2009年5月31日日曜日

座頭市に学んだ杖の意外な効用

腰痛で杖を使っていた訳ではない。年老いてきたから杖の一つも手に入れようかということでもない。でも、あの折りたためるやつはちょっと秘密兵器っぽくて興味はあるんですが。ここでは全然別の話。

勝新太郎の「座頭市」の殺陣(たて)の見事さはたびたび述べている。一時は仕込み杖は欲しいなぁとまで思った。仕込みの剣を使う場合は、杖として使っているところから自然なかたちとして逆手で抜くことになる。座頭市は順手ではなく、逆手の居合い切り名人という、特殊な技の持ち主なのだ。

それはともかく、逆手で剣を握るとどうしても順手よりリーチが短くなる。だから座頭市の殺陣には剣と剣がチャリンチャリンとぶつかる場面はほとんどない。居合い自体が一瞬の技だということもあるが、逆手だと剣を合わせる間合いではなく、もっと相手の懐に飛び込み、ボクシングのフックやアッパーを入れるような感じで剣を使う。

だからいつも一瞬の勝負なのだ。しかし殺陣として派手なものではなく、もみ合っているように見えてしまう。勝新太郎はうまく動きにデフォルメを少し入れながら、スピードとタメで見せる。静と動の落差で緊張感を作り出す。

話が大きく逸れた。杖の話だ。

「座頭市」を見て影響を受けて、駅中とかの雑踏で「もし仕込み杖を持って、まわりが皆敵だったら、どう使うかな」と想像したことがある。雨の日だったのでたたんだ傘を仕込み杖に見立てて。あっ、笑わないで下さいね。

相手の動きに合わせて、すれ違う瞬間に相手の右か左にギリギリで自分の体を逃がして、その瞬間に切る。腕だけで切るのではなく、カラダの移動や回転に合わせて切る。ふむふむ、こんな感じか。

そこでふと気づいた。雑踏の中で杖替わりの傘をカラダの前に構えていると、歩いている時に人を避け易いのだ。全然違う。傘を少し動かすだけで自分の重心がコントロールしやすくなるのだ。すると相手を余裕で避けることが出来る。

ならばと、傘ではなく片手の肘から前を少し突き出して歩いてみた。力まず、やってくる人々の流れに合わせて、少し腕を動かす。するとやはり重心が動かし易いのだ。ギリギリで相手の脇をすり抜けられる。)の方が楽だけど、近い効果を得られる。

あ〜、杖っていうのは、身体を支えたり、怪我した足のかわりに使ったりするだけでなく、カラダの微妙なバランスをコントロールしやすくさせる力あるんだなぁと思った。

座頭市風の杖が欲しいなぁ、とまた思った。でもできれば北野武「座頭市」で使われていた朱塗りの細身な杖がいいなぁ。

細身ではないけど、土産物屋の木刀はどうかって?確かにツカを取れば仕込みっぽくなるんだけど、仕込み杖って普通の刀のように剣が反っていないのだ。真っすぐなのだ。土産物屋の木刀だと杖にはならないんだなぁ。

いや仕込みじゃなくていいんですって。杖でいいの杖で。
流行らないかなぁ、杖。

2009年5月30日土曜日

「佐武と市捕物帖」の凄さ

Gyaoの「昭和TV」で配信中の「佐武と市捕物帖」『涙の花吹雪』を観た。凄い。やっぱりこの頃の番組は30分でも中味が濃いなぁ。

今あらためて思うのは、当時の番組には、「ウルトラQ」や「ウルトラヒーロー」ものや「怪奇大作戦」など、30分枠でよくぞここまでっていう内容の作品が多かったけど、この「佐武と市捕物帳」も凄いなぁ。
さらに独特なのは、大人向けの時代劇アニメとして、放送時間が夜9時からという異色な番組だったという。放映は1968年だから「ウルトラセブン」と同時期ぐらいか。全編白黒。これがまたいい。話の暗さが引き立つ。
   
  
内容は、江戸を舞台に二枚目の岡っ引き佐武と、盲目のあんまにして仕込み杖の達人市の名コンビが、難事件に挑む捕り物帖。原作は石ノ森章太郎だ。市のモデルは、当然「座頭市」だろうが、性格の設定が違うため、座頭市のイメージには捕われない。
『涙の花吹雪』も、捕り物と悲恋とラストの一騎打ちが、見事に30分という枠に中にまとめられている。ムダがない。

そのシナリオも上手いが、絵の使い方がまた凄い。白黒の炭で描いたような背景の深み、
コマ数の少なさをハンデとせず、ナレーションと会話で物語を進め、構図の美しさや動きのタイミング、と言うか“呼吸”や“間”で動きを描き切ってしまう見事さ。リアリティーを追わないで見せる日本アニメの真骨頂が堪能できる。

今でも十分な見応え。むしろ今の動きが強調されたアニメにはない、暗さと重みが魅力だ。やたらと複雑な設定や迫力ある映像を求めるのではなく、こういう作品を継いでいく作品はないのだろうか、と思ってしまいました、昭和の人ですから、わたし。

ちなみにちょっと調べたらDVDで全13巻、オリジナルのマンガは小学館文庫で全10巻出ている。ちょっとヤバいかも、と思っている夜中の1時過ぎ。

2009年5月28日木曜日

「フロン」岡田斗司夫

フロン―結婚生活・19の絶対法則」(岡田斗司夫、幻冬社文庫、2007年)は、2001年に海拓社から出た単行本の文庫版。わたしが持っているのは2001年のオリジナル(左写真)なので、内容的にもし加筆・修正等の違いがあったらご容赦願いたい。

しかしその頃から考えていたのだ。どうにかしたいこの今の生活を。はっきり言おう。子供がいなければすでに同居人とは別の人生を歩んでいただろう。子供がいて、そのうちの一人が知的障害を持っているということが、子育て共同体としての同居人とのわずかな糸なのだ。この子を育てていくことは両方の親の責任なのだ。

しかしそれ以外の家族の有り様、家庭の有り様については、疑問を持っていた。マイホームを建てて、休日には家族そろってバーベキューか?家族そろってお買い物か?家族そろって団らんか?

