以前にも書いたけど
ニュースやドラマで悲惨な話を目にすると
その被害者への共感が強過ぎて辛くなるのである
自然とその心身の痛みの瞬間を想像し
そのイメージを追い払えなくなる
時にはその悲惨なイメージが膨らんで
もっと凄惨な想像までしてしまう
ちょっと歯止めが効かない感じだ
例えばテレビで事故の報道があると
被害者の痛みや苦しみを想像して身体がすくむ
関係者の悲しみを思って居たたまれなくなる
ドラマでちょっと拷問的な場面があると
もっとひどい拷問が頭に浮かんでくる
およそ人は想像できるあらゆる拷問を
実際に行なってきたなんて言葉まで浮かぶ
こういう不安定さというのは
自己嫌悪とか無気力とかといったものとは違う
普通なら押し返せるこうした恐怖イメージを
押し返すだけの精神的な力がなくて
逆に押し込まれてしまうみたいな感じなのだ
安定剤は体調の不安定さに多少効いていた気がしていた
でもそれも実感できなくなって断薬した
それはそれで正解だったと思う
でも本来なら今抱えているこのような不安を抑え込むのに
安定剤が有効なんじゃないかと思うのだ
もちろんもう飲まないけども…手元にももうないし
ただ体調が以前よりは落ち着いてきて
むしろこういう不安感をより自覚するようになったことは
生活面でもちゃんと意識しなきゃいけないと思うのだ
例えば暴力的な描写や悲劇的な物語に接することは極力避けるとか
心落ち着くような時間を大切にするとか
今のわたしは
寝たきりだった病人がやっと起き上がって
寝間着姿で髪の毛ボサボサのまま生活し始めたぐらいの感じだろう
取りあえず熱は下がったし何か食べようという気にもなった
でもまだ急に飛んだり走ったりすることは無理なのだ
弱った心にそれだけの力はまだない
自分に甘えているのかとまた自分を責めそうになるが
この精神的な不安定さは
気力とか気合いとかで乗り越えられるものではないと思う
よく映画やテレビドラマなどで
過去のトラウマを乗り越えるみたいなテーマがあったりするが
「おぉぉぉ!」とか叫んで突撃したり
「自分に打ち勝つんだ!」とか自らを鼓舞したり
「今ここで乗り越えるのよ!」とか叱咤激励されたりして
克服できるような簡単なものじゃないのである
心にエネルギーが満ちるには
まだ時間がかかりそうである
のんびり行くしかないのだなぁ