今や「いつまでもデブと思うなよ (新潮新書)」(新潮社、2007年)の著者にして、ダイエット成功者としての方が有名なんじゃないかと思える岡田斗司夫の1996年の作品の文庫版が、この「オタク学入門(新潮文庫)」(新潮社、2008年)である。
なぜ、どういう視点から、オタクたちは一見幼稚なものや、どうでもいいような些細なことにこだわり、その凄さやマズさを熱く語るのか。「オタクというのは作品論ではない。視点の問題なのだ。」という極めて面白い本である。オタク論でありながら、文化論であり、時代を理解する手助けになる本、あるいはわたしなんぞは、自分の生き方を肯定してもらったような本である。
すでに10年以上の歳月が流れ、その間には1995年からテレビ放映された「新世紀エヴァンゲリオン」や「もののけ姫」「ポケットモンスター」の大ブーム、2001年の「千と千尋の神隠し」が、実写映画を抑えてベルリン2002年の国際映画祭金熊を受賞、2002年のアカデミー長編アニメ賞を受賞など、オタクをめぐる環境やオタク自体もずいぶんと変化した。
しかし「この文庫の元になった単行本を書いたのは、1996年で、過剰にオタクが非難されていた時期でした。だから、思い切って持ち上げないといけなかったんです。」(本書より)という部分はあるにしても、時代に左右されない説得力のあるオタク文化論である。
オタクの3つの目として、次のようなオタクの視点を指摘する。
なぜ、どういう視点から、オタクたちは一見幼稚なものや、どうでもいいような些細なことにこだわり、その凄さやマズさを熱く語るのか。「オタクというのは作品論ではない。視点の問題なのだ。」という極めて面白い本である。オタク論でありながら、文化論であり、時代を理解する手助けになる本、あるいはわたしなんぞは、自分の生き方を肯定してもらったような本である。
すでに10年以上の歳月が流れ、その間には1995年からテレビ放映された「新世紀エヴァンゲリオン」や「もののけ姫」「ポケットモンスター」の大ブーム、2001年の「千と千尋の神隠し」が、実写映画を抑えてベルリン2002年の国際映画祭金熊を受賞、2002年のアカデミー長編アニメ賞を受賞など、オタクをめぐる環境やオタク自体もずいぶんと変化した。
しかし「この文庫の元になった単行本を書いたのは、1996年で、過剰にオタクが非難されていた時期でした。だから、思い切って持ち上げないといけなかったんです。」(本書より)という部分はあるにしても、時代に左右されない説得力のあるオタク文化論である。
オタクの3つの目として、次のようなオタクの視点を指摘する。
「粋」の目は「作品を単なるお話としてみるのではなく、『クリエイターのセンスの結実』として捉える目。その作品群を時代的に位置づけ、歴史的に評価する『鑑定家の視点』のことだ。」
「匠」の目は「作品を論理的に分析し、構造を見抜く科学者の視点だ。」
「通」の目は「作品の中にかいま見える、作者の事情や作品のディーテールを見抜く目だ。作品内にスタッフたちの情熱や葛藤といったドラマを見いだす視点。」
また、後半のオタクの文化的位置づけも面白い。
西洋では、キリスト教とギリシャ哲学を「メインカルチャー」と捉えた上での、反「階級社会文化」としての「カウンターカルチャー」、階級社会を持たないアメリカで、反「大人」としてかたちを変えた「サブカルチャー」。
しかしオタクは、そのどちらにも属さない、子供を一人の大人として捉える日本独自の文化の中で育まれてきたものであり、また職人の芸を鑑賞する職人文化の継承者でもあると言う。う〜ん、面白いなぁ。だからアニメにしても特撮モノにしても、子供も楽しめるけれど、子供が理解する範疇を越えた世界が大人をも惹きつけるわけだ。
で、この3つの目っていうのは、音楽、っていうかわたしの場合プログレッシヴ・ロックを楽しむ上でも思い当たることばかりなのだ。
アルバムを聴く時に、どういう斬新さ、工夫、オリジナリティー、プレイの素晴らしさ、そして、それまでの作品からの流れ、他のバンドの作品との関係や影響などを見る「粋の目」。アルバムの構成、展開、あるいはどうするとこういう音が出るのか、ここでメロトロンじゃなくてソリーナを使っているところがいい味になっている、とかいった「匠」の目。そして、この当時のバンド内の対立は結構大変だったらしいとか、わずか3日で作ったらしいからほとんどスタジオライヴの一発録りらしいとか、この時期は録音機材がまだ貧弱だから、これだけの音を重ねるのは大変だったはずといった「通」の目。
こだわり方の程度の差はあっても、こうした視点はわたしも持っている。だからアルバムだけでなく、雑誌やインターネット情報もチェックしながら、さらに深くアルバムを味わうのである。
あっ、やっぱりわたしもオタクのはしくれか。オタクになれるものを持っているというのは、うれしいことなのだとわからせてくれた本。
西洋では、キリスト教とギリシャ哲学を「メインカルチャー」と捉えた上での、反「階級社会文化」としての「カウンターカルチャー」、階級社会を持たないアメリカで、反「大人」としてかたちを変えた「サブカルチャー」。
しかしオタクは、そのどちらにも属さない、子供を一人の大人として捉える日本独自の文化の中で育まれてきたものであり、また職人の芸を鑑賞する職人文化の継承者でもあると言う。う〜ん、面白いなぁ。だからアニメにしても特撮モノにしても、子供も楽しめるけれど、子供が理解する範疇を越えた世界が大人をも惹きつけるわけだ。
で、この3つの目っていうのは、音楽、っていうかわたしの場合プログレッシヴ・ロックを楽しむ上でも思い当たることばかりなのだ。
アルバムを聴く時に、どういう斬新さ、工夫、オリジナリティー、プレイの素晴らしさ、そして、それまでの作品からの流れ、他のバンドの作品との関係や影響などを見る「粋の目」。アルバムの構成、展開、あるいはどうするとこういう音が出るのか、ここでメロトロンじゃなくてソリーナを使っているところがいい味になっている、とかいった「匠」の目。そして、この当時のバンド内の対立は結構大変だったらしいとか、わずか3日で作ったらしいからほとんどスタジオライヴの一発録りらしいとか、この時期は録音機材がまだ貧弱だから、これだけの音を重ねるのは大変だったはずといった「通」の目。
こだわり方の程度の差はあっても、こうした視点はわたしも持っている。だからアルバムだけでなく、雑誌やインターネット情報もチェックしながら、さらに深くアルバムを味わうのである。
あっ、やっぱりわたしもオタクのはしくれか。オタクになれるものを持っているというのは、うれしいことなのだとわからせてくれた本。
(文中の引用部分はすべて同書より)