今の郊外型、核家族型スタイルは、1948年ニューヨーク、マンハッタン郊外のレヴィット・タウンから始まると言う。このレヴィット・タウンでは分譲地だけでなく、そこに済む人たちのライフスタイルまで提案した。

「男は仕事、女は家庭」
「妻は郊外の新築の家で子育てをして、夫は都会に通勤する」
「一族親戚のしがらみから逃れて、親と子どもだけ(核家族)で生活する」

 
このライフスタイルの提案は当時のアメリカで熱狂的に受け入れられ、戦後の高度成長への道を道を歩み出した日本も「目指すべき目標」として追い求め始めた。大農家は解体され、大家族、家父長制制度も次第に崩壊し、言わば“幸せな核家族幻想”が生まれ始めたわけだ。

それが高度成長期にはある程度機能していた。

「夫は外でしっかり働き、妻は家でやりくりをし、子育てする。子どもは勉強をがんばる。それさへクリアしていれば、誰もが満足だったのです。(中略)しかし高度成長時代が終わって豊かさが飽和した時代、新しい幸福像を求めて迷う時代がやってきた」
 
と同時にすべての問題は、核家族内の「愛情」の問題に還元されるようになる。かつては、何か事が起これば親族や村落共同体の中での話し合いや、長老の判断などが優先され、共同体外部から家族を守る役割を果たした。逆に共同体から追放するという処罰も存在したが。

今は家族にいきなり問題の原因や解決が直接、当たり前のように求められる。誰も助けてくれない。そして何かことが起こると、そこに「愛情」がどれだけあったのかが問題視される。「愛情が足りなかったからだ」とか「愛情は見せかけだったのだ」と、家族が直接非難される。そんな息の詰まる、常に危険にさらされているような状態が家族の現状だ。

「夫と妻が一緒に暮らしているのは、お互いが一番好きだから。子どもを育てているのはそのこがかわいくて大事だから。これだけ聞くとすばらしいのですが、裏返せば『好き』がなくなったときには、なんにも接着剤がない、ということです。」
 
ココロの中にわだかまっていた言葉にならない思いを、はっきりと言われた気がして震える思いだった。 そしてその理由を分析する。

「現在の若者から中年に至るほとんどの世代は、1975年以降の飽和社会、豊かさ頭打ちの中で育った世代。この世代の特徴は『自分の気持ち至上主義』です。いまの自分の気持ちを一番大切にしたい。その気持ちを貫くことが信念であり、その気持ちを失うことが挫折である。『自由』こそが最も重要な価値だと教育を受けた世代なのです。」
 
結婚に関しても

「愛があるんだから、ふたりで一緒にいるのは、いつもとても楽しいはず。ケンカをしても、すぐ仲直りできるはず。『はず』はいくつも重なります。つまり浮気や不倫どころか、人間の根源である感情の自由すら奪われる事になるのです。」

「結婚生活を続けるためには、理由が必要なのです。現在の結婚生活では、恋愛感情という気持ちのみが、苦痛を喜びに変換する装置として存在しています。ですから、恋愛感情がある臨界点を割り込んで下がってしまうと、ごく自然に毎日一緒にいることを苦痛と感じ始めます。その苦痛がさらに恋愛感情を下げるわけです。」

 
あ〜もう引用し出すと、全部書いてしまいそうになるほど、今の家族のあり方の不自然さ、家族が抱えている苦しみ、幻想と理想とのズレ、苛立ち、そういったものがとても丁寧に、わかりやすく分析され解説されている本だ。

この新しいシステム、不完全で時代遅れとなったシステムを再生するには「夫をリストラする」という結論に達するところが面白い。家庭を「安らぎの場」だと考えて家では何もせずに、しかし一家の大黒柱としてすべてをしてもらうことを当たり前と思っている自分勝手な父親と、夫なんだから父親なんだから、これをしてくれるはずだと頼りや甘えを持つ母親。

家庭内でのリーダーは母親であることを明確にし、父親がその存在による弊害が大きいのであれば、「リストラ」する。そして岡田氏はなんとそれを実践し、離婚してしまう。

「一夫一婦制にかわって、新たに私たちを幸福にするシステム。それが『シングルマザー・ユニット』を核とする新家族制度です。なお、別に親は“マザー(母親)”である必要はありません。“シングルファーザー(父親)”でもOKです。(中略)新しい家族制度というのは、誤解を恐れずに極論すると、不特定多数を対象とした一妻多夫制度です。(中略)かつて夫単体に依存していた関係をn人、つまり複数の相手に分散させるわけです。」
 
最後に一つ。

「産業社会を維持するために、外勤労働と家事育児を夫婦で完全に分業するためのシステム」には、子育てや仕事からリタイアした後のことは、含まれていません。」

したがって

 「家庭とは育児をするための期間限定の『職場』である」

わたしはこの本で、家庭に安らぎを求めてガザガザした関係、いがみ合う関係になることがいかに現実的でないかを悟った。自分の期待は満たされないことを知った。それは自分だけの問題ではなく、今「家族制度」そのものが直面している問題でもあることを知った。

そしてこの本文中にもあるように、「安らぎの場所」を切り離す事で、家庭という「職場」で少しずつ仕事と信用を得ようとした。それも育児をするための期間限定として。

本当に家が苦しかった時に、自分のココロを救ってくれた一冊。

もう一度言おう、「安らぎの場所」があるからこそ、家庭でも穏やかに与えられた役割を果たそうと言う気持ちになれるのだ。家庭と恋愛とは別なのである。

2009年5月27日水曜日

自作安眠システム

今日の「ためしてガッテン」(NHK)でも睡眠について扱っていた。急いでiPod録画をしたから、それはまたじっくり後で見るとして、最近“開発”した「自作安眠システム」をご紹介しますのだ。
とかもったいぶったわりに簡単なことで、枕の下にiPodなどのデジタルミュージックプレーヤー用のミニ・スピーカーを滑り込ませておくというだけ。ただしポイントは
・スピーカーはできるだけ薄いタイプであること
・できればパッシヴ・スピーカーがおすすめ
・枕がスピーカーを下に敷く影響をあまりうけない材質であること
パッシヴ・スピーカーとは、スピーカー側では電力を必要としないタイプのスピーカー。ようするにヘッドフォンと同じ。ただし、スピーカーで音量を上げることができないので、電池や電源で音を大きくできるアクティヴ・スピーカーほどの音量は出ない。

