2010年5月26日水曜日

口蹄疫とホロコースト

今回の口蹄疫の問題には
何かこういたたまれないものがある
それは台風や地震などと同様に
人の手で防ぎ切れない
ウイルスという大きな力に
ねじ伏せられるような
無力さを感じさせられるからかもしれない

苦労して手間ひまをかけて愛情を注いで
積み上げてきたものが
一瞬にして無に帰してしまう残酷さ
  
細かいことを言えばきっと
その段階段階での関係者の認識や判断や対応には
いろいろな視点から議論の余地はあるのかもしれない
でも誰一人として
口蹄疫が広がることをよしとしている人なんていないのだ
誰もがただただうろたえ悲しみ苦しんでいるのだ

畜産農家だけではない
普段はその命を賢明に守る仕事をしている獣医たちも
今回は命を奪う仕事を与えられているのだ
それを思うだけでもやりきれない

そうした加害者のいない悲劇である点では
物事が本質的に全く違うことは重々理解した上で
非常に衝撃的だったものがある
  
それはあの殺処分された累々たる牛や豚の死骸と
それがショベルカーやトラックでゴミのように動かされ
大きな溝のような穴に
一度にそして大量に埋められようとしている映像である

わたしはそこに
文章や絵や写真でしか知らなかった
戦争時のホロコーストの姿をだぶらせてしまったのだ

折しもNHKで1945年3月10日の東京大空襲とは別に
5月24日・25日にあった山の手大空襲が取り上げられていた
死体は山のように積み上げられたと言う

わたしが感じたショックは
こうした言わば“知識”だったものが
あの殺処分された累々たる死骸の山の映像を見て
少しだけ“体感”した結果だと思うのだ
あれが動物ではなく人間であったことが
これまでの歴史上現実として多々あったのだ…

殺処分を安易なヒューマニズム的に非難しているわけではない
もちろんそうした思いを
心のどこかに痛みとして感じることは大切なことだと思う
しかしわたしが受け取ったものは
そうした動物への思いではない
すでに口蹄疫の問題そのものとも全く関係ないのだきっと

あまりに数が多過ぎて
ゴミを扱うように
ブルドーザーやショベルカーで
死骸を扱わざるを得ないという事態が
絵や写真でも記録映像でも映画でもなく
今この日本で現実に起こっているという映像は
わたしの中で
改めてホロコーストの凄惨さを
“感じさせる”ものだったのである