2014年9月29日月曜日

ようやく体調が落ち着いた月曜日の夜

昨日から微頭痛が続いていた。
昔からの吐き気を伴う頭痛だ。ちょっと頸痛もしていた。
実は週末はずっとそんな感じで、
それでも一日閉じこもって翻訳仕事をしていたので、
昨晩はちょっと大変であった。
頭痛に加えて目の周辺が痛くなったのだ。

たぶん目の疲れがピークだったんだろうけど、
熱を出したりした時のしょぼしょぼした感じにも似ていた。
だから風邪薬を飲んで寝たのだが、今日も変わらず…。
この、朝起きても不調が改善されていないっていうのは、
なかなかショックである。
でもダウン以来、ワタシ的には良くあることだ。

そして昼間ずっと不調のままで、
夕方になって復調するというのも良くあるパターンである。
今日もそうであった。
どうも調子が上がらないので
思い切って午後は風邪薬を飲んで冷えピタ貼って寝ていたのに、
昼寝から冷めてもまだ不調…。またかよって感じだったのが、
日が暮れる頃に急に復調してきたのだ。

昔ほど寝込んだり悶え苦しんだりすることはない。
でも不調はやっぱり苦しい。意欲も減退するし。

目の疲れを溜め込まないようにして
今日も早寝しようっと。

ちなみに「ハイジ」は後半のクライマックスだ。
筋だけ追えばご都合主義的にも思えるのだが、
そこに至る心の動きの描写が素晴らしい。
誰もが単純に「良い人」か「悪い人」というわけではなく、
良い面(時)も悪い面(時)もある、
「そういう性格の人」として描かれているのも良いのだ。

疲れるのは疲れるのだが、
今は「ハイジ」の物語に救われているのかもしれないなぁ。

忙しい10月がやってくるのだ

当初8月中の発行を目指し、
急遽CGのお仕事が入った後は9月中を目指していた
長編「ハイジ」の翻訳も、
10月半ばあたりまでずれ込みそうな感じなので、
忙しい10月がやって来るのである。

残り約二章だから、翻訳はたぶん今週中に完了する。
そうすると第2〜3週あたりで校正&編集だ。
何とか発行できた頃には、
もう25日のホイケ(ウクレレ発表会)直前である。

このホイケは演奏時間はわずか3〜4分だし、
内容的にも無図か良いことはないから
女装して初出場だった昨年に比べればまだ楽である…
メロディーソロを入れようなどと
いきなり頑張らなければ、だ。

自分で自分の首を絞めている感じだな。
まぁ無理しないで行きたいが、
明後日スタジオでリハーサルをする時に
どんな方向に行くか分かるのである。

そしてホイケが終って2週間後に
今年最後のイベントである
デザインフェスタがやって来るのだ。
気づけばもう11月ってことですよ。
今すでにハロウィーンの飾り付けを目にするが
その頃はもうクリスマスの飾り付けだ。

う〜ん、時が過ぎて行くのが速いなぁ。
去年もやたら忙しかったが、
今年もけっこう大変である。
でも今はそうやって動けることが嬉しいのである。

2014年9月26日金曜日

「ハイジ」独書到着!

Originalausgabe illustriert von Rudolf Münger
(ルドルフ・ミュンガーの挿絵によるオリジナル版)

表紙にそう書かれている独書「Heidi」が到着した。
もちろんドイツ語は読めないけど、
この挿絵が手元に欲しかったのだ。

全334ページの大著である。
デジタルテキストだと実感がわかなかったが
(それでも長いとは思っていたけど…)
リアル本で見ていたら翻訳に躊躇していたかも、
と思わせる厚みである。

それもあと一週間くらいでメドが立つかも。
ここ2〜3日が、「ハイジ」翻訳の山場となりそうだ。



2014年9月25日木曜日

ルドルフ・ミュンガーの「ハイジ」

「ハイジ」は1880年に執筆され、
匿名で出したにもかかわらず評判を呼び、
翌1881年に続編が書かれ、
今は両方をセットで「ハイジ」の物語となった。
前半の展開の速さに比べ
後半にどこか“後日譚”的な落ち着きがあるのは
そういう理由によるものなのだろう。

すぐに英語やフランス語に翻訳され

各国でベストセラーになったと言うことなので、
その挿絵もいろいろな人が描いている。
今回使おうと思っているJ.W.スミスのものも有名らしい。

そんなハイジの挿絵を何気なく探していたら

初期のものとしては、1916年出版の本の挿絵として登場した
シュピーリと同じスイス出身の
ルドルフ・ミュンガー(Rudolf Münger)のものがある…
ということを初めて知ったのであった。

現在一番人気らしいパウル・ハイ(Paul Hey)の挿絵は

1929年発行の本からで、
引いた構図を多用してアルプスの風景の中に登場人物を置いた
実に物語に沿った美しいもので、お気に入りなのだが
まだパブリック・ドメインにはなっていない。

それと比べるとミュンガーの挿絵は素朴で
構図的な変化にも乏しい(舞台を見ているようだ)けれど
登場人物や風景に変な思い入れがないところが
逆に魅力的なのである。
1916年発行なので、こちらはパブリック・ドメインになっている。

 

おんじの山小屋の様子など、実に詳細かつリアルである。
アニメのイメージは現実には広過ぎるのだ。
もちろんこぎれい過ぎる。
これくらいの狭さであろう、実際は。
これなら真冬も山の上に暮らすことの過酷さや異常さ、
つまりおんじの(村人から見た)変人ぶりも納得できると言うものだ。
  
  
ということで、ミュンガーの挿絵もぜひ使いたくなって
資料にしようと、この挿絵が使われている独書を注文してしまった。

やっぱり2バージョン同時発行かな。
そんなことってKindle(デジタル書籍)ならではであるなぁ。

2014年9月22日月曜日

デザインフェスタ No.40ブース決定!