でも音は小さくていいのだ。それにパッシブ・スピーカーの方が安く、小型なものが多い。だから邪魔にならないし、電池交換とかの心配もない。中にはアクディブとパッシヴを、一台で切り替えて使えるモノもあるから、いろいろ探してみるのも楽しいかも。

わたしは枕はテンピュールとかもたまに使うが、このシステムには「もみ殻」が一番かな。でこぼこしないし、ごつごつもしない。

そして枕元にiPodを持っていって、このスピーカから枕越しにゆったりした音楽を流す。わたしはやっぱりウクレレの音楽が多いかな。熱く燃える音楽だと目が冴えちゃうから、ゆったり静かで美しい音とメロディーのものを流す。
最初は直接ヘッドフォンで音を聴きながら寝ていたんだけど、そうすると横向けなくてカラダが楽にならないとか、聴き入ってしまって返って目が冴えちゃうとか、ちょっと上手くいかない面があった。

この「安眠システム」だと、寝返りも打てるから、自然と知らないうちに寝ているのだ。それに寝るのが楽しみになる。眠れないんじゃないかとか言うヘンなプレッシャーもなくなる。

オススメですよ〜。

もちろんまだまだ睡眠は安定しないけど、辛い中でもいろいろトライ&エラーで試しているんですよ、そういう意味でもまだまだ「人体実験」は続くのであります。

2009年5月24日日曜日

支えてもらったお友達へのメール

わたしが苦しんでいる時、わたしは同じような体験をしたことのある女性に救いを求めた。彼女は自分の体験を語りながら、混乱しているわたしを気遣いつつ、落ち着かせ、励まし、アドバイスをしてくれた。

しかしそうやって彼女に自分の混乱をぶつけたことで、彼女の過去の辛い記憶を呼び覚まし、その後、彼女自身を苦しめることになっていたのだった。

最近わたしは彼女に、お世話になったお礼としてウクレレのCDを贈った。少しでも和んでもらえればと思って選んだものだ。そうしたら、今日、久しぶりに彼女から長いメールが来た。今年になって始めてのメールだった。

そこには昨年末からの自分の苦しみが綴ってあった。でも今は苦しみを乗り越えて、自分でココロの整理をつけよう、立ち向かおうとしている感じがした。

わたしは返事を書いた。

「ご連絡ありがとございました。
 わたしも結局仕事の復帰のメドはたたず、と言うか 
 復職する気はさらさらなく、でもどうしてそうなのか、
 何で今こんなに心身ともに不調なのか、半年以上ずっと
 自問自答してきました。

 ご相談に乗っていただいたり、勇気づけられたりして
 “大きな決断”も先送りしたまま、時間だけが過ぎていって
 それでも結局、長い間大きなストレスを
 カラダがため込んでしまったんだということがわかってきました。
 今はとにかく腰痛がひどく、これもストレス性みたいです。

 だから少々休んでも、点滴するとかいう即効性を求めても、
 ダメなんですね。
 カイロプラクティックの先生からも、
 『ストレスがなかなかカラダから出て行かないねぇ』と
 いつも言われています。

 ご退職の件は、わたしが話を振ったからですよね。
 何だか申し訳なくて、お辛い記憶を思い出させてしまったのかと
 心配しておりました。

 でも、こんな状態のわたしが言うのも変なんですが、
 『人は選択できる道しか選択できない』と
 何かの本に書かれていました。
 たくさん選択肢があるようで、結局その人の選択すべき選択肢は、
 自分が選んだもの、それしかなかったんだと。

 わたしも今にして思うと、
 ああすれば、こうしていたらと思うことはありますが、
 その時その時は精一杯全力投球だったから、
 他の道を選ぶことはできなかったんですね。

 ご退職されたのも、きっとそうすることでギリギリ何か大事なものが
 守れたのではないかと思います。

 わたしが苦しんでいた頃は、本当に
 いただいたメールに勇気づけられました。
 すがるような思いで、何度も読み返しました。

 ありがとうございました。
 のんびり生きていきましょう!

 今はちょっとお酒控えているので、
 飲めるようになったらまたご一緒下さいね。」

そう、これは彼女への手紙であると同時に、自分への手紙でもある。

書いてからそう思った。

「大リーグボール養成ギブス」妄想

基本的にガチャガチャは育った年代+造形的な面白さ(美しさ)から、ウルトラヒーロー&怪獣系がほとんどである。仮面ライダー系、戦隊系には興味がない。

しかし、このシリーズだけは買ってしまった。ド根性野球マンガ「巨人の星」(梶原一騎原作、川崎のぼる画)の主人公、星飛雄馬(ほしひゅうま)である。

少年時代に父、星一徹に強制的に装着させられていた、その名も“大リーグボール養成ギプス”。何がどう作用してどこがどう鍛えられて、大リーグにまでたどりつくのかわからない構造ではあるが、絵的なインパクトは強烈だった。

タイヤまでついて200円。もう最初に最高をゲットしたので、他の星一徹とか伴宙太とか星明子とかまで、買い集める気にならなかった、シリーズ最初で最後の一個である。

前任校の荷物の整理をしていたら出てきた。こんなモノで笑い合う余裕があったんだな。同僚の年代的にも。

考えてみれば「巨人の星」は、根性モノの野球マンガでありながら、その常識をはるかに越えた超人プレイ同士の戦いは、すでにスポ根ものの範疇を越え、SF的ですらあった。
しかしそこにリアリティーがあったのは、一つには、野球というスポーツを個人対個人の一騎打ち(今流に言うなら“バトル”)を中心として描きつつも、心理描写、特に独白(モノローグ)を多く取り入れたことで、人間的な面への共感を得やすくしていたこと。テレビ番組では、30分のほとんどがマウンド上での星飛雄馬のモノローグで、投げた球は数球のみのまま「つづく」なことすらあったような記憶がある。

