず
その他の指導方法が思いつかなくなってしまうのだ

結果を出し周囲も黙認/評価するようになると
児童生徒側も
その関係を受け入れざるを得なくなってしまう
そしてそれを正当化する論理を受け入れようとする 
体罰を受けるのは自分やチームが
さらに成長するために必要なことなんだ
それを辛く思うのは自分の心が弱いからだ
体罰が嫌で部活を止める/キャプテンを降りるのは
自分が試練から逃げているだけだ…などと
そうして体罰を指導者の「熱意」の表れと
感じるようになったりする
DVと同じである

体罰に対する批判が強まって
一時的にこうした傾向は減るだろうと思う
でも体育系クラブの体質としての根は深いだろう
さらに心配なのは
虐待・いじめ・DV・パワハラなどがそうであるように
肉体的な暴力だけが暴力ではないという点だ
言葉や態度による精神的な追い詰めを
指導者は「試練を科す」の名の下に行なっていないだろうか
これは暴力ほど明確に表に出ない分対応が難しい

今回も保護者は異変に気づいていたし
指導者と話し合うことも行なっている
でもやっぱり保護者が直接学校に意見を言うのは
一般的にはなかなか難しいことだと思う
まして自分の子どもじゃないとなれば
出来るだけ波風立てたくないと思うのは人情である

であればこれはもう
匿名で苦情や訴えができる第三者機関を作って
ことの真実や実体を見極めたり
異常な状態であることを認識させたりする必要が
あるんじゃないだろうか
学校と生徒・保護者の間に入って
様々なトラブルに対処する専門機関である

システムそのものを変えようとしなければ
既存のシステムで生じるトラブルは
決して消えることはないのである

2013年1月12日土曜日

昨晩の不条理な夢

一仕事終った気分で歩いていると
真正面のちょっと離れた場所に
金髪の若い女性がいる

彼女はスカート姿だったが
暑いのだろうかそのスカートを両手で持ち上げて
無防備に自分自身をバサバサと扇ぎ始めた
当然スカートの中は丸見えである

そんな体育の後の女子高生みたいな行動に
面食らって立ち尽くしていると
彼女の視線がわたしを捉えて
あたしのパンツ見たでしょ!とでも言うように
ワケの分からない言葉でわたしに食って掛かってきたのだ

そんな目の前で勝手にスカートめくり上げておいて
見たでしょ!はないだろうと思っていると
じゃあわたしが困っていることを何とかして
みたいなことを言ってきたのである…たぶん

「じゃあ」って何だよ…と思いつつ
その困っていることを見せてもらうと
彼女はレジのような機械に向って
何やら紙を投げつけているのである
そして

「知人にFAXを送りたいんだけど、何度やっても送れないのよ。」

と言うようなことを伝えてくる

わたしはその機械じゃFAXは送れないし
まして送信する紙をただ投げつけていては
FAX送信機があってもダメだろうと思いながら
その紙に書かれている受取人の電話番号に電話してみる

すると会社の受付嬢のような女性が電話口に出る
とっさにわたしはFAXの受取人の名前を見ながら

「先ほど○○さんからご連絡いただいたのですが、いらっしゃいますでしょうか?」

と切り出す
でも○○さんは今日はいないようなのだ 
残念…この混乱した女性のことを
知り合いでありそうな先方に伝えることはできなかったか…
どれほど大切な文書かはわからないが
今のままでは恐らく一生
文書はあなたの手元に届かないであろうに

電話を切ると女性は目の前から姿を消している
と同時にわたしは全面ガラス張りのビルの中で
建物から建物へと渡されている
細長い連絡通路の中にいることに気づく
たぶん有名なIT企業か何かの本社ビルの中なのだろう

するとその通路の向こう側から
さっきの女性が片手に拳銃を持ち
人質を取ってゆっくりこちらに歩いてくるのだ
時々振り返って周りを牽制しながら…
そして会社の社員だろうか警察関係者だろうか
彼女と人質を遠巻きにしながら
大勢の人間が後からゆっくりと着いてくる

その時わたし自身はもう消えていて
女性と人質の二人を天井付近から見下ろしている
2人をメインに捉えながら
後方に後を追う人々をきっちりフレームに入れているという
緊張感溢れるカメラアングルだ 

カメラが下がると画面の手前側
前を行く2人のすぐ目の前が崖になっていることがわかる
そしてあっと言う間もなく
人質を残して彼女だけ崖から落ちてしまう…
と思ったら彼女はアゴをかろうじて通路の縁にひっかけたので
首がゴムのように延びながらも
崖から落ちずにぶら下がっているのだ…

ギャグか?…それともホラーか?
シリアスなサスペンスドラマじゃなかったのか?
最初のスカートめくりは
007シリーズにあるような
ちょっとしたお色気場面のつもりだったのか?
と頭を混乱させていると…

目が覚めた…

意味が分からん
特にあの女性のやりたい放題ぶり

ウクレレの弦を張り替えたのだ

本当はお正月のイベントとして考えていた
ウクレレ弦の張り替え作業に
今日やっと手を付けることができたのだった

購入したのが2009年春頃で
以来一度も弦を張り替えてなかったので
もう4年近くになるのだ
さすがに長過ぎであろう

まずは弦を取り外してホコリを拭き取る
フィンガーボードやサウンドホール近辺の
弦が張ってあると掃除しにくい部分を
特に念入りにきれいにする

そしてフィンガーボードには
レモンオイルを塗った
汚れ落しや艶出し保湿に役立つとのこと


そしていよいよ弦を交換である
新しい弦も今までと同じAquilaにした

これはナイロンでありながらガット近いサウンドを生み出す
ナイルガット弦と呼ばれるもので
ゲージが太めでテンションが高め
そしてくっきりした伸びのある音を出してくれる


新しい弦を張っても弦はしばらく伸びるので
ピッチが安定するまでには時間が必要である

結局本年度初回のウクレレ・レッスンまで3日と
予想通り直前での弦交換になってしまったけど
ここで延期するとまたいつになるかわからないから
思い切って交換してみたのだが
気分的にもスッキリしたのであった


ちなみに今回弦交換に踏み切れた要因の一つに
アコースティックギターの修理っていうのがある

中一くんが最近ギターに興味を持ち出して
ずっと放りっぱなしだったわたしのアコースティックギターを
少しずつ触り始めていたのだ
そうして何かにぶつけたらしく
ボディートップの端にキズをつけてくれちゃったのだ


彼はたいそう申し訳なさそうにしていたが
わたしもギターをまた弾いてみたくなっていたので
楽器屋さんに持っていって
ちゃんと修理してもらおうと思ったのだ
 
そこで古い弦を外したのである 
するウクレレも弦を交換するな今だな…という気持ちになり
ウクレレ弦はすでに家にあったので
見事速攻で交換完了となったのであった 

さてウクレレは弦が落ち着くまでの様子見である
アコースティックギターは
明日か明後日にでも楽器屋さんに持って行って
復活に向けて弦をゲットしておこう

こうして楽器や音楽のことだけ考えながら
動き回っているのは
何だかとても心地よいのであった