残すところ二ヶ月を切ったデザインフェスタ No.40の
「出展者案内書類」が今日届いた。

これでブース番号がやっと分かるのである。
希望したのは明るいエリアのMブース、
さて今回の出店場所はどこか?


今までとは違う!大分違う!
まず入口(左下ショースペース近く)から遠い!
ホール端の壁ぎわである。
それに、入って右側というのも始めてだ。
今までと印象や雰囲気も違うと思う。

今までは目の前を縦横無尽に人が行き交う街の繁華街とすれば、
今回は祭をやっている村のはずれみたいな場所か。
今までは気が休まらず体調を崩した感じがあったから、
のんびり店を構えて二日間を楽しむには良いかも。

でも隣が広く開いているのだ。
大きく二方向に開いているのは前回と同じである。
従ってレイアウトも同じ感じで良いと思う。
壁を二面に建ててL字のブースだ。
広く使える点はなかなかラッキーな場所である。

さあ、楽しみになって来たぞ〜。
11月8日(土)・9日(日)の両日、
11:00 - 19:00にブースにフル出場の予定である。

2014年9月21日日曜日

ウクレレ自主練の準備

ホイケは10月後半、今から約1ヶ月後。
自主練は10月頭だから約10日後。
その後のレッスンはわずか1回である。
そんなギリギリの状況で、
ワタシなりの計画を実行しようかどうか迷っているのだ。

それは自主練で大胆に発表曲を膨らませるというものだ。
今のところ「Hopoe」を3番まで普通に歌うことになっている。
ウクレレ演奏はあくまで伴奏である。
つまり何のヒネリも無いまま
同じメロディーを3回繰り返すことになるのだ

ゆったりしたリズムにのせた悲しい曲なので、
それをじっくり聞かせるというのも良いのだが、
やっぱり単調な構成であることは否めない。
聞いている方もそうだろうけど、
演奏する側もそんな感じなのである。

もちろん歌も伴奏もまだまだ弱いから
改善していく余地はたくさんあるんだけど
もう一つモーチベーションが上がらない感じなのだ。
大舞台で披露するには地味なのだ。

そこで、その3番まで歌うという流れは残した上で、
2番と3番の間に、ウクレレだけのメロディー演奏を
全員で入れたいと思っているのだ。



この期に及んで難しいことは不可能だから、
単純に歌メロを単音で弾くだけである。
ただしハモる部分もちゃんとハモれるように
ハモり担当の人用も譜面も作ってみた。
Low-Gでないと一番低い音が出ないので、
ちょっとごまかしてあるけど、違和感はないはずだ。

2番まで歌い終わったら、ウクレレ演奏スタートだ。
みなさんがユニゾンでメロディーを弾く。
サビの部分だけ二部に分かれる。
そしてフルコーラスをワタシ一人でコードを弾いて伴奏する。
こうして気持ちをあらたにして
もう一度ラストの3番を歌って終了である。

ウクレレでメロディー弾きをしたいメンバーもいるし、
同じような歌が延々と続くよりメリハリが出て
やる方も聞く方も集中力が増す。
やっぱり演出を考えることは大事なのである。

本当はワタシがウクレレボディを叩いてリズムを取りながら
2番を全員のアカペラで歌いたいのだが、
この段階でそれは難しいだろうな。

さてどこまで本番に間に合うでしょうかしら。

2014年9月20日土曜日

「ハイジ」の表紙を試しに作ってみた

第一部が終って一息ついた感じなので、
ちょっと気晴らしにKindle本の表紙を考えることにした。
  
話を読めば分かるのだが、原作では
天真爛漫な天使のような女の子が
みんなの心を癒すっていう感じではない。

どちらかと言うと、自分を受入れてくれる人に対して
とても気を遣って、献身的に尽くそうとする子である。

8歳の女の子が成長していく話だから、
年齢的にもアニメのハイジはちょっと幼過ぎる。
もう少し女性っぽさも感じられる頃だと思う。

そのあたり、ジェシー・ウィルコックス・スミスの挿絵は
とても魅力的なハイジになっていて良いのだ。
惜しむらくは、ちょっと自然の風景が弱いかなと思うが、
それは出版社から求められていなかったとか、
そんな感じじゃないかな。

とにかくそのジェシー・ウィルコックス・スミスの挿絵による
表紙第一弾である。


やっぱり可愛いなぁ、このハイジ。

な〜こに会うと元気になる不思議

頸痛でも頭痛でも
気持ちが落ち込んでいても雑念を追い払えなくても
な〜こに会うと目の前のかすみがさっと晴れるように
気持ちが軽く明るくなるのである。本当に不思議だ。

だからこの先の見えない真っ暗な道を
一歩一歩歩いて行くことができるのである。

毎日感謝しているのである。

2014年9月19日金曜日

今日は頸痛

火曜日から一昨日にかけて左側頭部にピキンピキンと頭痛。
ウクレレレッスンの間は忘れていたのだが、
治ったかと喜んだら、レッスン後も痛みが消えていなかった。

昨日は、ピキンピキンが消えたと思ったら胃痛。
最悪の事態をギリギリ回避した後も頸痛と吐き気が続いていた。

そして今日。ちゃんと眠ったにもかかわらず頸痛と吐き気は取れず。
それも頸痛が左側から右側へシフトである。
基本的に頸痛は、強弱の差はあれども左側であったから、
この右側の頸痛というのはちょっと珍しい。
でも頭痛と吐き気を引き起こす点は変わらないけど。