そうした心理描写は、最後の最後に、盟友
伴宙太が父一徹とともに、敵として立ちふさがり、星飛雄馬の野球人としての最後を事実上看取るというクライマックスに至る、梶原一騎の繰り出すドラマトゥルギーの上で十分に活かされ、リアリティーを影で支えていた大きな魅力だったに違いない。

もう一つは、常識を超えた必殺技「大リーグボール1号」、「同2号」、「同3号」などを登場させながら、その「非常識」さを「常識的説明」、当時の読者にとっては「謎解き」に力を入れていたこと、つまり、あくまで個人の
才能と根性と練習のタマモノとして可能になる、理屈で説明できる範囲内の超人プレイという位置づけにした点によるだろう。あくまでカタチの上として。

だから「大リーグボール2号」、別名「消える魔球」は、なぜ消えるのかとかに、読者は「どういう謎解き」(今言えば「へ理屈」か)が待っているのか、スゴく期待をしたものだった。
そう言えば巨人という実在の球団をタイトルにまで使って、そこのスターを目指すっていう設定も前代未聞である。実在の人物が登場するというのも、リアリティーに一役買っていた部分はあるだろう。
それはともかく、当時はとにかくこの魔球の名称自体が、「大リーグ(メジャーリーグ)」は雲の上の世界だったことを物語っているな。それに加えて「1号」ってなに。「日本で最初の、大リーグで通用するほどのスゴイ変化球」というぐらいの意味だろうけれど、なんだか武器か兵器みたいじゃないか。

その巨人、正式には「読売巨人軍」、あるいは「読売ジャイアンツ」と呼ばれる、日本野球の中心的な存在で、特に1960年代は「野球=巨人」というくらいの人気であった。

しかし面白いのは、この巨人だけ日本の球団の中で唯一“
巨人”という言われ方をするのだ。そう、まるで軍隊のように。彼らは日本人として、あるいは日本軍として、戦後も戦い続けていたのだろうか。あるいは当時の日本人は、野球という戦場において巨人軍(日本軍)が勝ち続けることを心の支えとしていたのであろうか。確か、最後まで外国人助っ人を拒否し続けたのも巨人だった。

当時の力道山プロレスのように、露骨に敵役のガイジンを倒すといった内容ではなくても、連勝する絶対的な強さを持った“巨人軍”は、スポーツとは別の意味をどこかしらに持っていたのかもしれない。

それなら「大リーグボール1号」もわかる気がする。あれはアメリカへの挑戦状なのだ。「巨人軍」の有する対戦兵器第1号なのだ、きっと。

2009年5月22日金曜日

日本語の歌が聴けなかった

最近になって、ここのところ聴けなかった筋肉少女帯が、半年ぶりに聴けるようになった。

その時は、今の自分から遠い世界、1970年代のロックなら聴けても1990年代以降の最近の音楽が、記憶に新しい出来事と結びついて生々し過ぎて、聴けなかったんじゃなかと思っていた。それが聴けるようになったのは、少し気持ちが落ち着いてきた証拠じゃないかと。

そして今日気づいたのだ。聴けなかったのは、日本語の歌だったことを。

生々し過ぎて必死にココロを守る要塞を作っていた時には、ココロに直接響いてくる日本語の歌詞が聴けなかったのだ。例えば大好きな以下の人たち。

・筋肉少女帯:歌詞が異様にココロに響く
・特撮   :大槻ケンヂのバンドだから同上
・椎名林檎 :声、メロディー、歌詞どれも突き刺さる
・東京事変 :椎名林檎のバンドなので同上
・松崎ナオ :鼻に抜けたユルい声なのに迫ってくる
・矢野絢子 :力強い声。「ニーナ」に涙(右上)
・柴草玲  :一番自分の近くにある音楽(右下)
・山本潤子 :元「赤い鳥」の人で、やさしい声が絶品
・元ちとせ :名曲「ワダツミの木」と「ハイヌミカゼ」
・一青窈  :声量はあまりないんだけど魅かれてしまう
・つじあやの:ウクレレにふさわしい自然体のユルい声
・KOKIA  :唯一無二の声。しかし曲は意外と暗い
・ちあきなおみ:深過ぎる
・あがた森魚:突然ココロに染み込んでくる時がある


ヘヴィメタ系はOKなのだ。「陰陽座」とか「五人一首」とか。「人間椅子」もなんとかイケル。

今日またまた久しぶりに元ちとせと一青窈を聴いて、まだどこか違和感があると思ったのだ。心を開いて聴けないと言うか。それ以上入ってこないで、みたいな。

だからココロもまだ無理してはいけないのです。みんな待っていてくれてるのだ、また聴かれるようになる時を。

2009年5月21日木曜日

東欧のロックと民主化

昨日ハンガリーのオメガというバンドの「Gammapolis(ガマポリス)」(右図)というLPをデジタル化した。この時、レコードに付いていたライナーノートを読んで、あらためて当時の東西冷戦時代に思いを馳せてしまった。

ソ連が崩壊し東西冷戦構造が崩壊、第二次世界大戦で分断された東西ドイツで東西冷戦の象徴であったベルリンの壁が事実上なくなり、東欧諸国の民主化が一気に進められたのが1989年。「Gammapolis」というアルバムは東西冷戦の真っただ中、1979年に作られている。 日本でのLP発売は1980年だ。
ライナーノートの一部をご紹介しよう。

「東欧のミュージシャンにとってロックをプレイすることは、そのまま生命の危機に直結する。これは決して誇大な表現ではない。なぜなら各政府はロックを西側の退廃の象徴であると危険視し、完全な禁止もしくは何らかの圧力をかけているからだ。ロックという名称の使用さえ許されず、チェコ、ソ連のようにジャズやダンス・ミュージックの名の下で活動を余儀なくされる国さえある。従ってアーティスト達は音楽自体に挑むと同時に国家権力や思想的な弾圧とも対峙しなければならない。もちろん、一つ間違えば思想犯として余生を監獄で送るハメになる。こうした半ば思想統制下にあって、ミュージシャン達は地下活動や警察の監視下でのコンサートなどを行いながらも、各国々で独自のシーンを形成している。」
(羽積秀明:フールズ・メイト)

