2015年6月29日月曜日

カラダが混乱していた1日

かなりの緊張と気疲れの1日だった昨日から
一夜明けた今日である。
頭痛とか吐き気とは腹痛とかいった不調は
ありがたいことに出ることはなかった。

ようやく気がかりなことが終わったという解放感は
予想していたほどではなかったが、
それは感覚的・情緒的に
ちょっと麻痺していたからじゃないかと思う。
 
つまり不調にこそならなかったが
かなりコタエテいるのである。
朝は普通に起きて、午前中も仕事をして、
昼ごはんを食べたら、眠くなって寝た。
ここまではまぁ普通である。

ところが昼寝の後、また翻訳作業をしていたら、
夕方どうにもお腹が空いて
文字通り立っているのも大変になってしまったのだ。
本当にエネルギーが切れる感じである。

そして食べ終わったら、また猛烈に眠くなった。
そして、昼寝ですでに1時間半くらい寝ているのに、
さらに1時間半くらい眠ったのだ。

そして今やっと少し人心地がついたところ。
はぁ。
明日はもっと回復していることでしょう。
実家の庭の剪定をお願いした日である。
庭ともどもワタシもスッキリしたいものだなぁ。

2015年6月28日日曜日

納骨が無事に終わったのだ

10:10過ぎに実家からタクシーに乗り
10:30前に霊園の建物に到着、
数分後に宮司さんもいらして、
さっそく葬儀社にセッティングしていただいた
祭礼用の和室を確認する。


祭礼用本堂は、イス席で良いのだが仏式専用だ。
でも神式なれどもどうしてもイス席でやりたかったので、
畳の部屋にシートを敷き、そこにイスを並べることにしたのだ。
  
そうすると祭壇の位置を高くしないと
座っている人から見下ろすことになってしまうので、
それなりの高さを確保し、見てくれも悪くなくしてもらうには、
やっぱり葬儀社に頼まなくてはできなかったのだ。
もちろんお供物を揃えるのも無理であった。

結果的に、かなりしっかりした祭壇になったと思うが、
半年経ってやっと忌明け法要と納骨を行うということもあるので、
これで良かったと思う。

そこに行き着くまであーだこーだと悩んだり、
葬儀社や宮司さんとやりとりをするのが、
なかなかシンドかったが、
決まってみれば、準備もスムーズで、出来栄えも見事、
慰霊祭も落ち着いた雰囲気で終えることができた。

梅雨時にもかかわらず、突然真夏のような晴天だったので、
墓前での埋葬祭も大分暑かったが、
雨や嵐よりはずっと良かった。


骨壷の埋葬時代は石材店でやってくれたので
特に力仕事があるわけでもなく、埋葬祭も無事終了した。
神式なので線香は焚かず、お水とお米をお供えする。

これで法事は終了、トータル約1時間であった。
そのあと建物に戻ってお清め(直会)で、
ワタシがMCみたいに仕切ったのであった。
その原稿も作って、行きの電車の中で覚えたのである。
偉いなぁ、ワタシ。

お清めも同じ場所なので、移動の手間と時間が取れらないで済んだ。
みなさんお車で来られていたので、お酒もカタチばかりだ。
ということで、お清めも1時間ほどで終了し、
これにてすべて滞りなく終了となった。
こうして検案中の検案事項が、やっと決着したのである。

はぁ、疲れた。
でも行きは気合十分で、終わってからも不調にはならなかった。
それは、とにかくな〜こが気遣ってくれたからである。
昨日も今日終わってからも、
ひたすらワタシの身体をさすってくれて、
不調にならないように疲れを取ってくれたのだ。
  
な〜こがいなかったら、
気持ちも体調もボロボロになったことだろうなぁ。
大変な時こそ、大事な人のその大事さがわかるなぁ。

やっと一休みである。 




2015年6月27日土曜日

スキーとワタシ

新採研の一つに参加している。
今回は宿泊でのスキー講習で、
まるで学校のスキー教室のように、
大人たちが大勢集まっているのだ。

二泊三日らしい。

初日がメインのグループと
二日目がメインのグループがあって
ワタシは二日目の方らしい。

ご飯の時間になって食堂に向かうと、

途中、外から初日グループが
雪まみれになって入ってくる。

「ああ、終わった〜、あとはもう気楽だな」


それを聞いて、羨ましくなる。

こっちはこれから苦しむんだものなぁ。
ああ、気が重いなぁ。
そんな夢。

考えてみれば、

夏は水泳、冬はスキーと
学生時代から社会人になってまで
ワタシは“気が重くなる”イベントを
毎年抱え続けていたんだよなぁ。
今頃スキーの夢を見るのも、
なんかそんなつながりなのかもしれない。

とは言うものの、実はワタシはスキーは好きである。

初体験は遅くて、28歳の時のスキー教室引率だ。
その時は何回リフトを止めたかというほど散々であった。
うまくリフトから降りられないのである。
今考えてみれば、
リフトに乗れるレベルどころではなかったのだ。
もう生徒そっちのけであった。
(生徒にはちゃんとインストラクターがついていたけど)

初任校はスキー修学旅行だったので、

4年間に1回だけスキーに行ったのだが、
とある都立定時制に勤務してからは
毎年恒例の全員対象行事だったので
何回もスキー教室の引率をしたし、
担当になって交渉から挨拶までこなしたこともあった。

そうこうしているうちに

さすがに少し滑れるようになったのである。
平らな場所でのスケーティングも
少しできるようになった。

もっとも それから20年くらい経っているし、

体力も運動能力も落ちているだろうから、
今スキーに行くと、
また何回もリフトを止めちゃうかもなぁ。

それ以前に、ケガしないか心配である。

でもちょっと懐かしいなぁ。
スキーのあの感覚だけじゃなくて、
スキーに行っていた当時の記憶が
懐かしんだろうなぁ。

2015年6月26日金曜日

「オズのオズマ姫」翻訳完了!