一ヶ月前のコンペCG制作作業の疲れが出て来てるのかな。
涼しくなってきて夏の疲れが出る頃ではあるが、
さらに酷使した目・肩・腰と精神的ストレスの後遺症が、
ここのところ矢継ぎ早にいろいろなかたちで出ているのかも。
簡単に乗り切れないところが、今のワタシであるからなぁ。

たぶん9月いっぱいぐらいはこんな調子じゃなかろうか。
まぁぼちぼちやっていくのである。

今日は実家詣での日だ。こんな体調で行けるかな。

ハイジのように、山小屋のロフトで干し草のベッドに寝て、
丸窓から射し込む朝日で目を覚ますような生活をすれば、
ぬぐい切れないいろいろなストレスも吹っ飛んで
元気になるのかもしれないなぁ。

でもヤギの世話はしたくない(動物は好きではない)し
ヤギのお乳も飲めないであろう(牛乳ですら好きではない)。
一発大逆転みたいなことを狙ってもダメなのだ。
焦らず地道に少しずつ進んで行くしかないのである。

取りあえず温泉行きたい〜。
  

2014年9月18日木曜日

我は不定愁訴マン!

今日は子どものお弁当を作る日。
昨日材料を仕入れてあったので準備万端なのだが、
一番大事な早起きに不安が残るこのワタシ。
でも実際はいつも不安だからこそ逆に
早過ぎる早起きをしてしまうんだけど。

ということで今日も無事お弁当と朝ご飯が完成。
お弁当は豚の生姜焼き&自然解凍お惣菜だ。
  
その後いつもの洗濯物干しをしていたら、
何だか胃のあたりがかなり不穏な感じなって来たのだ。
みぞおちを軽く叩かれたような、
うぅ〜ってうずくまりたくなるような苦しさ。
でもまだうっすらとだから動けなくはない。

これはマズい、ヤバい、胃痛発作が迫っている!
そう思って急いで胃薬「ガストール」を飲む。
すると多少苦しさに波はあったものの、
それ以上悪化することは無く
その後は無事弱い胃痛も去ってくれたのであった。

危なかった…。でもやっぱり「ガストール」は頼みの綱だな。

昨日で「ハイジ」の第一部の翻訳が終了した。
一部&二部トータルで見ると、
分量的には2/3弱まで来たところだ。

一部と二部を分けて、上下巻二冊にしても良いかとも思ったのだが、
焦ることはないのである。このままじっくり最後まで訳して、
当初の計画通り一巻本で出すことにしようと思う。

でもちょっと休憩。胃痛が出そうになったくらいだから、
無理がたたっている気がするのである。
急がない,急がない。
大きく崩れて二日酔いシンドロームに苦しむことは無くなったけど、
それでもやっぱり“不定愁訴マン”であることには変わりないのだ。
今日も危うく“変身”するところだったし。

幸いレトルト・ポトフにしたお昼は、
美味しく食べられた上にお腹にも優しかったようで
その後に胃痛の気配は感じられなくなったのが嬉しいのであった。



2014年9月17日水曜日

ホイケ前の自主練決定!

来月後半にあるウクレレ・ホイケまでに
もうレッスンは一回しかないのである。
普通なら二回あるのだが、講師の先生の都合で
一回分がホイケの後になってしまったのだ。

さすがにみなさん焦り始めたようで、
今日のレッスン後に自主練の話が持ち上がった。

可能なら今レッスンを受けている部屋が借りられれば
慣れた場所だから一番良いのだが、
残念ながらレンタルはしていないんだそうな。

カラオケルームという話も出たのだが、
ソファとかじゃなくて椅子に座るか、
あるいは本番と同じように立って練習したい、ということで、
スタジオで部屋を借りることにしたのである。
椅子も譜面台もある広い空間を2時間確保できたのだ。

結局今回はワタシの経験が生きたのだ。
ドラムを習っていた時に一回だけ
近所のスタジオを借りたことがあった。
だからためらうことも戸惑うことも無く
さっとスタジオに行って、自主練日に予約を入れることができた。

慣れていなかったらもう少し躊躇して、
なかなか場所が決まらず、結局自主練のメドもたたず
みたいになっていたかもしれない。
何ごとも経験なのだなぁ。

ここでまたまた“なんちゃって講師”みたいな感じで
最後の追い込み練習をするのだ。
がんばらねば!

ちなみに今年は女装はいたしません。
その労力やストレスが大き過ぎるからである。

2014年9月15日月曜日

「思い出のマーニー」の残念なこの一点

そろそろ「思いでのマーニー」について書いても
もう大丈夫かなぁと思うので書くのだ。
ちょっと残念なところに触れるので
今まで遠慮していたのである。
と言うよりは時間とエネルギーが無かったからなんだけど。

まず感じたのはメインの二人のキャラクターが

可愛さや大人っぽさの点で
今までの純真無垢なジブリ作品の美少女たちと
大分印象が違うということだ。

同時に男女の物語は無いところに

今までのようなワクワクドキドキは感じられない。
“なりふりかまわない”という
ジブリらしさが見られないのである。

その代わりちょっと引いたような構図で、

ちょっと冷めたような視線を感じさせながら
淡々と物語が進んで行く。
それが逆にとても新鮮な感じがしたのだ。
建物や風景が、人物と同じくらいに訴えかけて来るのだ。




原作は長編で、アンナの気持ちの変化やマーニーの謎が
じわじわと明かされていくのだけれど、
そこに海辺の荒涼とした世界などの描写が、
効果的にはさまれる。
それと同じ世界を100分の物語に期待するのは酷であろう。

