2015年1月28日水曜日

外国人に認められないと不安で仕方ない日本という国

2011年に東日本大震災が起きた。
被災した方々だけでなく、日本に住んでいる人の多くが
この同じ日本で暮らしていた人が
信じられないほどたくさん一瞬にして亡くなったことに
大きなショックを受けた。

さらに原子力発電という安全神話が崩れ
これからのエネルギー生活への不安のみならず、
これまでの日本のあり方自体に不信が高まった。

さらに2012年の尖閣諸島国有化前後から
領土問題で痛烈かつ執拗に
隣国から非難されつづけるようになった。
これもまたこれまでの日本の歴史的なあり方、
つまり歴史的事実やその扱い方に対して
漠然とした不信や不安が高まることになった。
暴力的・感情的な言動は、不安の裏返しである。

それは
外国人に日本を褒めてもらう番組が
近年やたら増えていることに顕著である。
日本人のアイデンティティーみたいなものが
大きく揺らいでいて、
自分たちだけでは自信も無くして不安で仕方ないので、
外側(外国人)から、
褒めて、認めて、安心させて欲しいのである。

決して東京オリンピックを控えての
自信や意気込みの現れなんかではない。
そうやって崩れそうな精神的バランスを
どうにか保っているのが、今の日本なのだ。

むしろ東京オリンピック招致自体、
外国人に日本を認めてもらったしるしとして
やっきになって勝取ろうとしていたに過ぎない、
そんな気さえするし。

で、わたしはこの手の、外国人による
日本ベタ誉め番組が大嫌いである。
  
個人的にいろいろあったから、
こういう社会全体の不安な心理というのも
ワタシ個人の体調や気持ちに大きく影響していると思う。
でも安易に外国人に褒めてもらって喜んでいるような
そんな弱々しい態度ではいたくないのである。
  
さらにここで人質殺害事件まで起きた。
日本人はこれまで、何となくではあっても
戦争に巻き込まれたり、テロの標的になることなく、
うまく立ち回れると思っていたから、
人々の間に、さらに言い知れぬ不安が高まるはずだ。

もう外国人に褒めてもらうのも限界かもしれないな。
自信が持てない日本はどうなるのか。

結局のところ、不安に耐えつつも
自分の毎日の生活を堅実に誠実に送っていくしか
手はない気がするんだけど。