そうか、だから「1990年の海外派遣」(09.05.07)で書いたように、ハンガリーを訪問した時に、授業で「ランバダ」を踊っているなんてことは、それまでは夢にもあり得ないことだったはずの出来事なのだ。

「ランバダ」とは南米発祥のダンス&音楽で、当時ディスクで流行って、フランスの「カオマ(Kaoma)」というグループが「Lambada」という世界的ヒットを飛ばしたばかりだった。ちょっとエロティックに見える踊り方が特徴だ。以前の東欧ではおそらく、“ロックよりも退廃した音楽”として扱われたはずだ。

その「ランバダ」の授業をわざわざ見学者に見せたということは、「民主化」しているというデモンストレーションだったのだろう。

そう言えば案内役の教員が「今度校長を教員の投票で決めるんですよ」と自慢げに言っていたのが印象的だった。「ほら、私たちはもう“民主的”な国になったんですよ」とでも言わんばかりに。

頭の中の理想化した「民主化」とか「西欧化」に、針を目一杯振り切っていた時期だったんだろう。

一斉に西欧化、民主化しようとする旧東欧諸国の様子が報道されるのを見るにつけ、その時も思ったものだ。東欧諸国の「共産主義体制がダメだったことがわかっただけ」じゃないか、それは西欧民主主義・資本主義体制がダメじゃないことを証明したことにはならないんだよなって。

しかし校長が教員の投票で決まる。スゲエです。どうなったかなその後。

カイロ先生曰く「腰痛はストレスから」

2週間ぶりのカイロプラクティック。短いスパンで集中的に通って“物理的うつ状態”から脱却せんと計画したものだが、今回の目的はとにかく腰痛。

「最近調子はどう?」と聞かれたので、「イスに座り続けられないくらい左の腰が痛くて…」と答えたら、「あぁ〜そうだよね〜」やっぱりね〜という感じで治療開始。( )はわたしの心の声。

「どこかにぶつけたとか、ひねったとかいう原因は特に思い当たらないでしょ。これはね、不思議に思うかもしれないけどストレスからきてるの。ほらここ押すと痛いでしょ(うわ、痛い!)こちら側は痛くないよね(はい右腰側は痛くない)。」

痛みのある腰に手を当てる。“気功”も取り入得れていると言われているカイロプラクティックだ。しばらくして同じ場所を押される。

「どう、もう痛くないでしょ(うわっ、痛くない!)。ストレスがカラダにまだ残っているんだね。なかなか抜けないよね〜。ストレスと受けると、この痛みのあるところの内部がギュウ〜って緊張して固まっちゃうんだよ。そうすると痛みが起こる。今その緊張を緩めたけど、カラダにたまっているストレスが結構手強いから、また近いうちにおいでよ。」

もう、はは〜ありがとうございましたって感じ。だって寝台から下りたらあんなに苦しんでいた腰が全然痛くないんだもの。もちろん時間が経つと痛みは少し痕跡のように感じられるし、また痛み出しそうな予感もあるけど。

ネットで調べたら、自律神経はストレスの影響をとても受け易くて、自律神経が乱れると慢性的な筋肉の緊張や血液循環の悪化により「不眠症」、「肩こり」、そして「腰痛」が引き起こされるとあった。そうか、これもストレスか。

このストレスは現任校のものではなく、長年ため込んだ教職現場からのものなのだ。なぜかというと同様の腰痛はそれこそ10年くらい前からあったからだ。よく「ギックリ腰になりかけで…」とか言ってごまかしていたのだ。しかしここまで酷いのはさすがに今回が始めてだけど。
ココロへのストレスの影響、例えば自己嫌悪とか、不安とか情緒不安とかいったものは安定してきた気がするけど、カラダに出る影響はまだまだ解消されていないということなんだな。だから睡眠もなかなか安定したリズムが作れないし、熟睡が難しいままなんだ。

やっかいだけど、そうやって「説明」されると、とっても安心するのである。ありがたや。

途中からプログレ話になって
「やっぱ1970年代のKing Crimsonが最高だよね〜、
 あの暗さがいいんだよね〜。」
「あとDavid Gilmourの最新作『On An Island』も好きなんですよ。」
「あれもホントいいよね〜、ただベースがイマイチなのが残念。」
さすが元・新月ベーシスト。

2009年5月20日水曜日

「わが国最初のロック・バンドだよ」

面白いもので1970年前後のイギリスを中心とするロックムーヴメントが各国へ飛び火する際に、それぞれに核となるバンドが現れる。それも最初にして最高みたいな。だから好き嫌いは別にして、ある意味国民的なバンドとして広く知られていたりするのだ。

昔々アメリカはサンフランシスコに、わずか2週間という超短期語学留学をしたことがある。その時は、ある御一家のところにホームステイさせてもらったのだが、部屋がたくさんある家だったためかホームステイ慣れしていていて、やはり語学留学ということでイタリアからの男子学生(だったかな)を同時に受け入れていた。

従って同じ家にアメリカ人とイタリア人と日本人がいて、つたない英語でコミュニケーションを取りながら生活していたわけだ。

イタリア人の彼は、わたしが言うのもおこがましいが英語がヘタであった。それなのに郊外にあるそのお宅からふらっと出かけて、「街中まで歩いてディスコへ行ってきた」とかさらっと言う。そういう度胸はわたしにはなかったからびっくりだった。

その彼と少し親しくなった頃に「PFMって知ってる?」と聞いてみた。そうしたら驚いたような顔をして「どうしてPFMを知っているんだ?PFMはイタリア最初のロックバンドだよ!」って答えが返ってきた。わたしとしてはプログレ=マイナーなイメージがあったから、そうかイタリアでは国民的なバンドなんだなって、ちょっとPFMを見直したのだ。