だから原作と切り離した100分の物語とした時に

それでもワタシはどうしても残念でならないことが
一つあったのだ。
もちろんそれも上記の理由と同じで
限られな時間の中で省いたり変えたりしなければならないという
仕方の無いことだったのかもしれないのは分かっているけれど。

それは何かかと言うと、

マーニーのことが語られる場面が、
“真っ昼間の立ち話”だという点である。

どうしても説明的な語りが多くなってしまう部分であるが、

それがとても長い立ち話になるのだ。
せめて腰を下ろして語り、聞いて欲しかった。
それも、できることなら落ち着いた部屋の中で。
風景や背景に語らせる映画だからこそ
その部分の“場所”や“雰囲気”にこだわってほしかった。

“真っ昼間の立ち話”のために物語全体のスケールが小さくなり
前半の幻想性が尻つぼみになってしまった感すらあった。

でもワタシは「思いでのマーニー」、好きである。

セル販売したら買っちゃうと思う。

2014年9月14日日曜日

ハイジ前半ののクライマックス翻訳終了!

「ハイジ」は実に良く出来ている物語である。
訳していてつくづくそう思う。
文体がどうこうとか表現がどうこうとかではなく、
展開そのものが実に良く出来ているのだ。

キャラクターもきちんと描かれているし
心情も細かく表現されている。
それも平易な言葉で書かれているのだ。
だからオリジナルがドイツ語で
それを英訳したものを日本語訳していても、
訳し切れないもどかしさはあまり感じないのである。

名作とはこういうもののことを言うのだなぁ。

結構長い話なので翻訳にも時間がかかるのだが、
やっと前半のクライマックスが終った。
次々と息つく間も無いほど事件が起る前半で、
後半部分は“その後”という感じもするくらいだから、
ある意味物語全体のクライマックスとも言える部分だ。

もう訳していても止まらない面白さであった。

さあ、少しずつだけど
CGコンペ生活という特殊な毎日から
もとの翻訳生活に戻って来たぞ。

「世界のマコさま」でゆる〜く一休み

特に朝寝坊しがちな週末は洗濯干しも遅くなりがち。
日曜日はラジオ番組「三宅裕司のサンデーヒットパラダイス」の
「世界のマコさま!」というコーナーを聞きながら
洗濯物を干していることも多い。

クスッと笑える5分程度の小ネタ投稿コーナーなのが
気軽に楽しめて良いのである。

聞き逃すとちょっと残念な感じもする力の抜ける楽しさなのだが、
何とこまめに動画(音声のみ)としてアップされていたのだった。
感謝感謝である。
山ほどある今までのストック・データがお宝に見えるぜ。



2014年9月13日土曜日

浜離宮恩賜公園のコスモス

しばらくぐずついた日が続いていたが
一転して夏を思わせる強い太陽が戻って来た昨日、
な〜こと有楽町でランチを食べて新橋まで歩き
そのまま足を伸ばして浜離宮恩賜公園へ行って来た。

まだ本格シーズン前だったけど
コスモスが咲いている一画があって
狭いながらも中々美しかった。


公園を歩き、銀座の街を歩き、さすがに疲れたと思ったら
何と1万5千歩も歩いていた。

結局この夏はほとんど家に籠ってCG制作をしていたから、
あまり夏の暑さを満喫したって感じがしていなかったけど、
昨日は、行く夏を味わいつつ初秋を感じた一日であった。

さあ9月中にハイジを仕上げるよ!
訳は同じで挿絵だけ別の画家のものを用意し
2バージョン出そうかなんて考えているところである。


2014年9月11日木曜日

自閉くんのお食事サポート

今日は始めて自閉くんが
お食事サポートを受けるのだ。
  
この春に特別支援校の高等部を卒業して、
徒歩30分の場所にある作業に通うようになった自閉くんだが、
学校生活に比べて単調になった毎日に
少し変化を持たせてあげたいと、
障がい者支援サポートを利用して、
時々夕食に連れ出してもらうことにしたのである。
今日はその第一回目なのだ。

公的に受けられる支援だけれど

実際に付き添ってくれるのは民間のサポート団体の人だ。
職場から直接連れて行ってくれて、
7時に自宅まで送り届けてくれるのだが、
3時間近くどうやって過ごすのだろうと
実はちょっと心配なのである。

食べるのは超早い。目の前に料理が出されたら5分で終る。

車で移動して、何でも横浜の方に行くらしいが
手違いなのかそれが一般的なのか、
どうやって過ごすかが事前に知らされていないのも
心配の種なのだ。

本人には、今日はお食事会だと言ってあり、

納得している風であったけど、
やっぱり誰とどこに行って何をするんだろうと
不安だろうなあと思ってしまうのだ。

でも考えてみたら、彼は強いのである。

自閉症という障害があるから
知らない国に放り出されたみたいに、
言葉はうまく通じないし、決まり事も良く分からないけど、
余計な神経を使って
オロオロ、オドオドしないでいられるのだ。

