「…まだまだのびしろがある小学4年生…」
と今日の新聞のある記事に書かれていた
う〜ん何か変じゃないか?
こののびしろ(伸び代)って言葉は
2005年前後からスポーツ界で使われて広がったらしい
確かに最近目や耳にすることが多い気がする
確かに最近目や耳にすることが多い気がする
「能力を出し切ってはいず、まだ成長する余地があること」
(Goo辞書)
っていう意味はまぁわかるんだけど
でもこれからどう大きく成長していくか未知数な
非常に力のある人や年齢的に若い人に使う言葉かなぁと思うのだ
もうある程度成長なり成果なりを果たした人に向って
いやこれで100%とかここが限界とかとか言うわけではなく
まだ伸びる余地は残っていますよって感じで
使うような気がするんだが
つまりこの“まだ残っている”っていうところが
この言葉に含まれるニュアンスだと思うのだ
そこには“能力を出し切っているように見えたとしても”とか
“今後劇的に伸びたり化けたりすることは難しいにしても”
っていう含みが感じられる気がするのである
だって「しろ(代)」って「余地/余白」なんでしょ?
今まで伸びて来た延長線上に
もう少し先まで行けそうだって感じじゃないの?
もっと言えば「のびしろがある」って言うことは
「結構限界に近づいている」とも
暗に言っているようなものなんじゃないか?
「君にはまだのびしろがある。」と言われたら
という感覚を抱いていると
「のびしろのある小学4年生」っていうのは
失礼というか可哀想というか
何だかとてもひどい言い方なんじゃないかって
気がしちゃうのである
いくら「まだまだ」とか付けたとしても
それとその人の能力を見切ったような
ちょっと尊大な雰囲気が漂っているのも
イヤな感じであるし
わたし間違っているんでしょうかしら?
今まで伸びて来た延長線上に
もう少し先まで行けそうだって感じじゃないの?
もっと言えば「のびしろがある」って言うことは
「結構限界に近づいている」とも
暗に言っているようなものなんじゃないか?
「君にはまだのびしろがある。」と言われたら
「え〜!オレはもう余白程度の伸びしか期待されていないのか…」
って思っちゃいそうであるという感覚を抱いていると
「のびしろのある小学4年生」っていうのは
失礼というか可哀想というか
何だかとてもひどい言い方なんじゃないかって
気がしちゃうのである
いくら「まだまだ」とか付けたとしても
それとその人の能力を見切ったような
ちょっと尊大な雰囲気が漂っているのも
イヤな感じであるし
わたし間違っているんでしょうかしら?