2016年1月13日水曜日

もう疎外感に苦しまなくても良いかもしれない

定年になると一気に疎外感を感じると言う。
それまで所属していた場所もなくなり、
自分についていた肩書きも消え、
仕事で結びついていた人間関係も終わるから、
自分と社会との接点が見つからず、
孤独感と疎外感を感じるのだと言う。
  
定年という決められた予定であってもそうなのだ。
それがダウンという突然のリタイアだったのだから、
ショックの大きさは並大抵のものではなかった。
  
さらに仕事を投げ出したという自己嫌悪も重なったから、
社会との接点がなくなったというより、
自分のせいで社会から切られてしまった、あるいは
社会の荒波について行けずドロップアウトしてしまった、
みたいな、何とも辛い、悶々とした日々が続いたのだ。
  
おまけに体調は最悪だったし。
  
その後突然趣味でCGを描くようになり、
やがて出来上がったものを売るようになっても、
あまりに細々としたものだったので
社会と繋がっている感覚はそれほど持てなかった。
  
それがちょうど二年前の今頃、
翻訳本の電子書籍販売というのを突然思いついたのだ。
   
パブリックドメイン作品があることは知っていたし、
電子書籍を販売できる仕組みができたことも知っていたが、
初めてそこで両者が結びついたのである。
  
以来、連日取り組む〝仕事〟ができ、
完成品がAmazonに次々と並ぶようになり、
それらが継続的に売れ続けているのだ。
加えて販路もKobo、BOOK☆WALKERと広がった。
  
そしてふと気付くと、
以前の疎外感が、もうあまり感じられなくなっていたのだ。
   
もちろん電子書籍の売り上げはまだまだ微々たるものだから、
収入的にはほとんど変わってはいないんだけど、
自分に〝やるべきこと〟ができて
その結果としての本が目に見える形で世の中に出て行って、
連日、売れたかどうかというはっきりした数字として
フィードバックされてくるというのが
社会とのつながりを実感させてくれるのだと思う。
  
自分のアイデアと能力と努力で生み出したものが
社会に受け入れられ、社会の役に立ち、
社会のどこかで確実に必要とされている。
そう思えるようになったのだ。
   
体調だって安定しないし、
自己嫌悪や雑念に苦しむことも少ないくないし
まだまだ色々な意味で格闘は続いているが、
それでもこれは凄いことである。
   
翻訳を始めたのがダウンから5年半後。
こんなことが書けるようになるまで
ダウンから7年半かかったのだなぁ。