もちろん追い詰められれば困るし、声をあげたりもするけど、

我が道を行く図太さは、
今のワタシを軽く凌いでいるんじゃないだろうか。

何よりもまず、少しでも楽しんでくれて、

帰って来て聞いてみたら
またお食事会に行きたいと言ってくれると
いいなあと思う。

無事帰宅、良かった良かった。

2014年9月10日水曜日

ハイジも今苦しいのだ…

ハイジを翻訳する毎日に少しずつ戻りつつある今日この頃。
と言いますか、今日になってやっと久しぶりに、
少しまとまって翻訳が進んだのである。

今ハイジはフランクフルトのゼーゼマン家で
強烈なホームシックと戦っているのだ。
ハイジの物語の中でも読んでいて一番つらい時期である。
ロッテンマイヤー女史の厳しい目に耐え、
やっと自分を理解してくれるおばあさまが現れたと思ったら、
もう帰る時期がやって来たのだ。

家に帰ると言い出すことは恩知らずなことだと思い込み、
ハイジは自分の悲しみや辛さを
クララにもおばあさまにも話すことができない。
するとおばあさまは、
辛いことがあってそれを誰にも話せないのなら
神様に祈りなさいと言うのである。そこを読んで、
宗教とは本来そういうことなのだなと思ったのだ。

この、どうにもならない理不尽さ、
やり場のない悲しみや苦しみや怒りの持っていく場所として
神様が生まれたんだろうなぁ。
それは村人皆で拝み奉る
アニミズム的なやおろずの神々とはちょっと違って、
とても個人的な、最後の最後に救いを求める神なのだ。

ハイジの原作は宗教色(キリスト教色)が強いと言われるけど、
こういう風に描かれる神は、
キリスト教信者で有る無しに関係なく、
抵抗なく自然に読めるはずである。

なんてことを考えつつ、今日は冷えピタをしているのである。
猛烈なコンペ用CG制作の後遺症か、今ひとつ調子が良くない。
一昨日は飲み会を、昨日は母サマの入院の付き添いを
どうにかこなしはしたものの、
ずっと微頭痛が続いて調子が上がらないままなのである。

ハイジが元気を取り戻すところまで訳が進めば、
きっとワタシも元気になる、そう思い込むことにする。
そうやってワタシも
病休後のこの6年を生きて来たのである。

神に祈るのとは違うけれど、
とにかく何かにすがるという点では
似たようなものかもしれないなぁ。

「新ウルトラマン列伝」がひどい!

ウルトラマンの衝撃を生で体験した人間としては
過去作品のバトル部分だけを切り出したり
適当に戦わせてみたりした「ウルトラファイト」は
結構ショックだった覚えがある。
  
子どもながらに、あのウルトラマンの怪獣たちを
こんな風に扱って良いものか、と。思ったものだ。
それでも、プロレス実況中継的な解説は入ったが、
怪獣もウルトラマンもしゃべったりはしなかった。
  
ところが現在放映中の「新ウルトラマン列伝」はしゃべる。
ウルトラマンギンガも怪獣もしゃべる。
そしてその言葉があまりに薄っぺらく汚いのだ。
正直言ってひどすぎる。もう冒涜である。
  
さらに主人公たちの性格や行動、
そしてストーリー展開も見るに耐えない。
ウルトラマンや怪獣に対する夢も希望もあこがれも尊敬も
そこには何も感じられない。
  
ヤンキーな感じの最低な会話と
くだらないギャグと
ただ意気がっているだけの主人公と
焼き直し尽くされた見るに耐えない性格づけと
何の深みも無い展開だけ。
ただツッパっているだけの不良のケンカである。
  
過去作を振り返るコーナーがあったりと
番組構成も以前とは異なり、
予算的にもきちんとしたドラマと特撮を売りにするのは
もう難しいのだろう。それは分かる。
でも要するに制作者のこころざしの問題なのである、これは。
     
従来の「ウルトラマン」シリーズは
「ウルトラマンメビウス」で終ったと言えるのだろうが、
(近作では「ネクサス」「マックス」は大人でも面白かった)
だったら過去作をくだらない扱いにして出して欲しくないし、
やっぱり「ウルトラマン」という名前で
番組を作って欲しくなかったなぁと
心から思うのである。
  
こういう言葉遣いや浅はかな暴力行為を
カッコイイと思わせてしまうこの番組は、
子どもの心を腐らせてしまうよ、きっと。

と言うか、視聴者が低年齢化しているにしても、

予算がまったくかけられないにしても、
ウルトラマンファンや特撮ファン以前に
子どもをバカにしていると思う。

美術館コンペチームでお疲れさま飲み会

先週関係書類の発送を終えてコンペ作業も終り、
昨日はお疲れさま飲み会があったのだった。
体調は朝からすぐれず、夕方からの飲み会に備えて
昼間は横になったりしていたのだけど、
雨の中を行って来ることができた。
それ一つ取っても大きな進歩である。

声をかけてくれた、かつての高校の同級生であり

今は建築デザイン会社社長のマンション兼事務所に集まり
生ハムとかピザとかをつまみながら
用意されていたワインとワタシが持っていったビールで
お祝いをしたのである。

建築やデザインの話になるとちんぷんかんぷんだけど、

高校の時のことや音楽の話、そして今回のCGの話題になると
スイッチが入ったようにしゃべりだすワタシとしては、
けっこう疲れた飲み会であった。
それでもかなりワタシのCGを評価してくれていたようで、
それももう一人の関係者はロンドン在住の
デザイン学校の講師だというのだから嬉しいではないか。

「絵を見ると、それを楽しんで描いているかどうか分かります。

 もんさんはかなり楽しんでくれていたようですね。」

と言われたのだ。大変だったけど確かに楽しんだ。


提出書類は、概要などをまとめた簡単なレジュメと、

A1に引き延ばして出力し、審査の時に並べることになっている
イメージ図4枚からなるのだけど、
そのうちの3枚は、ワタシのCGがデカデカと使われているのである。

そういう仕様に沿ってイメージ図を大きくするのかと思ったら

特に何か指定があるわけでは無く、わがチームの戦略なんですと。
つまりワタシのCGを全面に出すとインパクトがあると
思ってもらえたようなのだ。
それでもうこの夏の苦労は報われた気がしたのである。