苦労して準備してきた納骨(慰霊祭&埋葬祭)二日前に
ついに「オズのオズマ姫」を訳し終えたのであった。
納骨と翻訳は全然関係はないのであるが、
何となく『間に合った…』みたいな感じがしているのが
不思議な感じである。

でも最後まで楽しく読めた物語であった。
実はこの“軽さ”や“楽しさ”はオズの絶妙なところで、
児童文学やファンタジー文学が
不思議な世界を描きつつも、結局お説教っぽくなったり、
小難しく理屈っぽくなってしまったりするところを、
軽やかに飛び越えて、
行ってみたい楽しい魅力的な世界を描き出すことに
成功しているのである。
このポップさは貴重である。

それに最近は文庫の表紙や
児童文学の挿絵や表紙にも進出してきている
あのアニメキャラに、本当にうんざりしているワタシ的には、
この品のある挿絵が大好きなのだ。
って言うか、オズを翻訳しようと思った理由の半分は、
この挿絵をもう一度みんなに見て欲しいという
気持ちからなのである。


今回も翻訳と並行して表紙を作っていたのだが、
今までになく難産であった。
8種類ぐらい作ったかなぁ。
一応シリーズ物なので、ある程度デザインの統一性が欲しいのだが、
今作はカラー図版が増えた分、
ちょうど良いモノクロカットが見つからなかったのだ。

でも一応表紙も完成しているので、
あとのお楽しみという感じである。

取り敢えず、おつかれさま〜→自分

2015年6月25日木曜日

中野ブロードウェイ「タコシェ」再訪

2011年9月に「Close Encounters 2011」が完成し
それを携えてグリープラザ新宿のレストランで個展を開き、
終わったところで、この画集を“売りたい”と思ったのだ。



無事Amazonで売れるようになったのが2014年初頭、

それまでは2012年春から参加するようになった
デザインフェスタ以外の場で
購入することは、ほぼできなかった。

ほぼ、と言ったのは、

正確には二カ所で直接買うことができたからである。
自主制作品の委託販売をしてくれる
中野ブロードウェイにある「タコシェ (TACO ché)」と
新宿にある「模索舎」にお願いしてあったのだ。

その「タコシェ」の方から返品&清算したいとの連絡があり、

今日中野まで行ってきたのである。



中野駅北口の目の前から奥に伸びる中野サンモールの

一番奥のどん詰まりが「中野ブロードウェイ」である。
“オタク・サブカルの聖地”と呼ばれる場所だ。

「タコシェ」はその3Fの奥にある小さなお店で、
神田古本街のちょっとエロい本とかも置いてあるような
怪しい本屋に雰囲気が良く似ているのであった。



販売結果であるが、3冊委託して1冊売れて2冊返品で、

1,400円の清算であった。売れたか〜、例え1冊であっても!

そのあと4Fまである建物内を一周したのだが、
かつての秋葉原「ラジオ会館」(現「秋葉原ラジオ会館」)のような
小さなお店がゴチャゴチャと軒を連ねている感じとか、
レトロな雰囲気を残す建物であるとかが、
ところどころシャッターが閉まっているアンバランスさとか、
昭和のドロドロした異空間に入り込んだかのようである。

「ワタシはここに来るようなタイプの人間ではなく、
 ただ後学のために立ち寄ってみただけですよ」

というような言い訳を自分にしつつ、
でもウキウキドキドキしてしまうのである。
  
ちょっと言い訳したくなるような
怪しくて、ディープで、いかがわしい魅力が満載なのだ。
言い訳している自分も楽しんでいるのである。

気のせいか、委託依頼に行った2011年に比べて、
シャッター店舗が減って、
全体に活気が増しているようであった。
景気上向き気分が、ここまでやって来たのかな。

何か買ったわけではないのだが、
久しぶりに非日常を味わえて、楽しかったなぁ。

ノーム王との対決が終わった

「オズのオズマ姫」のクライマックスである
ノーム王との「言い当て対決」が終わった。
やっぱりオズは面白い。

第1作「オズの魔法使い」は状況設定で読ませる。
魅力的なキャラクターが次々に現れるのは
オズシリーズの特徴だが、
主人公集団が大きな目的/切実な願いを持って行動する点が
全体を貫く大きな柱になっている。
これが以降の作品と大きく違うところだ

第2作「素晴らしきオズの国」は会話で読ませる。
登場するキャラクターのやりとりの
トンチンカンぶりとか言葉遊びなどが
物語に大きな彩りを加えているのだ。

ではこの第3作「オズのオズマ姫」はどうかと言うと、
“対決”で読ませる。
第2作でもジンジャーがエメラルドの都を征服するが、
敵というよりは、わがまま娘的な扱いだった。
でも今回はノーム王という見事な悪役が登場するのだ。

