2014年9月15日月曜日

「思い出のマーニー」の残念なこの一点

そろそろ「思いでのマーニー」について書いても
もう大丈夫かなぁと思うので書くのだ。
ちょっと残念なところに触れるので
今まで遠慮していたのである。
と言うよりは時間とエネルギーが無かったからなんだけど。

まず感じたのはメインの二人のキャラクターが

可愛さや大人っぽさの点で
今までの純真無垢なジブリ作品の美少女たちと
大分印象が違うということだ。

同時に男女の物語は無いところに

今までのようなワクワクドキドキは感じられない。
“なりふりかまわない”という
ジブリらしさが見られないのである。

その代わりちょっと引いたような構図で、

ちょっと冷めたような視線を感じさせながら
淡々と物語が進んで行く。
それが逆にとても新鮮な感じがしたのだ。
建物や風景が、人物と同じくらいに訴えかけて来るのだ。




原作は長編で、アンナの気持ちの変化やマーニーの謎が
じわじわと明かされていくのだけれど、
そこに海辺の荒涼とした世界などの描写が、
効果的にはさまれる。
それと同じ世界を100分の物語に期待するのは酷であろう。

だから原作と切り離した100分の物語とした時に

それでもワタシはどうしても残念でならないことが
一つあったのだ。
もちろんそれも上記の理由と同じで
限られな時間の中で省いたり変えたりしなければならないという
仕方の無いことだったのかもしれないのは分かっているけれど。

それは何かかと言うと、

マーニーのことが語られる場面が、
“真っ昼間の立ち話”だという点である。

どうしても説明的な語りが多くなってしまう部分であるが、

それがとても長い立ち話になるのだ。
せめて腰を下ろして語り、聞いて欲しかった。
それも、できることなら落ち着いた部屋の中で。
風景や背景に語らせる映画だからこそ
その部分の“場所”や“雰囲気”にこだわってほしかった。

“真っ昼間の立ち話”のために物語全体のスケールが小さくなり
前半の幻想性が尻つぼみになってしまった感すらあった。

でもワタシは「思いでのマーニー」、好きである。

セル販売したら買っちゃうと思う。