2014年5月26日月曜日

ピーターとお母さんの場面が泣ける…

「ケンジントン公園のピータ・パン」の翻訳も
前半部分の佳境とも言うべきところである
赤ん坊のまま家を抜け出し
人間になることができなくなったピーターが
再びお母さんに会いに戻って来る場面である

部屋の窓は
かつてピーターが鳥のように飛び去った時のままで
開け放たれているのだ
お母さんはそこで眠っている
妖精の力を借りて空を飛んで戻って来たピーターは
静かに部屋に入るとベッドの足元に座って
眠っているお母さんを見つめるのだ

相変わらず長い文章に長い段落
会話が無く変化の少ない文章
つまり映像的には長回しの無言劇/一人芝居である
でもこれが泣けるのだ
お母さんの思いとピーターの思い
でも公園での自由な生活も捨て切れない
ピーターの幼い葛藤
それをベタベタさせない
客観的な冷めた堅い表現で綴っていくのだ

ほんのちょっとしたことで変わる運命
他愛ないようなことで移り変わる感情
そうしたことを見せてくれる名場面だ
そしてラストで強調される
「この次というものは無い」という言葉

涙を流しながら眠っているお母さんに
ピーターは笛で子守唄を奏でてあげるのだ
でも起こさないのだ
自分が戻って来たことも告げないのである
切ないなぁ

などと思いながら訳すこともあれば
この「花がピンを貸してくれる」ってどういうこと?
とず〜っと調べたり考えたりして
結局分からないままだったりもしているのである

いやぁとにかくのめり込むので疲れる
疲れるけどそれだけのめり込むことで
一応生活が充実している感じがするなぁ