何のための行動なのかという切実さは第1作に劣るし、
言葉のやり取りの楽しさは第2作に劣るけれど、
この対決という構図はとても新鮮で、
わりと行き当たりばったりで動いていた1、2作とは違った
魅力を持っているのだ。


残すところあとわずか。
初期3作を早くAmazonに並べてみたいものだなぁ。

2015年6月24日水曜日

残り10mは息継ぎなしで

高1くんは保育園時代に一度、
小学校時代にも一度、
スイミングスクールで水泳を習ったことがあるのだ。
それでも泳げなかった。

保育園時代にも小学生時代にも

外からガラス越しに様子を見ていたことがあるのだが、
特に水が怖いわけでもないようなのだが、
どうも一人だけ浮いていたのだ(水泳だけに…)。

まわりの子たちは、泳げようが泳げまいが

バシャバシャと楽しそうにしているのに、
高1くん(当時は“年長くん”ぐらいか)は
所在無さそうに立っているのである。

つまり、水遊びも泳ぐことも楽しく無さそうなのだ。


その高1くんが今春入学した高校は、

50m泳げないと、特別補習があるのである。
高1くんは入学当初からそのことを気にしていた。
1日だけスクールに行ってみたのだが、
基本の蹴伸びからやらされたと言っていただけで、
少しも進展しなかったらしい。

切羽詰まった高1くんは、先日の日曜日に

友だちと一緒にプールに行き
息継ぎを教えてもらってきたのだった。
それでどうにか25m泳げるようになったのである。
“火事場の馬鹿力”的な進歩だ。
その勢いを駆って何とか50mまで泳げるようにと
昨日も一人でプールに行ってきた。
でも途中で足がつってダメだったらしい。

そしていよいよ今日の体育の授業で、

50m泳げるかどうかの見極めが行われた。
50mとは言っても、25m×2なので
一瞬中休みは取れるのであるが、
それでも高1くんにとっては未知の領域への挑戦である。

そしてなんと、両足がつりそうになりながら、

50m泳ぎ切ったのだった。
残り10mは息継ぎもせずに死にそうだったらしいが、
帰ってくるなり「オレは天才だ!」と言うので
「すごいぞ、天才だ!」と誉めてあげた。

泳げる人にとっては何ということもない距離であろう。

でもワタシ自身、水泳は苦手で苦労したので、
その辛さは良くわかるのである。

特にワタシの場合は、高校が50mプールだったから

水泳の授業がイヤでイヤでたまらなかったのだ。
そんな憂鬱な時期が、毎年確実にやって来ていたのだ。
ワタシもはるばる1時間半かけて
一人で何回か温水プールに通い、
どうにか50m泳げるようになったが、
「残り10mは息継ぎをしない」苦しみは痛いほどわかるのだ

高1くんの場合は、そのお友だち様様だけど、

友だちに頼んでまでプールに行ったというのも
カッコつけたいお年頃としては、ずいぶん頑張ったものだと思う。

良かった良かった。

何だかホッとしたのである。

2015年6月22日月曜日

のし袋を揃えたのだ

神式だということで一層ややこしい気がするなぁ。

水引の形は「結びきり」か「あわじ結び」だというので、
ちょっと派手な感じの「あわじ結び」にした。

水引の色は、双白、双銀、黒白、黄白などがあり、
地域や神社によって区別がある場合もあるようだが、
あれこれ悩むのはやめて、美しさで双白にした。

「香典」にあたる表書きも
「御初穂料」、「御祭祀料」、「御玉串料」などあるが、
これもワタシの好みで「御玉串料」にした。

こういうことを一つ一つ、
(よしこれでいこう!)と思い切るのも大変なのだ。

そのほか、郵便番号欄のない奉納封筒を買ってきて、
当日渡すお金ごと別々ののし袋を作った。 


毛筆ペンによる超へたっぴな字であるが、
ワタシ的に、気持ち&雰囲気が大事なのである。

あしたの実家詣でで、それぞれにお金を入れてもらう。
これであらかた準備完了となるはずだ。

さてこれで少しゆっくりできるかな。



「Colorful カラフル」原恵一監督

「クレヨンしんちゃん」の映画や「河童のクゥと夏休み」、そして最新作「百日紅〜Miss HOKUSAI〜」の原恵一監督の2010年作「Colorful カラフル」を見た。

いじめにあい、友だちもいない中学三年生「小林 真」が、母親と好きな後輩に裏切られたことにショックを受け、睡眠薬自殺する。本来なら死んでいたその体に「ぼく」が宿る事で生き返る。そして「ぼく」が「小林 真」として生きてゆく中で「小林 真」が気づかなかったことに気づき、人とはいろいろな色が混ざっている(colorful)なんだと、少しずつ理解しながら、生きることに前向きになってゆく、というような物語だ。



 

  

まずストーリー展開を単純に追った印象。

どんなに辛くても自殺してはいけない。自分も含めて、人にはいろいろな面があって、その中で過ちを犯すことだって当然あるのだ。人はどうしても一面だけで判断し、勝手に分かった気になってしまうが、人間はもっと複雑でおかしな存在なのだ。それを認めてあげよう。そうすればもっと楽に生きられる。あるいは新しい展開が開けるかもしれないのだから。


でもこれに対しては、素直には受け入れられない気持ちが湧いてくる。


まず「小林 真」が死を選ぶまで追い詰められた感じが、どうしても伝わってこないのだ。辛いとか苦しいとかだけではなく、つまらないから死んじゃおうかな、みたいな空虚感も