ワタシは太陽光の色合いや水面のきらめき、
そして建物の鏡面部分への反射や映り込みや、
木製のランドスケープ部分の美しさなど、
できる限り活かして、絵として魅力的なものにしたかった。
それが通常の建築CGパースにはないイメージ図になったようだ。

一次審査の結果は10月末〜11月初旬らしい。
恐らく全世界で数千のエントリーがあり、
それがわずか6つに絞られるのだ。
とにかくもう何もやれることはない。ただ待つのみである。
ちょうどデザインフェスタに出展の準備で慌ただしい頃、
忘れていたところにお知らせが来るんだなぁ、きっと。

場違いな感じがぬぐえないまま、ワインとビールを飲んでいたので
昼間の不調もあって予想通りの頭痛になってしまったけど、
無事家にも帰れたし、二日酔いにもならなかった。
これまた大きな進歩だと言えそうである。

2014年9月8日月曜日

Peeping Life「アトム グレる」

ずっと見たいと思っていて
やっと見つけました!
声はバカップルの二人です。




2014年9月7日日曜日

デザインフェスタ準備再開!

美術館デザイン・コンペの仕事が突然降って来る前に
少しポストカード印刷などを始めたところだった
第40回デザインフェスタ(11/8&11/9)の準備だが、
連日のCG制作に追いまくられてすっ飛んでしまったのだった。

でも体調の不安定さは依然残っているものの
少しずつコンペ以前の“日常”を取り戻しつつあり、
昨日土曜日はKindle本の懸案事項を処理したのに続き
今日はデザインフェスタの準備も再び開始したのである。
実際もう二ヶ月前まで迫っているからね。

ArtDeliのファブリックパネルをどう使うか/使わないか
ということも考えないといけないのだが、
どちらにしても今回は扱う作品を20点にしぼることにした。

そろそろブース番号が通知される頃で

それによって壁が自分の所の二面だけか
お隣が壁を立てた場合には
その許しを得て三面使えるかが変わってくるが、
そこは当日にならないと分からないことなので
あくまで二面でレイアウトすることになる。

そこにA3ボードを20点(4点×2列と4点×3列)展示する。
ポストカードもこの20点とし、壁に棚を作って立て掛ける。
さらにこの20点のA3版印刷を用意しておく。
こうして展示物と販売物をきちんと連動させるのが、
今回の販売戦略上の大きなテーマである。

今までは本当に気分で準備していたので、
カードにあってボードにないとか
ボードにあってA3の用意がないとか
せっかくお客様が関心を持ってくれたのに、
それににちゃんと応えられないことが多かったのだ。

ということで今回のラインアップである。
何か新作が間に合えば、それも加わることになるかな。


Poserの「ケイト」もけっこうイケル!

今回の建築コンペで人物を並べてみた時、
ケイトとベンという子どもキャラクターを
始めて使ってみたのだが、
建築パースのスケール感を出すために並べただけなので
遠目にしか使えないようなシンプルな作りなんじゃ無いかと
勝手に思い込んでいたのである。

ところが、もちろん大人のキャラクターほど

細部の自由度は高くないのだが
ポーズとライティングを工夫すれば
かなり使えることが分かったのであった。


10歳くらいのなかなか可愛い女の子である。


ちなみにVueに読み込んで使っているのだが、

どうしても目がちょっと不気味な感じになって困っていた。
ところがパーツごとの指定で
(ポーズによっては細かく指定できないこともあるけど)
左右の目の光沢率をゼロ近くまで変更してみたところ、
普通の、落ち着いた瞳になったのであった。

Kindle Kids' Book Creatorという

Kindle絵本作成ソフトが無料配布されたし、
ケイトを使って、何か絵本が作れないかぁなどと
思っているところである。
っていうくらいに、ケイト、けっこうイケルでしょ!
  

2014年9月6日土曜日

久々にPIXTAで絵が売れた!

PIXTAで久々に絵が売れたのである。
いつも売れるのは久々なのですけれど。
  
タイトルは「忘れられた湖」。
何年か前に描いた懐かしい一枚。
  

桂枝雀「山のあなた」

しみじみとした枝雀の噺も良いなぁ。




Kindle既刊本の改訂作業

すでに出版されているKindle本の中で

「オズの魔法使い」
「素晴らしきオズの国」
「ケンジントン公園のピーター・パン」
「あしながおじさん」

という英詩をのぞく4作品を、
あらためて校正して改訂版を出すことにしたのだ。

実は「ら抜き言葉」(来れる×、来られる○)や
「い抜き言葉」(思ってる×、思っている○)が
特に会話部分で多いことが判明したからだ。

これはワタシの日本語の問題であろうなぁ。
自然な会話を目指そうとすると、
「ら」や「い」が抜けちゃうのだから。

でもやっぱり本当に意図的にそういう言葉を使おうと
“新たなる挑戦”をするのでなければ、
読んでいるだれもが安心できる方が良い。

ということで上記の作品は
「い抜き」「ら抜き」チェックを行い、
改訂版をKindleにアップしたのである。
只今審査中で、通過したものから順次
新しいものに代わる予定だ。
ややこしくなるので、今回での改訂で
上記の4作品はすべて「第二版」となる。