また別の時。最初の職場で一緒に仕事をすることになった英語等外国語指導教員のことだ。当時はAET(Assistant English Teacher)、今はALT(Assistant Language Teacher)と呼ばれたその人は、オーストラリアから来たヨーヨーの世界チャンピオンとかいう変わった経歴の男性だった。

彼に「セバスチャン・ハーディー(Sebastian Hardie)って知ってる?」って聞いたのだ。そうしたら目を丸くして「えぇ?セ・バ・ス・チャン・ハー・ディー・だって?どうして知ってるんだ?オーストラリア最初のロックバンドだよ!」って驚きながら言ったので、その驚き具合にわたしも思わずびっくりしてしまった。

またまた別の時。東京の教員となっていきなり教員等海外派遣研修でハンガリーの高校生と雑談した際、少し英語が分かる男の子がいて「何か面白いロックバンドはないかい?」みたいなことを話していたのだ。

そうしたらワラワラと生徒たちが集まってきて、ちょっとした輪が出来た。そこで「オメガ(Omega)っていうバンドぐらいしか聴いたことがないんだけど」って言ったら、「オ~、何でオメガを知ってるの?ハンガリーで最初のロックバンドだよ。今はちょっともう古いって感じだけど。」みたいな反応が返ってきた。

1970年前後のロック・ムーヴメントは、最初「ニュー・ロック」と総称されていたけれど、イギリス以外では、ハードロック的なバンドよりプログレッシヴ・ロック的なバンドの影響が大きいのかもしれない。

ということを思い出したこともあり、今日のLPデジタル化作品は、日本のバンドNegashere(ネガスフィア)の「Disadvantage(ディスアドバンテイジ)」と、ハンガリーのOmegaの「Gammapolis(ガマポリス)」に決定です。

プログレッシヴ・ロックという括りで、結果的にいろいろな国の音楽を聴いているというのは、面白いところで共通の話題として役に立つものだなぁと思った。今なら「KENSOって知ってる?」とかいうと「お〜知ってる知ってる!」っていう外国人にも会えるかもしれないな。

2009年5月19日火曜日

「LPレコードデジタル化」敢行

今日は超お手軽アナログLPデジタルデータ変換用新兵器「デジタルジュークボックス」によって、LPレコードのデジタル化に挑戦した。

CDからも直接mp3形成期のデータが作れるのだが、CDからなら、自動で曲ごとにファイルを分けてくれる。しかしレコードだとそうはいかないので、取りあえず片面ずつmp3データ化してみた。片面1データ、つまり片面1曲扱いである。

録音ボタンを押して録音開始になったら、レコードプレーヤー上のLPレコードに針を持っていって下ろす。うわ〜、懐かしい〜この感覚。でも完全マニュアルで、レコード盤の端5mm程の幅に針を下ろすという、めちゃくちゃ難しく緊張する作業。

何回も失敗しながら、今日は以下の4枚がデジタル化できた。左から「In The Region Of The Summer Stars」(The Enid)、「Aerie Faerie Nonsense」(The Enid)、「Night On Bald Mountain」(Fireballet)、そして「NEKROPOLIS Live」(NEKROPOLIS)だ。The Enidの2枚はCD化が難しいと言われている1976年、1977年のオリジナル版だ。








心配された音質もそこそこ健闘してるぞ。聴ける聴ける。ただ入力レベル調整ができないので、あまり大きな音だと割れ気味なところとかあるのが残念だけど。レコードのトレースノイズも、アナログのレトロな雰囲気が出ていて逆にいい感じだ。

ただ、どうしてもレコードに針を乗せる瞬間に、うまくいっても「プツッ」とか「ジャジッ」とか音が入ってしまう。これは聴き苦しい。曲が始まってしまえば、多少レコードのアナログノイズが入っているのもオツかとも思うが、始まりと終わりはきれいにいきたい。

そしてまた、片面1曲扱いというのも、当然途中の曲から聴くこともできないだけでなく、iTunesやiPodで表示される際に、曲ごとにきれいに曲名が並ばないのが非常に残念。う〜ん。

そこでネットで調べてゲットしたのが「Audacity」(右下図)という、フリーウェアのデジタルオーディオエディタである。

これでLP片面分のmp3データを読み込み、不要なノイズのカットと、曲分割をしてみた。イコライザーとかもかけられるし、その気になればかなり音がいじれそう、今はそこまでやる気にはならないけど。

mp3データの読み込みと編集は簡単なんだけど、保存にはLameというエンコーダーのインストールが必要なことがわかったが、これもすんなりインストール完了。

とうことで、曲ごとにファイル分割ができただけでなく、「アーティスト名」、「トラック名」(つまり曲名)、「アルバム名」、「トラックナンバー」(何曲目かっていうこと)などのデータも入力できるので、完成したデータは、CDから読み込んだのと同じように、iTunes上に表示される。超カッコいい(下図)。


明日はいよいよ「ネガスフィア」のデジタル化に挑戦してみようっと。これならCD化されていてもLPがあれば結構CD買わないで済むものもあるかも、とか思った。そのあたりは、もう少し聴き込んでからですね。

「アルジャーノンに花束を」ダニエル・キイス


 
アルジャーノンに花束を」(ダニエル・キイス、ダニエル・キイス文庫、早川書房、1999年)読了。1959年に中編が書かれ、1966年に長編版が書かれ、中編が1960年のヒューゴー賞、長編んが1966年のネビュラ賞と、SFの2大タイトルを手にした有名な小説である。

今明け方の4時過ぎだ。遠くでカラスの泣き声が聞こえる。朝が近い。

読み始めたのは数日前だったかな。仕事に行っていないと曜日の感覚が鈍るから。でも少しずつ読み進めていたら、昨日の夜からクライマックスに向けて読むのを止めることができなくなってしまった。

32歳でありながら、軽度の知的障害を持って、それでも前向きにパン屋の仕事をしていたチャーリー・ゴードンの数奇な運命を描いた本である。彼はアルジャーノンいう名前のマウスに施された脳外科手術の劇的な成果から、同じ手術の最初の被験者となる。

