2009年5月19日火曜日

「アルジャーノンに花束を」ダニエル・キイス


 
アルジャーノンに花束を」(ダニエル・キイス、ダニエル・キイス文庫、早川書房、1999年)読了。1959年に中編が書かれ、1966年に長編版が書かれ、中編が1960年のヒューゴー賞、長編んが1966年のネビュラ賞と、SFの2大タイトルを手にした有名な小説である。

今明け方の4時過ぎだ。遠くでカラスの泣き声が聞こえる。朝が近い。

読み始めたのは数日前だったかな。仕事に行っていないと曜日の感覚が鈍るから。でも少しずつ読み進めていたら、昨日の夜からクライマックスに向けて読むのを止めることができなくなってしまった。

32歳でありながら、軽度の知的障害を持って、それでも前向きにパン屋の仕事をしていたチャーリー・ゴードンの数奇な運命を描いた本である。彼はアルジャーノンいう名前のマウスに施された脳外科手術の劇的な成果から、同じ手術の最初の被験者となる。

物語はチャーリー本人の「経過報告」のかたちで綴られているので、稚拙で間違えだらけの文章が手術の結果、通常のIQレベルをも飛び越え、「天才」の領域へと高まっていく様が、文体の変化や内容の高度化から読み取ることが出来るようになっている。

とともに、理解できなかった過去の出来事の悲しくも忌まわしい現実やその意味を理解することで、知的なレベルとは異なった、情緒的な混乱に苦しむことになる。さらに知的なレベルが高くなることと、周りとうまくやっていくことや「友だちを作ること」とは違うということも体験していく。

単行本としては1989年に発行されている。話題になっていたのは知っていたし、読みたいなとも思っていた。しかし上の子がまさにこの知的障害(広汎性発達障害=自閉症)であることがわかったこともあり、読む勇気がなくなっていた。

そこには障害者の苦しい気持ちと、家族のいたたまれない気持ちがとてもたくさん含まれているのではないか。わたしたち親が上のこにしてきたことは正しかったのか、反省させられる結果になるのではないか。

しかし考えてみれば、知的に障害がなくても、人は日々辛さと苦しさと戦っているのだ。知的に障害があっても、幸福な生活だってある。楽しく暮らせることが大事なのだ。

例え、いさかいをしつつも、基本的に彼を守ろうとしていた両親には共感した。そう、大切なことは、小さな時にしっかりと一人の人間として相手をし、周りから守ってあげることなんだ、そんな気がした。その思いは、きっと成人になっても、「天才」にならなくても、周囲への信頼や自分への自信として、生きていく上で大切な基礎になることだろう。

急激な変化の中で、周囲とのバランスが取れなくなる主人公。しかし何とか糸口をみつけようともがき、最後には自らを分析して記録として残しておこうとする主人公。次第に魔法が解けて、経過報告の文体が幼く戻っていく最後は悲しい。でもチャーリーは納得している。再び前を見つめている。

わたしはその実験による変化のすべてに、感情的に寄り添い続けようしようとした知的障害成人センター教師のアリスの思いに心が震えた。実験・研究の成果としてのチャーリーでありながら、一人の人間としてのチャーリーを見続けようとして、愛し続けようとしたアリス。

「天才」になったチャーリーが、かつてのチャーリーが窓のところで自分をのぞいていると感じ、自分の中には「天才」になる前のチャーリーがいるんだ、「天才」になる前だって一人の人間だったチャーリーがいたんだと思う場面の痛烈さ。

一見劇的な設定ではあるけれど、物語は淡々と進み、生きていくことのいろいろな思いが詰まった本である。幸せとはいったい何なんだろう。