普段使っている言葉というのは
自分ではそのクセに気づかないものだなぁと思いつつ、
自分中ではかなり「ら抜き」と「い抜き」言葉が
自然なものになっていたんだなぁと
ちょっとびっくりしてしまったのだった。

次の「ハイジ」も気をつけなきゃである。

「こういう感性のお品ですね?」

母サマはこの春、緑内障で左目の手術をしたのだが、
今度は来週、右目の手術をすることになっているのだ。

手術自体は1時間程度なのだが、

その後の安静&経過観察のために、
1週間入院することになる。

という母サマから

下着を買ってきて欲しいと言われたのだ。
入院時は病院服を着るのだが、
その下に着たいのだそうな。

ということでサンプルを持って

実家近くのデパート婦人服売場に行って来た。

すると売場にちょっと場違いな感じの店員さんがいた。

ブティックとかにいそうな、
それなりのお年だけど、短髪でちょっとツンツンさせて、
服は上下黒ずくめな人だった。

その人が暇そうにしていたので、

事情を話してサンプルを見せながら、

「まったく同じものでなくても良いのですけど、

 こんな感じのものが欲しいんです。」

と伝えたのだ。


するとその人が言ったのだ。


「そうしますとお客様、こういった感性のお品ということですね?」


はい、とは言ったものの

アタマの中では激しくツッコンでいた。

(カンセイ?あ、感性?え?なぜ感性?)


結局“感性”豊かな店員さんはその品を

下着売場担当の店員さんに渡しちゃったのだが、
いわゆる田舎の小さなデパートの婦人服売場で
“感性”と言われた場違いなインパクトは強烈であった。

そこがまた田舎らしくて楽しかったとも言えるな。


肝心の欲しかった下着は、

下着売場の店員さんがちゃんと見つくろってくれたので
手に入れることができたのであった。 

2014年9月5日金曜日

マジカルな関係

例えばミュージシャン同士でも
誰と組むかによって出て来る音が違ったりする。
個々のプレーヤーの力量や姿勢は変わらないのに
出て来る音やアイデアや
トータルな完成品の方向性や達成度が
全然違ったりするのである。

そういうことって別にミュージシャンだけでなく、
実は会社の仕事などでも同じで、
誰と組むかによって、自分のどんな力が発揮できるかが
大きく変わって来るなんてことがあるのだ。

そういう意味では今回の
グッゲンハイム・ミュージアム・コンペのメンバーは
恐らくかなり良いチームだったんじゃないかと思う。
ワタシは単に発注されたグラフィックを
ひたすら描き続けただけだけど、
そうやって自由に描かせてもらった上で、
その良い面をうまく活かしてくれた気がするのだ。

でもやっぱりそういう人と人との関係で
特別だなぁと思うのは、な〜こである。

正直さすがに今回の仕事の終盤で、
今の自分の体調的な限界を越えたなと思ったのだ。
そして実際に仕事に区切りがついても
カラダとココロの疲れはどうにも取れなかった。

眠れないし眠ってもダルさが取れないし
胃の調子もあまり良くないし、
歩いていてもフラフラするし、
気分的にも落ち込んでいて、
嫌なことばかり思い出したり考えたりしてしまうし、
昨日あたりはちょっといたたまれない状態になっていたのだ。

でも今日実家へ行ってからな〜こに会ったら、
それだけで自然と顔がほころび、カラダが楽になるのである。
気分は明るく前向きになり、
自律神経失調気味な体調も安定してくるのだ。
今までで唯一、安心して甘えられる人なのである。
 
一緒にいるようになって8年、
本当にマジカルな関係だと思う。
8年一緒にいてそう思うんだから、と言うか
そういう思いがますます強くなるんだから、
確かなことだな、これは。

2014年9月4日木曜日

“おもてなし”ってそんなに凄いのか?

とにかく日本とか日本人とかを賞賛するような、というか、
賞賛したい、して欲しいというような番組が目に付く。
日本(人)はこんなにスゴいだの
こんなところにまで行って頑張ってるだの
外国人が日本に憧れてやって来るだの
もう恥ずかしいほどである。

日本や日本人て素晴らしいでしょ!って

奥面も無く自慢して回っているような感じでなのだ。
なりふりかまわないみたいな感じすら漂う。

というと自信過剰なのかと思われそうだがさにあらず。

逆に自信の無さがひしひしと感じられて痛々しいくらいだ。
もともと人目(外国からの評価)を気にする日本人が
近年近隣諸国から非難され続けることで不安定になった
自身のアイデンティティーをなんとか保とうと
必死になっている姿が目に浮かぶ。

“おもてなし”もそうである。

日本(人)はこんなことにも気を遣うのだとか、
こんな繊細で細やかな神経を持っているのだとか、
結局誰も誉めてくれないから
自画自賛劇場を展開しているように映る。

現実にはそういう“気遣い”を

過干渉だとかお節介だとか思う人も
少なくないんじゃないかと思う、外国人に限らず。
そんなことをうすうす察知して
“日本的・おもてなし”とか言って
防衛線を張っているような感じすらする。

つまり意地悪い言い方をすれば

こういう日本的な接し方は
日本人的には心を込めていることを表現しているのだから
日本人的にそれを有り難がって
ひいては日本や日本人を尊敬して欲しい、と言っているのだ。
いや、頼み込んでいる感じか。
それが必ずしも相手の望んでいることではなくても、である。

東京オリンピック騒ぎも

富士山や富岡製糸場などの世界遺産登録騒ぎも
そういう、喪失した自信を取り戻したいというか、
凄い日本を自分に納得させたいというか、
そんな気分が大きく影響している気がするなあ。

こうした風潮は

“村”的な一体感の押しつけが嫌いで
放っておいて欲しいワタシ的には
何だかとっても嫌である。
ムシズが走る、と言っても良い。

そんなことで気を紛らわせている場合じゃないだろう、

とも思うし。
突飛なようだけど、実は
“世界一の自然エネルギー大国への挑戦”みたいな
未来に向かった建設的ヴィジョンが
地に足の着いた本当の自信に繋がるんじゃないかと
思うんだけどなぁ。


2014年9月3日水曜日

Peeping Lifes新作


久々の新作Peeping Life新作。
Peeping Life×自動車点検整備推進運動」コラボ映像。

ゆきぴょんのシャウトが聞けて嬉しい!