物語はチャーリー本人の「経過報告」のかたちで綴られているので、稚拙で間違えだらけの文章が手術の結果、通常のIQレベルをも飛び越え、「天才」の領域へと高まっていく様が、文体の変化や内容の高度化から読み取ることが出来るようになっている。

とともに、理解できなかった過去の出来事の悲しくも忌まわしい現実やその意味を理解することで、知的なレベルとは異なった、情緒的な混乱に苦しむことになる。さらに知的なレベルが高くなることと、周りとうまくやっていくことや「友だちを作ること」とは違うということも体験していく。

単行本としては1989年に発行されている。話題になっていたのは知っていたし、読みたいなとも思っていた。しかし上の子がまさにこの知的障害(広汎性発達障害=自閉症)であることがわかったこともあり、読む勇気がなくなっていた。

そこには障害者の苦しい気持ちと、家族のいたたまれない気持ちがとてもたくさん含まれているのではないか。わたしたち親が上のこにしてきたことは正しかったのか、反省させられる結果になるのではないか。

しかし考えてみれば、知的に障害がなくても、人は日々辛さと苦しさと戦っているのだ。知的に障害があっても、幸福な生活だってある。楽しく暮らせることが大事なのだ。

例え、いさかいをしつつも、基本的に彼を守ろうとしていた両親には共感した。そう、大切なことは、小さな時にしっかりと一人の人間として相手をし、周りから守ってあげることなんだ、そんな気がした。その思いは、きっと成人になっても、「天才」にならなくても、周囲への信頼や自分への自信として、生きていく上で大切な基礎になることだろう。

急激な変化の中で、周囲とのバランスが取れなくなる主人公。しかし何とか糸口をみつけようともがき、最後には自らを分析して記録として残しておこうとする主人公。次第に魔法が解けて、経過報告の文体が幼く戻っていく最後は悲しい。でもチャーリーは納得している。再び前を見つめている。

わたしはその実験による変化のすべてに、感情的に寄り添い続けようしようとした知的障害成人センター教師のアリスの思いに心が震えた。実験・研究の成果としてのチャーリーでありながら、一人の人間としてのチャーリーを見続けようとして、愛し続けようとしたアリス。

「天才」になったチャーリーが、かつてのチャーリーが窓のところで自分をのぞいていると感じ、自分の中には「天才」になる前のチャーリーがいるんだ、「天才」になる前だって一人の人間だったチャーリーがいたんだと思う場面の痛烈さ。

一見劇的な設定ではあるけれど、物語は淡々と進み、生きていくことのいろいろな思いが詰まった本である。幸せとはいったい何なんだろう。

2009年5月18日月曜日

「デジタルジュークボックス」登場

輸入版宝探しの時代」(09.02.01)、そして「デジタル化候補LP」(09.02.02)で、手元にある未CD化LPレコードコレクションのデジタル化計画をぶち上げて、その後のご報告である。

実は実は、すでにサイテック オールインワン デジタルジュークボックス TCU-350SDなるものをゲットしていたのだ。
これは、外観はスピーカー付きのCD&レコードプレーヤーなのだが、なんとUSBかSDカードに、LPレコードの音をダイレクトにデジタル変換して記録していくれるというものなのだ。

パソコンを通さずに済む何て、何てラクチンなんでしょう。
価格は2万円を切る。ありがたい。デカイけど。

録音の場合に変換されるデジタルデータのファイル形式はmp3で、32、64、96、128、192、256kbpsから選べる。普段CDからmp3に変換する時は192kbpsなんだけど、せっかくだから256kbpsで試してみたい。

CDからだと自動録音、データファイルも曲単位で分けてくれる。LPの場合は手動録音、スタート時とストップ時にボタンを押さなければならない。まるごとデジタル化してしまうので、自動的に曲単位でデータファイル化はしてくれない。

でもいいのだ。取りあえず聴けることが大事。音質はあまり期待しないでおこう。値段が値段だし。そして本当にどうしてもCD化したいLPがあったら業者にお願いすればいいのだ。LP1枚3000円くらいで作ってくれるところもあるみたいだしね。
でも昔のLPをiPodで聴けると思うだけで、ウキウキしちゃうぞ。それに45回転モードもあるからシングルレコードもオッケだし、あっ、昔のソノシートなんてものも、iPodで聴けるかも。すげ〜ぜ。

2009年5月17日日曜日

腰痛と痛み止めの効用

腰痛がひどくて、ふと痛み止めを飲んでみたらどうかと気づいたのが昨日の事。痛み止めの薬って、頭痛、歯痛でしか使った事がなかったので、腰痛にイメージがつながらなかったのだ。
   
でもあらためていつもの痛み止めの「効能」を見てみると、しっかり「腰痛」や「肩こり痛」なんかも書いてある。そうだったのか。効くのか。

でも一時的に痛みを和らげるだけで、根本的な治療ではないからなぁ。一時しのぎに過ぎないっていうか、逆に無理しちゃって後が恐いんじゃないかなぁ、と思っていた。

そう思いながらネットで腰痛を見て回っていたら「腰痛について」というサイトで

「確かに痛み止めは副作用として、胃を荒らすことがあります。だからといって、へんにガマンをして薬を飲まないと、痛む部分をかばいすぎてしまい、別の部分が痛くなったりします。

また痛み止めは、病気の原因そのものを治すものではありませんが、
   
  痛みが起こる
 →筋肉が緊張する
 →循環障害が起きる
 →痛みを起こす物質が生成され蓄積する
 →さらに痛くなる、
という悪循環を断ち、回復を早めてくれます。」

という解説を見つけ、納得。勉強になるなぁ。

もちろん腰への負担を減らすことが基本なんだけど、痛み止めは決して意味のない事ではないのだ。むしろ上手に使えばプラスに働く。

よし、今日はできるだけ横になっていながら、きっちり食後に痛み止めを飲んでみよう。

しかし薬漬けだなぁ。
あ、人体実験の様子から見て、睡眠薬ロヒプノール、わたしにはベンザリンより合ってるみたいだ。ベンザリンの服薬はストップだ。
こうして自分なりに服薬調整しているから、まだ薬の種類や総量が抑えられてるけど、全部言われるがままに飲んでいたら、4種類5錠も飲む事になっていたわけだ。そうしたら、さらに痛み止め飲むのはもっと考えちゃっただろうな。   
ベンザリンを断薬することは、ジェロ先生に相談してみよう、3週間近く先だけど。

