今回の口蹄疫の問題には
何かこういたたまれないものがある
それは台風や地震などと同様に
人の手で防ぎ切れない
ウイルスという大きな力に
ウイルスという大きな力に
ねじ伏せられるような
無力さを感じさせられるからかもしれない
苦労して手間ひまをかけて愛情を注いで
積み上げてきたものが
一瞬にして無に帰してしまう残酷さ
無力さを感じさせられるからかもしれない
苦労して手間ひまをかけて愛情を注いで
積み上げてきたものが
一瞬にして無に帰してしまう残酷さ
細かいことを言えばきっと
その段階段階での関係者の認識や判断や対応には
いろいろな視点から議論の余地はあるのかもしれない
でも誰一人として
口蹄疫が広がることをよしとしている人なんていないのだ
誰もがただただうろたえ悲しみ苦しんでいるのだ
畜産農家だけではない
普段はその命を賢明に守る仕事をしている獣医たちも
今回は命を奪う仕事を与えられているのだ
それを思うだけでもやりきれない
そうした加害者のいない悲劇である点では
物事が本質的に全く違うことは重々理解した上で
非常に衝撃的だったものがある
それはあの殺処分された累々たる牛や豚の死骸と
それがショベルカーやトラックでゴミのように動かされ
大きな溝のような穴に
一度にそして大量に埋められようとしている映像である
わたしはそこに
文章や絵や写真でしか知らなかった
戦争時のホロコーストの姿をだぶらせてしまったのだ
折しもNHKで1945年3月10日の東京大空襲とは別に
5月24日・25日にあった山の手大空襲が取り上げられていた
死体は山のように積み上げられたと言う
わたしが感じたショックは
こうした言わば“知識”だったものが
あの殺処分された累々たる死骸の山の映像を見て
少しだけ“体感”した結果だと思うのだ
あれが動物ではなく人間であったことが
これまでの歴史上現実として多々あったのだ…
殺処分を安易なヒューマニズム的に非難しているわけではない
もちろんそうした思いを
心のどこかに痛みとして感じることは大切なことだと思う
もちろんそうした思いを
心のどこかに痛みとして感じることは大切なことだと思う
しかしわたしが受け取ったものは
そうした動物への思いではない
すでに口蹄疫の問題そのものとも全く関係ないのだきっと
そうした動物への思いではない
すでに口蹄疫の問題そのものとも全く関係ないのだきっと
あまりに数が多過ぎて
ゴミを扱うように
ブルドーザーやショベルカーで
死骸を扱わざるを得ないという事態が
絵や写真でも記録映像でも映画でもなく
今この日本で現実に起こっているという映像は
わたしの中で
改めてホロコーストの凄惨さを
“感じさせる”ものだったのである