2009年5月28日木曜日

「フロン」岡田斗司夫

フロン―結婚生活・19の絶対法則」(岡田斗司夫、幻冬社文庫、2007年)は、2001年に海拓社から出た単行本の文庫版。わたしが持っているのは2001年のオリジナル(左写真)なので、内容的にもし加筆・修正等の違いがあったらご容赦願いたい。

しかしその頃から考えていたのだ。どうにかしたいこの今の生活を。はっきり言おう。子供がいなければすでに同居人とは別の人生を歩んでいただろう。子供がいて、そのうちの一人が知的障害を持っているということが、子育て共同体としての同居人とのわずかな糸なのだ。この子を育てていくことは両方の親の責任なのだ。

しかしそれ以外の家族の有り様、家庭の有り様については、疑問を持っていた。マイホームを建てて、休日には家族そろってバーベキューか?家族そろってお買い物か?家族そろって団らんか?

今の郊外型、核家族型スタイルは、1948年ニューヨーク、マンハッタン郊外のレヴィット・タウンから始まると言う。このレヴィット・タウンでは分譲地だけでなく、そこに済む人たちのライフスタイルまで提案した。

「男は仕事、女は家庭」
「妻は郊外の新築の家で子育てをして、夫は都会に通勤する」
「一族親戚のしがらみから逃れて、親と子どもだけ(核家族)で生活する」

 
このライフスタイルの提案は当時のアメリカで熱狂的に受け入れられ、戦後の高度成長への道を道を歩み出した日本も「目指すべき目標」として追い求め始めた。大農家は解体され、大家族、家父長制制度も次第に崩壊し、言わば“幸せな核家族幻想”が生まれ始めたわけだ。

それが高度成長期にはある程度機能していた。

「夫は外でしっかり働き、妻は家でやりくりをし、子育てする。子どもは勉強をがんばる。それさへクリアしていれば、誰もが満足だったのです。(中略)しかし高度成長時代が終わって豊かさが飽和した時代、新しい幸福像を求めて迷う時代がやってきた」
 
と同時にすべての問題は、核家族内の「愛情」の問題に還元されるようになる。かつては、何か事が起これば親族や村落共同体の中での話し合いや、長老の判断などが優先され、共同体外部から家族を守る役割を果たした。逆に共同体から追放するという処罰も存在したが。

今は家族にいきなり問題の原因や解決が直接、当たり前のように求められる。誰も助けてくれない。そして何かことが起こると、そこに「愛情」がどれだけあったのかが問題視される。「愛情が足りなかったからだ」とか「愛情は見せかけだったのだ」と、家族が直接非難される。そんな息の詰まる、常に危険にさらされているような状態が家族の現状だ。

「夫と妻が一緒に暮らしているのは、お互いが一番好きだから。子どもを育てているのはそのこがかわいくて大事だから。これだけ聞くとすばらしいのですが、裏返せば『好き』がなくなったときには、なんにも接着剤がない、ということです。」
 
ココロの中にわだかまっていた言葉にならない思いを、はっきりと言われた気がして震える思いだった。 そしてその理由を分析する。

「現在の若者から中年に至るほとんどの世代は、1975年以降の飽和社会、豊かさ頭打ちの中で育った世代。この世代の特徴は『自分の気持ち至上主義』です。いまの自分の気持ちを一番大切にしたい。その気持ちを貫くことが信念であり、その気持ちを失うことが挫折である。『自由』こそが最も重要な価値だと教育を受けた世代なのです。」
 
結婚に関しても

「愛があるんだから、ふたりで一緒にいるのは、いつもとても楽しいはず。ケンカをしても、すぐ仲直りできるはず。『はず』はいくつも重なります。つまり浮気や不倫どころか、人間の根源である感情の自由すら奪われる事になるのです。」

「結婚生活を続けるためには、理由が必要なのです。現在の結婚生活では、恋愛感情という気持ちのみが、苦痛を喜びに変換する装置として存在しています。ですから、恋愛感情がある臨界点を割り込んで下がってしまうと、ごく自然に毎日一緒にいることを苦痛と感じ始めます。その苦痛がさらに恋愛感情を下げるわけです。」

 
あ〜もう引用し出すと、全部書いてしまいそうになるほど、今の家族のあり方の不自然さ、家族が抱えている苦しみ、幻想と理想とのズレ、苛立ち、そういったものがとても丁寧に、わかりやすく分析され解説されている本だ。

この新しいシステム、不完全で時代遅れとなったシステムを再生するには「夫をリストラする」という結論に達するところが面白い。家庭を「安らぎの場」だと考えて家では何もせずに、しかし一家の大黒柱としてすべてをしてもらうことを当たり前と思っている自分勝手な父親と、夫なんだから父親なんだから、これをしてくれるはずだと頼りや甘えを持つ母親。

家庭内でのリーダーは母親であることを明確にし、父親がその存在による弊害が大きいのであれば、「リストラ」する。そして岡田氏はなんとそれを実践し、離婚してしまう。

「一夫一婦制にかわって、新たに私たちを幸福にするシステム。それが『シングルマザー・ユニット』を核とする新家族制度です。なお、別に親は“マザー(母親)”である必要はありません。“シングルファーザー(父親)”でもOKです。(中略)新しい家族制度というのは、誤解を恐れずに極論すると、不特定多数を対象とした一妻多夫制度です。(中略)かつて夫単体に依存していた関係をn人、つまり複数の相手に分散させるわけです。」
 
最後に一つ。

「産業社会を維持するために、外勤労働と家事育児を夫婦で完全に分業するためのシステム」には、子育てや仕事からリタイアした後のことは、含まれていません。」

したがって

 「家庭とは育児をするための期間限定の『職場』である」

わたしはこの本で、家庭に安らぎを求めてガザガザした関係、いがみ合う関係になることがいかに現実的でないかを悟った。自分の期待は満たされないことを知った。それは自分だけの問題ではなく、今「家族制度」そのものが直面している問題でもあることを知った。

そしてこの本文中にもあるように、「安らぎの場所」を切り離す事で、家庭という「職場」で少しずつ仕事と信用を得ようとした。それも育児をするための期間限定として。

本当に家が苦しかった時に、自分のココロを救ってくれた一冊。

もう一度言おう、「安らぎの場所」があるからこそ、家庭でも穏やかに与えられた役割を果たそうと言う気持ちになれるのだ。家庭と恋愛とは別なのである。