2009年5月21日木曜日

東欧のロックと民主化

昨日ハンガリーのオメガというバンドの「Gammapolis(ガマポリス)」(右図)というLPをデジタル化した。この時、レコードに付いていたライナーノートを読んで、あらためて当時の東西冷戦時代に思いを馳せてしまった。

ソ連が崩壊し東西冷戦構造が崩壊、第二次世界大戦で分断された東西ドイツで東西冷戦の象徴であったベルリンの壁が事実上なくなり、東欧諸国の民主化が一気に進められたのが1989年。「Gammapolis」というアルバムは東西冷戦の真っただ中、1979年に作られている。 日本でのLP発売は1980年だ。
ライナーノートの一部をご紹介しよう。

「東欧のミュージシャンにとってロックをプレイすることは、そのまま生命の危機に直結する。これは決して誇大な表現ではない。なぜなら各政府はロックを西側の退廃の象徴であると危険視し、完全な禁止もしくは何らかの圧力をかけているからだ。ロックという名称の使用さえ許されず、チェコ、ソ連のようにジャズやダンス・ミュージックの名の下で活動を余儀なくされる国さえある。従ってアーティスト達は音楽自体に挑むと同時に国家権力や思想的な弾圧とも対峙しなければならない。もちろん、一つ間違えば思想犯として余生を監獄で送るハメになる。こうした半ば思想統制下にあって、ミュージシャン達は地下活動や警察の監視下でのコンサートなどを行いながらも、各国々で独自のシーンを形成している。」
(羽積秀明:フールズ・メイト)

そうか、だから「1990年の海外派遣」(09.05.07)で書いたように、ハンガリーを訪問した時に、授業で「ランバダ」を踊っているなんてことは、それまでは夢にもあり得ないことだったはずの出来事なのだ。

「ランバダ」とは南米発祥のダンス&音楽で、当時ディスクで流行って、フランスの「カオマ(Kaoma)」というグループが「Lambada」という世界的ヒットを飛ばしたばかりだった。ちょっとエロティックに見える踊り方が特徴だ。以前の東欧ではおそらく、“ロックよりも退廃した音楽”として扱われたはずだ。

その「ランバダ」の授業をわざわざ見学者に見せたということは、「民主化」しているというデモンストレーションだったのだろう。

そう言えば案内役の教員が「今度校長を教員の投票で決めるんですよ」と自慢げに言っていたのが印象的だった。「ほら、私たちはもう“民主的”な国になったんですよ」とでも言わんばかりに。

頭の中の理想化した「民主化」とか「西欧化」に、針を目一杯振り切っていた時期だったんだろう。

一斉に西欧化、民主化しようとする旧東欧諸国の様子が報道されるのを見るにつけ、その時も思ったものだ。東欧諸国の「共産主義体制がダメだったことがわかっただけ」じゃないか、それは西欧民主主義・資本主義体制がダメじゃないことを証明したことにはならないんだよなって。

しかし校長が教員の投票で決まる。スゲエです。どうなったかなその後。