感じられないのだ。むしろ、母親を罵倒する場面などには思春期特有の、家族への嫌悪感がリアルに感じられる。理屈は後付けだ。

それに、すべてが好転してゆくのは、「真」に男友だちができてからのことである。それはおかしいだろう。友だちができないことこそ、一番どうにもならない問題なのだから。親友と言えるような友だちができれば、生きていくことの楽しさを感じられるようになる、なんて、あまりに残酷な展開であり都合よすぎる主張である。その友だちができる部分には、colorfulという主題がうまく絡んでいないし。


まして、クライマックスと言える家族会議の場面で、父親が、家族の「真」への隠れた愛情を滔滔と披露するのも変だ。そういう“愛情の押し付け”や“家族の強要”こそが、一番ムカつくことに他ならないからだ。それにその話は父親のバイアスがかかっているじゃないか。つまり父親の理想的家族像の表明・押し付けとも取れるのである。


しかし「真」はここで、一人の人間の中の多様性(colorful)を知り、“素直”に自分の心を吐露し、自分をバカにしていたと思っていた兄を受け入れ、自分を裏切ったと思っていた母親をも受け入れることになる。ありえない。


では、もう少し作品全体の印象を見るとどうなるか。これが、言葉やストーリーによる印象とちょっと違うのである。


「真」がどう理解しようと、「プラプラ」がどう演説しようと、ここに今の思春期の子どもたち(あるいは今のわたしたち)を取り巻く、言いようのない不安と苛立ちに満ちた世界が描かれているように思う。


人は複雑に(colorful)にならずには生きていけないくらい、いろいろな苦しみに直面しているのだ。残念ながらそれがわかったところで大きくは何も変わらない。学校は学校であり続け、家族は家族であり続けようとする。


この閉塞感、重苦しさ、いたたまれなさ、そしてそれを覆い隠そうとする“おためごかし”と、それに乗っかるしか道がない絶望感を感じさせてくれるという点で、結果的にこの作品が今の時代を切り取っている気がするのだ。


だからラストに、爽やかさや希望があまりも感じられないのも当然なのである。


そんな状況であることをわかった上で、ギリギリ一般に受け入れられそうな物語にワザとしたのかもしれないな。


本当に自殺のことをテーマにしたいなら、学校がなくても、家族がなくても、友だちがなくても生きて行ける。だから死ぬな。だと思う。でもやっぱりそんな大枠を壊さないで、現実にもなかなか壊せなくて、その中で夢や希望を語りたい、語るしかないのだろうなぁ。


声優の演技が画面の熱量に追いついていなかったり、表情が時々能面のように消えてしまったり(流れとは別)、プラプラの妙な関西弁が気になったり、ひっかかったところはいろいろあったけれど、全体としては考えさせられる映画であった。

   
個人的には、今春完成したライズ建設中の二子玉駅周辺再開発激変期の様子が、何とも言えないアンダーグラウンドで刹那的な雰囲気を醸し出していたのも良かったなぁ。懐かしさもあったしね。


2015年6月21日日曜日

親戚への電話はしづらいものだ

親戚というのは難しい関係である。

ワタシは長男であるからして
普段は実家住まいではないにもかかわらず
一旦ことが起これば“喪主”になったりするのだ。

そしてあまりつきあいのない親戚に
電話などせねばならなくなる。

例えば従兄弟同士みたいに
相手も自分と同じ代になっていればまだしも、
先方が親の代だとすると
実にこの一本の電話がイヤなのだ。
  
いくつになっても相手からすれば「○○ちゃん」だし、
小さい頃からあんなことこんなことを
色々知られちゃっているわけだし。

もちろん歳だけは一人前の社会人なので、
そういう点で失礼のないようにとか
非常識を笑われないようにとか
やたら気も使うのである。

というようなワタシだから、
昨日親戚に一本の電話をして
来週の納骨の場での
「献杯のご発声」をお願いしようと思い切るまでには、
そうとうなる決心が必要だったのである。

はあ疲れた。
もう一息だな。

2015年6月20日土曜日

キハチのロールケーキでお祝い

デザインフェスタNo.42の抽選で
無事当選を果たし、
新たなチャレンジが決定したことを、
いつものようにケーキでお祝いしたのだ。

二人だけのささやかなお祝いだが、
な〜こがさっとコーヒーをいれてくれて
ニコニコしながら、
そして文字通り美味しさに震えながら
ケーキを食べてくれるので、
ワタシも超嬉しくなって、
いつも素敵なお祝いになるのである。


今回はキハチ
キハチトライフルロールと二種のマンゴーロールである。
美味かったなぁ。
な〜こと食べると何倍も美味しい。

額縁屋さんとご相談

昨日はデザフェスでブースに来てくださった
“額縁屋さん”がわざわざこちらまで
ご相談に来てくださった。

実際は“額縁屋さん”ではなく、

農業温室分野の業界トップで、
事業拡大によりエクステリアや
インテリアフレームも手がけているという会社で、
近場では川崎ラゾーナや二子玉ライズの
トップライト部分なども担当されたのだという。