2014年9月2日火曜日

恐らく今回最後のCGパース

完全な室内の建築パースである。
そんなのは無理なのは承知の上である。
ライティング一つ取ったって、
きっと“魅せる技術”とかあるはずなのだが、
そんなことは知ったこっちゃないのだ。
直感的にイケルところまでイクしかないのである。


 
天井には採光用の穴が無数に開いているだだっ広い空間だ。
四方には間隔を空けて白い仕切り壁があるが、
その内側には柱は一本もない。

そこに自由にレイアウト可能なパーティションを配置した

奥行のあるイメージを作らねばならなかったのだ。
パーティションが入り乱れているのに奥行のある絵。
矛盾している話だ。

でもパーティションをかなり透明にした上に、

屈折や反射をできる限り抑えて
奥の方まですっきり見せることができたか…。
白い仕切り壁も向こう側に透けて見える。

このすっきりと遠くまで透けて見える感じにたどり着くまでに
とっても手間と時間がかかったのだ。
手探りでトライ&エラーの連続である。
いまだにどうすればこうなるのかは分からない。
たまたまたどり着けたけれど、道順は覚えていないみたいな。

ド素人なワタシ的にはちょっと奇跡のようなパースである。


部屋の上から下までクリアに見せたいと思い、
普通は天井から下に向けて均一な光を与える照明パネルを
ここでは床から天井に向けて配置してある。
むちゃくちゃかもしれないけど、
それだけ自分のできる範囲で
必死になって苦労&工夫して作った絵だということだ。
  
最後の難題を
何とか切り抜けることができたのだろうか…。
 

ああ遅刻だ、という夢

いつも使う電車ではなく始めて乗る路線を使って
知らない街に来ている。
でもいつかは来たいと思っていた街である。

夕方の時間帯、フラフラ街中を歩く。
都会ほどの殺気立った雑踏ではなく、
ほどよく人のあふれる商店街の活気が心地良い。
そろそろ陽も沈む頃だ。

繁華街から抜けたところで
何やらほこらのようなものを見つける。

そこでふと、畳の家にいる自分に“戻る”。
そう言えば自分で作った時計で、
電池を入れなきゃと思っていたのがあったなぁ。
あれ、どこに置いたかな。

するとまた場面はほこらの前となり、
そのほこらにあった扉が観音開きに開く。
中にはGショックみたいな、市販の白い時計が置いてある。

あぁこれ持ってたなぁ、こんなところにあったのか。
手作り時計とは違うけど、その白い時計を取り戻せて
ちょっと幸せな気分になる。

その時計を見るとなんともう9時である。
仕事に行かなきゃなのに、大幅な遅刻、
と言うか、もう終りの時間だ。
(ワタシは昔の定時制高校教師らしいのだ)

いやいや、この時計は置きっぱなしだったから
きっとかなり狂っているはずだ。
駅に戻って地下への階段を下りながら
腕にはめた時計を見ると、それでも5時である。

勤務時間の遅刻はともかくも
授業開始にもこれでは間に合わない。
とにかく電話を入れなきゃ…。
そこで思うのだ。

これから遅刻して行きます、じゃなくて、

今日はお休みします、にして
このままフラフラ歩き回ろうかと…
そこで目が覚めた。

いや〜、何だか非常にリアルな夢であった、感情的に。
目が覚めて、そんな思いをもうしないで済む今の生活に
思わず感謝してしまったのであった。

超ハードなCG制作期間が終ろうとしてる。
作ったグラフィックは56点にも及ぶ。
こういう夢を見たというのは大分疲れている証拠、
そして気持ちの上でちょっと一段落した証拠かもしれない。



2014年9月1日月曜日

サッポロ一番味噌ラーメン

例えば体調が悪くなったとする。
ずっと苦しんできた“二日酔いシンドローム”とか
その軽症バージョンの頸痛&頭痛とかではなく、
風邪をひいて熱を出したというような
普通の不調に陥った時のことである。

食事が出来ないくらい不調になった時、
回復への一歩となるのが
「サッポロ一番味噌ラーメン」だったりするのだ、ワタシ。

これなら食える。あるいは、
これが食いたくなれば復調の兆しである。
素ラーメンが良い。
もちろん何も入れなければ
消化に良くない炭水化物&多量の塩分だから
カラダに良いはずはないのは分かっている。
でも素ラーメンじゃないと、カラダに染みて来ないのだ。
 
子どもの頃から食べてきたワタシは
もうそういうカラダになってしまったのだきっと。
ここぞという時に、余計なことを考えないで
とにかく食べるというのもある。

長々と書いてきたのはようするに言い訳みたいなもので、
夕飯普通に食べたのに
夜中の今頃になってラーメン食っちゃったのだ。
ストレス食いとかいう気もするけど、
今はストレスを抑えてくれるならそれで良いって感じだ。

とにかく、ああ美味しかった!