2009年5月9日土曜日

「プログレッシヴ・ロックの哲学」巽 孝之

   
「プログレッシヴ・ロック」は確かに1970年当時のロック革新時代においては“プログレッシヴ(進歩的)”であった。しかし次第に革新的だった方法論そのものが様式化しジャンル化していった。しかし、もっと言えば、「プログレッシヴ・ロック」はその当初より、ある程度の様式の中に存在していたと思う。

例えばアメリカのバンドであっても、クラシカルなKansas(カンサス)やStarcastle(スターキャッスル)は“プログレッシヴ・ロック”として受け入れられても、Frank Zappa(フランク・ザッパ)やTod Rundgren(トッド・ラングレン)、あるいはThe Grateful Dead(グレイトフル・デッド)らの、非ヨーロッパ的な、あるいは“アメリカ的”なグループは、“プログレッシヴ”なロックとは一線を画されていたように思う。

つまり「プログレッシヴ・ロック」には“ヨーロッパ的である”という“様式”がすでに存在していたと言える。したがって、ソウル、ファンク、アフロなどブラックミュージック系の音が混ざることは、実は潜在的に許されていなかった。

だからPink Floydが「The Dark Side Of The Moon(狂気)」で、「The Great Gig In The Sky(虚空のスキャット)」において、ソウルフルなスキャットを大胆に取り入れた時、リスナーは度肝を抜かた。しかしそのピアノの醸し出すクラシカルな雰囲気が実に見事に全体としてのソウル感覚を消していたため、このスキャットは“ヨーロッパ的”な音楽の一部として受け入れられたのだと思うのだ。

こうして考えてみると「プログレッシヴ・ロック」という音楽は、まだまだきちんと論じられてきていない音楽だと思う。「プログレッシヴ・ロック」に関する書籍は意外とあるのだが、そのほとんどは、1970年代を中心とする代表的なプログレッシヴ・ロックバンドの紹介及び名作アルバムの紹介を主とした内容である。

プ ログレッシヴ・ロックの範疇を越えて、ロック全体に対する影響の大きいバンドに関しては、詳細なバンドの歴史や作品制作の過程や意義に至るまで克明に記し た「研究書」的なものも存在するが、「プログレッシヴ・ロック」という音楽を、学究的な視点で論ずる書籍はなかなかお目にかかれない。

そんな中で、「プログレッシヴ・ロックの哲学 (Serie′aube′)」(巽 孝之、平凡社、2002年)は、プログレッシヴ・ロック関連の書籍の中でも、珍しくその音楽そのものを論じた著作である。

本書は慶応義塾大学文学部教授である巽 孝之(たつみ たかゆき)氏による、プログレッシヴ・ロックに関する論考である。より広い視野からプログレッシヴ・ロックを解読し位置づけしていこうとする試みが面白い。と言ってもそれほど難解なものではなく、エッセイ風な読み易さがある。

「二〇世紀における現代音楽の三大巨匠として、バルトーク、ストラヴィンスキー、それにシェーンベルクを挙げるのは、常識の部類に属するが、ELPとイエス、キング・クリムゾンはそれぞれがそれぞれの方法論によって、彼ら巨匠たちの残した課題に取り組んでいるように見える。」(同書より)

こうした指摘も、先に述べた“ヨーロッパ的”という“様式”と関連づけて読んでみると面白かった。しかしそれと同時に彼らの音楽は「もう一つの『アメリカの夢』によって貫かれていたのではないか、という確信を抱かざるを得ない。」(同書より)とも述べられている。面白そうでしょ。

著者はPatrick Moraz(パトリック・モラーツ)のキーボード・トリオRefugee(レフュジー)の唯一のアルバム「Refugee」(1974)[左写真]を、プログレッシヴ・ロックの最高の一枚にして「標準」、「理想的な範型」とする。そして最後に20枚の「名盤」を載せている。King Crimsonからは「Thrak」のみという、中々大胆な選定である。

この視点を見てどういう印象を持つかが、また自分にとってのプログレッシヴ・ロックを考えるきっかけになるであろう。