昨日お会いしたのは、

その額縁事務部長さんなのである。
インテリアフレームは
島忠などのショッピングセンターやホームセンターに
卸しているとのこと。

まだまだアイデアの段階だけれど、


1.従来のフレームに入っていた無味乾燥な絵や写真に代えて

  少し個性のあるものを使いたい。

2.買い物ついでに、気軽に絵を買って、
  部屋に飾れるような作品を販売したい。
  そのための売り場もきちんと確保したい(すでに交渉中)。

というようなお話であった。


1の方はまぁすぐにでもできるのだが、

できれば一歩進めて、2の方をやりたいとのこと。
でもどういう品物が良いのか、実際に作れるのか、
その際の契約はどうすれば良いのか、まだ検討中なのだそうだ。

1にしても、今までは業者から絵や写真を買っていたらしく、
今、数人の作家さんとコンタクトを取っているのだが
個人的に契約するのは初めてなことらしい。
ワタシもまったく検討がつかないのである。

買い物ついでに気軽に買ってもらえるモノなら、

やっぱり1,000円くらいじゃないかと思うのだ。
原価率25%ほどだと言うから、
その場合は250円で作らなければならない。
つまり作家さんに、そこからどれくらい支払えるのかである。
契約の仕方にもよるしね。

そんなことをあれこれ雑談して、昨日は終わってしまった。

また次回もあると思う。あれば良いなぁ。
島忠とかにワタシの絵がずらっと並んだら、とても嬉しいしなぁ。

ちなみに、その方がデザインフェスタに行かれたのは、

そもそもは作家探しでもなんでもなく、
「コミュニケーションが苦手な」ご子息に
ご夫婦でデザフェスへの参加を勧めて、
その搬入を手伝うためだったという。
そのお話を聞いて、「ん?」と思ったのだ。

ワタシの直感は正しかった。

後でメールでやりとりした際に、
その方のご子息が不登校(経験者かな?)であることが
判明したのである。

そう言えば昔、銀行で口座開設か何かをした時だったか、

本来事務手続きだけを粛々と行うはずの年配の男性担当者から
不登校のお子さんを抱えて困っていると
真剣に相談をされたことがあった。
  
真昼間に契約に行ったので、なぜ昼間に行けたかという説明を
わたしがちょこっとしたのがきっかけだったと思う。
当時は単位制昼夜間定時制高校に
夜間時間で勤務していたからね。

不登校のお子さんのことで苦労されている方は

とっても多いんだろうなぁ。
今回の相談内容とは関係ないんだけど、
なぜかご担当の方に、親しみを感じてしまったのである。

久しぶりに昔の“不登校サポート魂”が揺さぶられたか。
今更ワタシには何もできないんだけれどもね。

  

2015年6月18日木曜日

実家の庭は「クイックガーデニング」で

実家は小さな家ではあるが、
それでも小さな庭があり、
わりといろいろな木が植えられているのである。
亡き父は庭いじりが好きだったからなぁ。

でも父が介護施設に入所してからは

庭のことを省みる者もおらず、
枝があまりに道やお隣さんに突き出たりした時だけ、
その場しのぎに枝を払ったりしていたのだ。

親戚のおじさんが見かねてやってくれることもあれば、

弟クンが一念発起して塀に登ることもあった。
でもここ数年はほとんど野放し状態だったのだ。
ワタシもそこまでやる気力も体力もなかったし。

でもわが家に一枚のチラシが入っていたので

何気に見てみたところ、
個人の職人さん頼みではなく、
割とシステマチックに作業をこなす業者で
関東全域をカバーしているところだった。

それが今回お願いすることになった

クイックガーデニングという会社である。

昨日連絡を取ったところ

たまたま実家近くに作業に出ていたということで、
さっそく今日担当者が実家の見積もりに行ってくれた。

そして見積額も出て、直接ワタシに連絡してくれたのである。

母サマと相談して、即決である。
取り立てて安いという感じでもないが、
何年も手をつけなかった庭である。
これから手をつける見通しも立っていないのだ。
多少お高くついてもやってもらいましょう!

「ホームページで正式に依頼手続きをするようですか?」


と担当者との電話の最後に聞いてみたところ、


「iPadを持っていて、本社とデータのやりとりをしていますから、

 これでもう契約成立になります。
 本社へ連絡していただく必要はありません。」

ということであった。

さすが“植木屋革命”だけのことはあるな。

これで7月初旬には

庭がスッキリ片付くぞ。

2015年6月17日水曜日

デザフェス42プロジェクト第二弾!

デザインフェスタNo.42の出展が決定したところで、
第一弾の「フォトブック制作」に続いて、
第二弾の「クリアファイル制作」をスタートさせるのである。

クリアファイルをお願いするのは

前回デザフェスに出店していた
松本印刷「小ロットカラークリアファイル」というところで、
100枚で20,000円(税込21,600円)で作れるのだ。
単価200円ということになる。

価格だけでなく、表面が白地だから色抜けがないし、
裏面が透明だから、中身がわかるのだ。

このクリアファイル作りもまた、な〜このアイデアで、

このお店も、な〜こが見つけてくれたのだ。
すげぇぞ、な〜こ。

フォトブックと同じで、

基本的にこちらがやることは、画像データを送るだけだ。
ただし試しに一つ作ってみることはできない。
最小で10枚からだし、
その場合は4,900円(単価490円)になってしまうのだ。
つまりど〜んと頼むのなら最初からそうしなければ
割安感が薄れてしまうのである。
  
依頼枚数は、ど〜んと100枚でいく予定である。
いきなりその注文することになるので、
データにミスやレイアウト調整に気をつかう。
ちょっと緊張なのである。
  
そこでまずは専用テンプレートをダウンロードし、
画像をレイアウトしてみた。
  

これを指定の形式でアップロードする。
そしてチェック、入金、製作、発送となるのだ。
  

来週は納骨が迫って気ぜわしいから、
今週中にやってしまえると良いなぁ。
でも慎重に慎重に。

あ、まずは「サンプル&資料請求」ができるみたいだな。
サンプルを送ってもらえると嬉しいぞ。

納骨(慰霊祭&埋葬祭)準備ほぼ完了!

