2010年5月3日月曜日

ミュージカル映画「雨に唄えば」

  
雨に唄えば」(Singin' in the Rain)は1952年制作のハイウッド・ミュージカル映画の傑作中の傑作。人気スター、ドンにジーン・ケリー(Gene Kelly)、友人でピアノ弾きのコズモにドナルト・オコーナー(Donald O'Corner)、そしてドンの恋人となるキャシーに当時19歳のデビー・レイノルズ

そしてドンの競演相手で自分勝手な役どころながら、見事に“変な声”と“聞きづらい発音”を演じてみせるリーナにジーン・ヘイゲン(Jean Hagen)、物語の劇中劇「ブロードウェイ・バレー」シークエンスで 一言もしゃべらずに悪女ぶりを印象づけるシド・チャリシ(Cyd Charisse)。もう鉄壁の布陣という感じ。

ストーリーは無声映画からトーキーへ移り変わる過渡期を背景としていてたコメディー。ドンと名コンビを組み、宣伝用として“恋人”ということになっていたリーナは、実はトーキー向きでない声の持ち主で、演技もトーキー映画になかなか切り替えられない。それにも関わらず無声映画時代の人気をたてに、わがままを通そうとすることで起こるドタバタだ。実際にそんなこともあったんじゃないだろうかと思わせる設定なのが上手い。

その現実味のある設定があったからこそ、後はご都合主義的に小難しいストーリーを排すことができ、徹底的に歌と踊りのシークエンスを重ねることで、明るく楽しく魅力たっぷりな傑作が生まれたんじゃないかと思うのだ。

何と言ってもジーン・ケリーの雨の中のダンス・シークエンスが有名。街灯が灯る夜の石畳通りのセット、レンガ作りの家々、輝くショーウインドウ、激しく降る雨、水たまり。すべてを使って、ジーン・ケリーが見るものを惹き付ける。

雨の中で唄い踊ると言う、喜びの感情の表現の豊かさ。人を好きになった時の抑え様のないウキウキ感が見事に表現される。最後に警察官が登場し、はしゃぎ過ぎた自分が我に返るところでシークエンスが終わるのもうまい構成だし、それでも傘をささずにすれ違う見知らぬ人に、自分の傘をあげてしまうエンディングは、まだ抑え切れない気持ちの高ぶりが感じられるステキな演出だ。それら全てを自然に追いかけて行くカメラワークも素晴らしい。

しかし見所はそこだけではない。比較的がっしりしたジーン・ケリーとは対照的に、ひょろっとしたドナルド・オコーナーのダンス。落ち込んだドンを励ます「Make 'em Laugh(みんなを笑わせよう)」の、縦横無尽に動き回る楽しさ一杯のソロ・ダンス・シークエンスの素晴らしさ。

ニコニコ笑顔の表情が魅力的であるジーン・ケリーだが、逆にそのイメージだけが強いのに対し、ドナルド・オコーナーのひょうきんで豊かな表情と演技はダンス共々対照的。そしてそこに見られる圧倒的なダンス技術の高さと、周囲の人たちの動きとの見事なタイミングの取り方。

さらに二人が魅せる、いくつのもコンビダンス・パフォーマンス。体全体でダイナミックに見せる「硬」のジーンと、安定した下半身にカラダを乗せて柔らかに滑らかに動く「軟」のドナルドの、見ているだけでウキウキしてしまう魅力。CGとかSFX、VFXでは到底再現できない、身体を鍛え技術を積み重ねてたどり着いたプロのダンスの境地。

華麗で一糸乱れない二人のノリノリなタップダンスだけでも凄いのに、二人が絶妙に掛け合い、バイオリンやイスや机といった小物も使って、綿密に動きを計算し、幾度となく練習して初めて出来上がったであろうシークセンスの数々。どれも完成度がむちゃくちゃ高い。ごまかしの一切ない、本当の芸、本当のパフォーマンスである。

そして天才的ダンサーに挿まれながら、溌剌としたダンスを披露するデビー・レイノルズも可憐で魅力的だ。3人で踊る「Good Morning」の場面も見劣りしない動きでついていくし、ジーン・ケリーと二人で魅せる「You are meant for me」のスローなダンス・シークエンスもしっとりとしていい。

加えて劇中劇として登場する「パ・ドゥ・トゥ」というバレー・シークエンスにおける、ジーンケリーとシド・チャリシのダンス。その舞台の幻想的な雄大さ。強い風により常に吹き上げられはためいている、シドが左肩につけている長い絹のような布地。それを使って見事な空間演出を見せてくれるのだ。この布のダンスの上での使い方も巧みだが、風による布地のコントロールも見事。

どうしても細かく素早い動きでカメラも寄りがちな、タップダンスを主体としたダンス・シークエンスと異なり、このゆったりした雄大な演出によるバレーダンス・シークエンスは、見事なコントラストとして、作品の奥行きを深めていると言える。

とにかく全編スキのないダンス。それでいて見ている人を緊張されるのではなく、リラックスさせ明るい気持ちにさせてくれる映画だ。
  
各人が見せるダンスは、アナログテクニックの頂点であり、デジタル映画全盛の今だからこそ、逆にこの凄さを再発見・再評価したい傑作である。

少なくとも今では逆立ちしても、こんなステキなダンス映画は作れないだろう。ハリウッド映画の俳優はタップダンスが踊れなきゃ話にならない、日本映画の俳優は殺陣ができなきゃ話にならない。そんな時代に作られた永遠の遺産だ。