翻訳作業中は、楽しいながらも苦しい。
きちんとしたものに仕上げたいと願いつつ、
いつかはたどり着くことを信じて、
遅々として進まない日々の作業に耐え続けるのだ。
でも翻訳が終わり、本が出版されると、
また次の本を訳したくなってくるのである。
貧乏性なんだろうか、ワタシ?
ここ数日あれこれ検討したところで、
今現在の候補として上がっているのは、
「アラビアン・ナイト」
「拝啓 敵さま(続あしながおじさん)」
「ドリトル先生航海記」
「太陽の東月の西」
「怪盗ルパン」
「ポリアンナ」
「白い象の伝説」
「たのしい川べ」
あたりかな。
この中で、「拝啓 敵さま」は
「あしながおじさん」より面白いという評価も多いながら、
当時の優生学思想の影響を受けた差別発言が多いし、
「ドリトル先生航海記」も
ドリトル先生シリーズの代表作と言われながらも、
インディアン(アメリカ先住民族)や黒人に対する偏見や
植民地主義を肯定するような展開が気になる。
それを、「あとがき」や脚注などで
時代背景などからきちんと説明することで、
作品のほかの魅力を尊重して、
さらに、当時という時代をきちんと伝えるためにも、
あえて受け入れることにするのか、
それとも
作品や主人公自体が魅力的だからこそ、
差別表現や偏見がそのまま読者に
伝わってしまうことを危惧して断念するのか、
大いに悩むところなのだ。
もちろん本文に関しては
差別表現部分を削除するとか改変するみたいなことは
著作権上許されないから、
できることは、翻訳の上で選ぶ日本語を
当たりの柔らかなものにするくらいしかない。
「砂の妖精サミアド」でも
インディアンが登場する部分にかなり解説を入れたが
上記の2作は、分量的にも思想的にも比ではないからなぁ。
では封印すべきなのか、と言うと、
それもまた違うように思うのだ。
ああ、悩ましい。
でも一つの大きな基準は、
作品の価値とか社会的な影響とかがどうこうよりも、
いろいろな意味で社会的弱者に近いところにいる
今のワタシが
楽しく翻訳作業をできるか、だろうな……。
もう少し考えてみよう。