式場は押さえた。
宮司様にも連絡した。
葬儀社にもお願いした。

関係者に案内状も出した。

持参するものも確認した。

そして今日、

当日の「お返し」も注文した。
当日の「お清め(食事)」も依頼した。

これで一応事前準備はOKである。


残るは当日の支払いと玉串料の準備かな。

玉串料は袋を用意して
筆ペンで表書きをしなければだから、
ちょっと気合が必要である。

あとは夏物の礼服を買ったものかどうか…。

まぁしかし、良くここまでたどり着いたなぁ
もう一息である。

2015年6月16日火曜日

デザインフェスタNo.42出展決定!

次のデザインフェスタの出展に無事当選である!
あぁ良かった、ほっと一安心だ〜


今日昼過ぎに当選通知メールが入って、
その後カード決済で入金も完了したから、
すでに本決まりである。
めでたいめでたい!

次回申請したのは
11月21日(土)&22日(日)の両日で、
S(0.9m×1.8m)×2ブースという
横長二畳分のスペース(0.9m×3.6m)である。

今まではずっとM(1.8m×1.8m)という正方形だったが、

次回は通路に平行な細長いスペースになる。
壁を含めたトータルの料金が割高だったので
なかなか思い切れなかったが、
そこを、思い切ることにしたのだ。

メリットはズバリ

通路に面した展示面積が広い、
これに尽きる。
当然、前を歩いている人の目に留まりやすい。
そして多少混雑しても作品を見やすい。

さあ、いろいろ計画し、準備し、

次回は今回を上回る成果を狙うぞ、と。

2015年6月15日月曜日

「オズのオズマ姫」ノーム王登場!

納骨の準備で忙しかった先週、
それでも少しずつ「オズマ姫」を訳し続けて、
ついにノーム王との対戦が始まるのである。

対戦といっても取っ組み合いの肉弾戦ではなく、
ノーム王に変身させられたエヴの王家の人たち11人を
オズマたちが一人11回チャレンジして
言い当てるというゲームである。
当てることができれば一緒に帰れるし、
11回全敗だった人は、逆に変身させられて捕虜にされるのだ。


面白いのは
オズマ姫たちが救出に向かう根拠が、
ノーム王の説明で煙に巻かれてしまうところ。
大人ってそうやって理屈じゃ強いんだよね。

また逆にノームたちが、
金属や宝石などを扱う鉱山労働者や金属加工労働者として
実はちゃんと働いている人たちだということ。
子どもたちから見ると、こういう人たちは異界の存在であって、
それだけで、倒すべき敵とか悪になっちゃうんだな、きっと。
と言うか、社会的にもマージナルなのだ。
「もののけ姫」に出てくる“たたら場”なわけだから。

それくらいだからノーム王も、
イマイチ何がどう悪なのかが曖昧だし、
徹底的に滅ぼされるわけではないのだ。
そのユーモラスな描写やオズマたちとのやり取りや、
終盤のドタバタもまた楽しいのである。

このままのペースで訳せれば、
納骨までには目処が立ちそうかしらね。

2015年6月13日土曜日

「青空個展」で陣中見舞い

今日は「初台駅」直結の「東京オペラシティ」で行われていた
MOTTAINAI手作り市「青空個展」という
ハンドクラフト&アート展示・販売イベントに行ってきた。
「東京オペラシティ」は初めて行く場所だ。


フリースペース&通路を使ったミニ・イベントで
経験した規模的にはYokohama Art Department(YAD)に近いかな。
ただ、とても明るくてオープンな感じのフロアなこともあり、
YADの“アート系学生の学園祭”的なノリはなくて、
みなさんのびのびと楽しんでいる感じがした。


今日は先月のデザフェスでもご一緒した「蝉工房」さんのブースに
陣中見舞いに行ったのである。
「蝉工房」さんは“Web系編集プロダクション”なのだが、
ブースには、
ネイチャーイラストレーター小川倫 代さんの作品のポストカードや
手編みスマホケースや
鉄道写真カレンダーなどが並ぶ。


陣中見舞いと言いながら、お手伝いはそっちのけで、
楽しくお話をしたり、フロア中のブースを見て回ったりして、
結局、ワタシの方が元気をもらったのだった。

やっぱりこういうイベントは好きだなぁ。

それも、やっぱりお客として見に行くのではなく、
出展者として参加するのが楽しいなぁと、
あらためて思ったのでありました。

2015年6月12日金曜日

来週はドキドキが二つ

来週はドキドキな予定が二つ入っているのだ。
一つは、早いもので、デザフェスの当落結果が出る。

こればかりは結果を黙って受け入れるしかないのであるが、

次回の構想が膨れ上がっているので
ぜひぜひ当選したいのである。

もう一つは、そのデザフェスがらみのお話だ。

前回のデザフェスのブースに立ち寄って下さった方から、
一度会ってお話したいとご連絡をいただいたのである。

まだどうなるかわからないので詳細は書けないのだが、

これがけっこう面白い話なのだ。
一年前のデザフェスがきっかけで
ArtDeliから突然インテリアパネルの話が舞い込んだのも
中々の衝撃的だったが、
それに匹敵するようなお話なのである。

そして、あれこれ格闘してきた納骨も

来週中には「お返し」「お清め(食事)」含めて
ほぼ準備完了となる予定。

なかなか大事な一週間がやってくるのである。

  
デザフェスが終わって
ちょっと心身ともに腑抜けたみたいになっていたが、
気合いで乗り切らねば。


2015年6月11日木曜日

PIXTAで絵(data)が売れた!

