語り手の女性とその父親に、その経緯を説明する場面。
娘の命を奪うことになるミラーカだが、
出会ったばかりの将軍は娘の友達にぴったりだと思っている。
ところが祝宴の中でミラーカを見失ってしまうのだ。
その後にやっと見つけたくだりでの一言である。
Would to heaven we had lost her!
この訳がなかなか難しかったのだ。
文法的にうまく説明できないのだ。
それは参考にしている三種類の訳が
バラバラなことからもわかる。
▼平井呈一訳:
いやもう、すんでのところで迷子になるところじゃったよ。
▼ネット上で見つけた訳 <その一>
彼女を失ったままならわたしたちは天に召されたことだろう!
▼ネット上で見つけた訳 <その二>
僕らがどんなに喜び合ったことか。
どれも文章そのものの解釈は放棄し、
文章に含まれる単語などを使って
そこまでの話の流れから導き出した訳っぽい。
だから見つけたことを肯定する無難な内容である。
しかしこれは違うのだ。
Would that ...=〜であればなあ。
to Heaven=ぜひとも( 〜であって欲しい)
という表現の組み合わせでthatが省略されたものなのだ。
ということがやっとわかったのである。
つまりここの訳はこうなる。
あの時見つからなければ良かったのだ!
そう、その後の悲劇を知っている将軍は、
確かにその時はミラーカが見つかったことを喜んだのだが、
今思えばあの時、見つからないで終わっていたら、
娘を失うこともなかったのだ、と言っているのだ。
悔いと嘆きの一言なのだ。
こうして、見つかったことを喜ぶような流れを
この一文でひっくり返しているのである。
これは淡々と経緯を振り返っている文章の中で、
実に強烈で意味のある一文なのだ。
だから最後に!がつかないといけなかったのだ。
こういうところを見つけると、
新訳による全訳に挑戦している身としては
やったぜ!っていう気持ちになるなぁ。
でももちろん自分が一番などとは思ってないのだ。
こうした先人たちの訳を見れば
ああそうかと感心し、これで良いのかと安心する。
積み上げてもらったその先を
ちょっとだけ良くさせていただいている感じなのだ。
特に最初にゼロから訳した平井氏は
やっぱりすげえのである。
でももちろん自分が一番などとは思ってないのだ。
こうした先人たちの訳を見れば
ああそうかと感心し、これで良いのかと安心する。
積み上げてもらったその先を
ちょっとだけ良くさせていただいている感じなのだ。
特に最初にゼロから訳した平井氏は
やっぱりすげえのである。