最近になって、ここのところ聴けなかった筋肉少女帯が、半年ぶりに聴けるようになった。
その時は、今の自分から遠い世界、1970年代のロックなら聴けても1990年代以降の最近の音楽が、記憶に新しい出来事と結びついて生々し過ぎて、聴けなかったんじゃなかと思っていた。それが聴けるようになったのは、少し気持ちが落ち着いてきた証拠じゃないかと。
そして今日気づいたのだ。聴けなかったのは、日本語の歌だったことを。
生々し過ぎて必死にココロを守る要塞を作っていた時には、ココロに直接響いてくる日本語の歌詞が聴けなかったのだ。例えば大好きな以下の人たち。
・特撮 :大槻ケンヂのバンドだから同上
・椎名林檎 :声、メロディー、歌詞どれも突き刺さる
・東京事変 :椎名林檎のバンドなので同上
・松崎ナオ :鼻に抜けたユルい声なのに迫ってくる
・矢野絢子 :力強い声。「ニーナ」に涙(右上)
・柴草玲 :一番自分の近くにある音楽(右下)
・元ちとせ :名曲「ワダツミの木」と「ハイヌミカゼ」
・一青窈 :声量はあまりないんだけど魅かれてしまう
・つじあやの:ウクレレにふさわしい自然体のユルい声
・KOKIA :唯一無二の声。しかし曲は意外と暗い
・ちあきなおみ:深過ぎる
・あがた森魚:突然ココロに染み込んでくる時がある
ヘヴィメタ系はOKなのだ。「陰陽座」とか「五人一首」とか。「人間椅子」もなんとかイケル。
今日またまた久しぶりに元ちとせと一青窈を聴いて、まだどこか違和感があると思ったのだ。心を開いて聴けないと言うか。それ以上入ってこないで、みたいな。
だからココロもまだ無理してはいけないのです。みんな待っていてくれてるのだ、また聴かれるようになる時を。