たまにこういうことがあると、
ちょっと得した気分になるなぁ。



けっこう前の作品である。
photobook画集《廃墟》に収録予定だ。

2015年6月10日水曜日

「オカマだけどOLやってます。」能町みね子

「ヨルタモリ」を見るようになって
そこに出ている能町みね子という女性は
いったいどういう人なんだろうと調べてたどりついた本が、


「性同一性障害」(著者本人はこの言葉がキライ)の男子が
女子として生きていく上での苦労などを
面白おかしく書き綴った本。

と言うと、“軽い”本だと思われそうだが、
著者も同一性(アイデンティティー)に
ドロドロと悩み続けるような
“重い”話を綴ろうとはしていないから
ある意味“軽い”本で、正しいのだ。
“軽やかな”本と言った方が良いかな。

「自分は普通である」、というのが基本スタンスだから、
いかに普通の生活を苦労し工夫しながら続けるかという
日常的サバイバル本みたいな感じなのだ。

でも、自筆の挿絵と相まって醸し出される
その“軽やかな”部分こそが、
筆者の距離感の取り方の巧みさや文章の上手さであって、
実は奥は深いのに面白く読めてしまう。

時々笑いながら読み進めるうちに、
性同一性障害は「病気」や「障害」だという
周囲の勝手なイメージの押し付けや、
「理解と共感」のつもりで近づいてくる人たちの
「興味本位」や「自己満足」や「偏見」が、
静かに浮かび上がる。

いやぁ、とても面白かったなぁ。


要するに瞬発力なのだ

お葬式はいつかはやらねばならない。
そうは思っても実際にその時にならないと
なかなか動けないものである。
ワタシだってある程度は調べたし、
実際に、ある葬儀社の方に来てもらって
いろいろ相談に乗ってもらったりもしたのだ。

それでも結局は、

亡くなった時でないと動けなかった.。
事前に準備なんてなかなかできないものなのだ。
大事なのはその時の瞬発力である。
短時間で一気にどこまでやれるか、
体力やら気力やら企画力やら行動力やらが、
すべて試される感じなのだ。

おそらく何かイベントをやった人ならわかると思う。
どんなに事前に準備しておこうとしても、
結局最後は、直前ギリギリまで作業をしていて、
当日に間に合うかどうか、徹夜必死か?
みたいになるものなのだ。

つまり肝心な部分に中々手がつけられないのは

そのラストスパートの瞬発力を引き出すために、
それまではエネルギーを蓄えつつ
少しずつ外堀を埋めてゆくような感じなのだ。
何もしないようでいて、何かを考えていたり、
気持ちやカラダを整えていたりするものなのだ。

ということで、今回の法事の準備もそうであった。

この一週間ほどで、畳み掛けるように話を進めたのである。

ところが実家の弟が、


「もっと早くから準備していれば済んだものを、

 今まで何もしなかったから、
 ここへきてバタバタと葬儀屋に頼んだりしている。」

と言って、苦笑していたのだという(母サマ談)


あったまきた!

まるで、計画性も実行力もなくて、
結局手に負えなくなって丸投げしたみたいじゃないか。

ところがどっこい、こちとらは

慣れない神葬祭の法事のことを丁寧に調べながら
当日持っていく物、当日支払い、事前支払いの「一覧表」を作り、
(この表は葬儀社の方に感心されたのだ)
ある程度の概要を把握した上で
霊園と宮司さんと話をし、
その結果、自力での準備が難しい部分だけ
葬儀社の方に手伝ってもらうことにしたのである。

あんまり悔しいので、弟には


「一周忌の法事は任せます! 

 たっぷり事前の準備をして、がんばってください!」

とメールしてやった。

まったく人の苦労がわからん人間ばかりだ!
だからワタシは体調も回復せんのだ!

そんなココロもカラダもヨレヨレのワタシを

今日もな〜こは献身的に癒してくれたのであった。
本当にもう頼りっきだなぁ。

2015年6月8日月曜日

まだまだヨロヨロと一歩ずつ進むワタシ

胃痛で苦しんでから一週間。
胃はだいぶ復活してきたものの、
まだ完璧とは言い難い。

体調と一緒に、意欲も落ちていて、

先週水曜のウクレレ教室を
半年ぶりくらいで休んだのだが、
少しは回復したか、
明日のウクレレ教室は行けそうである。

そしてそのまま実家へ。

そこで葬儀屋さんと打合せだ。
それである程度目処が立ってくれれば
もう少し元気になれるのかもしれない。

先週末からの納骨準備作業は、われながら凄かった。
息切れしないように気をつけねば、である。

今は焦らず少しずつ事を進めていくしかないな。


「オズのオズマ姫」も地道に翻訳中で、

1/3は越えただろう。

ラングィディア姫のところへ乗り込んだオズマ姫一行と

ドロシーが再会するところまでやって来た。
この後、いよいよノーム王との戦いが始まるのだ。
先が楽しみである。




2015年6月7日日曜日

やはり葬儀屋さんにヘルプ!

やはり多少お金がかかっても仕方ないのである。
葬儀屋さんにヘルプを頼むことになった。

霊園には法事のための本堂がある。

しかしあくまで場所を提供するだけで、
管理事務所の一角に部屋が設えられているだけだ。
その管理事務所には、文字通り
管理人さんが二人いるだけなのである。
だから準備は自分たちでやることになる。

さらに石屋さんが何もしてくれないこともわかった。

石屋さんによっては、
お供え物をのせる三方やお榊を用意してくれるらしい。
でもウチの石屋さんはやらないのだそうだ。

三方やお榊は宮司さんが用意してくださることになったが、

それでもお供え物は自力で揃えなければならない。
それが大変なのだ。

米、酒、塩、水はまだ良いとして、
海の物(魚、海藻、干物など)、
山の物(葉物野菜、根物野菜)、
果物などを揃える必要がある。
それも、三方にのせるバランスを考えると、
結構な量になるのだが、
それを家から運ぶことになるのだ。



さらに直会(お清め)の食事も不安である。

ケイタリングで頼めるとはいうものの、
届けて終わりでは、並べたり片付けたりを
自分たちでやらねばならない。

気心の知れた親戚なら良いのだが

仲が悪いわけではないけれど、
あれこれ注文をつける人たちが来る。
となれば、やっぱりお持てなしはしっかりしておきたい。
というか、そこでいらぬ気遣いをして疲れたくない。

打ち合わせはまだだが、

葬儀屋さんに入ってもらうと、
神饌&三方はお任せになるはずである。
直会の食事も任せることができる。
さらにお返しも頼めるだろう。

自力でやってできないことはないけれど、

それだけの苦労をしても
後からあれこれ言われるようでは元も子もないのだ。
ということで、明日葬儀屋さんと打ち合わせである。

それもまたワタシのお仕事である。


「納骨」準備鋭意進行中!

半年ぶりにやっと忌明けであるからして、
「慰霊祭・埋葬祭」となる納骨の日取りが決まった。

宮司さんと、霊園と、石材店に連絡を入れて
もちろん実家にも電話して
確認やら依頼やらしまくった。
必要物一覧チェック表も作った。

さらには親戚宛に通知も作らねばならぬ。
関係者だけの小さな集まりなのだが、
とにかく出すことになった。
その文面も決め、印刷もやる予定だ。

そして当日の挨拶である。
引き続きワタシが喪主なのだろうな。
今回は進行上の挨拶だけだから大したことはない。
とは言いながら、
やっぱり準備は必要である。

まったくもって山のような仕事が
一気に降ってきた感じだな。

でも困るのは、実家の弟と宮司さんが、
直接メールでファイルのやり取りができないことだ。
「こんな式殿なんですがどうでしょう?」とか
「こんな雰囲気に神饌(お供えもの)を用意するのだ」とか
画像をやりとりしながら話ができないのは、
時間的に迫っていることを考えるとキビシイ。

宮司さん本人はメールをしていないらしい。
ただ、神社宛にメールすると
それを印刷して宮司さんに手渡してくれるようなので、
神社宛に画像を添付して送ってみた。
さてどうなるかな。

弟の方はどうしようもない。
もっているのはガラ携だし
タブレットとかPCとかも持っていない。
家はインターネットもファックスも繋がらない。
だから実家詣での時に、プリントアウトした写真などを
持っていくしかないのである。

体調が綱渡りな状態はまだ続いている。
でも今月中にはすべて方がつくはずだ。
そして平和な気持ちで
やってくる夏を満喫できることを楽しみに
とにかくがんばろうと思うぞ。

2015年6月5日金曜日

「納骨祭」に向けて動くぞ

体調は綱渡りながら、
納骨祭の段取りを進めなければならない。

納骨祭だけでも初めてのことなのに、
実際は忌明け&納骨祭だから
さらにわからないことだらけだ。
でもやらねばならない。

以下、やることの覚書


・日程

  式場&宮司さん&親戚等と調整、決定
  親戚に連絡、当日参列者の把握
  
・当日持参品
  遺骨、永代使用承諾書、火葬証明書を準備
  参列者お返し内容の決定、注文

・霊園

  墓前生花、お榊(宮司さんにお願いするのかも)依頼
  手桶料、客殿使用料の準備

・石材店

  当日の埋葬作業依頼
  埋葬料準備

・宮司さん

  玉串奉奠たまぐしほうてん神饌しんせん三方さんぽうの依頼
  玉串料、お車代、御膳料(お食事をされない場合)準備

・ケイタリング会社
  食事の種類を決定 → 直会なおらい(食事)」の依頼
  支払いの準備
  

自分は何も動かずに、早く早くとせっつくのは楽である。

しかし、葬式と違って、葬儀社に入ってもらわないから、
細かな打ち合わせを宮司さんともしなければならないし、
お返しだって、自分たちで一から選んで、
自分たちで式場まで持っていかねばならないのだ。
すげぇ、てーへんなのである。

とにかく進めよう。
元気になったところで。
元気なうちに。