とりあえず、明後日火曜日にカイロプラクティックへ行くまで、痛み止めでしのぐぞ。

2009年5月14日木曜日

睡眠薬人体実験 <ロヒプノール版>

昨日の診察で、レンドルミン(短時間型)、ロヒプノール(中間型)、ベンザリン(長期型)と三役そろい踏み状況となって、昨日は<全部入り版>+アルコールという、“掟破り”をしてしまったが、吐き気、眠気などの副作用もなく、中途覚醒もなく、かなり良く寝られたような気がする。

不快な夢も深いな目覚めもなかったわけだ。ただロヒプノールが加わって、昏倒するくらいに深い眠りに入った訳ではない。「いや〜ぐっすり寝たなぁ〜」っていう印象もなかった。味わってみたいなぁ、その感覚。

今日は<人体実験>第2弾、新登場<
ロヒプノール単独公演>でいく。
  
ベンザリンは今日はお休み。いきなりワンマン・コンサートである。大役だ。しかし前座にレンドルミンが入ってくれる。ツカミはOKなはず。ロヒプノールには、緊張せず普段の実力を大いに発揮してもらいたい。

ということで今日のメニュー。後はアルコール(ビール)をどうしようかっていうところ。

 ■ロヒプノール×1錠
 ■レンドルミン×
 ■メイラックス×
ただし、今日はな〜このところで3時間くらい昼寝してしまったので、
ロヒプノールの効果を考える上では、それも考慮しておかないといけない。

そう言えばな〜このところの昼寝は「いや〜ぐっすり寝たなぁ」まではいかないけど、「いや〜気持ちよく寝ちゃったなぁ」って思えるんだなぁ。

2009年5月13日水曜日

睡眠薬人体実験 <全部入り版>

今日の診察で、

レンドルミン(短時間型)
ロヒプノール(中間型)
ベンザリン(長期型)

と3種類処方された。
  
ベンザリンの効き目が今ひとつなのは、
とりあえず置いておいて、
今日の人体実験は、
処方通り3種類全部を服薬してみるというのに
チャレンジしてみたい。
つまり、

 ■ベンザリン×2錠
 ■ロヒプノール×1錠
 ■レンドルミン×1錠
 ■メイラックス×1錠(抗不安剤)

というわけだ。

でも、アルコール(ビール)も飲んでるから、
ベンザリン・ストロンガー(仮称)だ。
ベンザリン、少しは根性見せてちょうだいな。
そしてはたして新登場ポリプノールの威力はいかに。

さて今日はどんな眠りが待っているのか。
不快な夢と不快な目覚めだけは御免こうむりたいなぁ。
眠気は残ってもいいからさ。

ではおやすみなさい。

睡眠薬「ロヒプノール」追加

約一ヶ月ぶりの定期検診で、久しぶりにジェロ先生に会ってきた。さすがに連休後ということなのか、いつも以上の混雑ぶりで、イスに座り切れず廊下に立って待っている人も多かった。
   
わたしも朝7時15分に診察券を出しだのに、立ったまま本を読みながら待ち続け、お呼びがかかったのは10時半近かったろうか。でもそれほどイライラせずに済んだのは、大分気持ちが安定してきているからかもしれない。

診察室へ入ってからもわたしはいつもより饒舌であった。一月分の出来事を話さなければならない。黙っていると少し質問されただけで「じゃあお薬だしておきますから」ってジェロ先生の診察は終わってしまうから。
   

【今日話した内容】 
▼4/29に屋外でのウクレレ・パーティーに一人で参加できたこと。その後も特に不調にはならなかった。 
  
▼年度が変わって、わたし無しの体制で動いていると思うと、「いるはずなのにいないで迷惑をかけている」という自己嫌悪がなくなり、精神的に大分安定した。 
  
▼それでも職場に戻る気力はないし、連絡を取りたいとも思えない。従って最初の“適応障害”が病名としては一番当てはまるように思う。 
  
▼「何かやってみたいお仕事とかありますかにぃ?」と聞かれたので、「『英語』を教えてきたので、翻訳のような仕事とかならできそうな気がします。人とあまり会わないですみますし。ブログを書いたりして、文章を書くことはできていますので。」と答えた。「なるほど〜」とジェロ先生は言っていた。 
  
▼診断が終わりになりそうだったので、「実は睡眠がまだ不安定で、鼻炎薬の方が眠気が強かったくらいなんですが。」と切り出してみた。正直睡眠薬を増やしたり強くしたりするのは気が進まないのだが、カラダのストレスを抜くためには、朝まで目覚めない深く良質な睡眠を取りたいと思ったのだ。そうしたら「ロヒプノール」という睡眠薬を処方された。
    
   
さて、ちょっとハイだったかしら。一ヶ月ぶりにジェロ先生に会えてうれしかったかも。花粉症は治ってられたようだった。次は3週間後だ。「精神科」に通うのも慣れたなぁ。最初はおっかなびっくりだったけれど。

さてこの「ロヒプノール」、帰ってからさっそくネットで調べたところ、血中濃度半減期が7〜8時間という「中間型」の睡眠導入剤。ちょうど平均的な睡眠時間に近いので、起きてから眠気が残りにくいというところが良いところらしい。加えて依存性が低い、脂肪に溶けにくいので太っていても効果をフルに発揮できるという特性もあるとのこと。期待できそう。

処方箋を持っていった薬局では、「時々、慣れるまでふらつきや吐き気をおぼえる方がいらっしゃるのでご注意下さい。」と言われた。もう吐き気はいやだなぁ。

これでレンドルミン(短時間型)、ロヒプノール(中間型)、ベンザリン(長期型)と3段階の睡眠薬が揃った(揃えてどうする)。レンドルミンは適宜だけどなんとなくお気に入り。でもベンザリンはちょっと効かないなぁという感触。

そして何気に「薬局のお薬カード」見ていたら「ベンザリン」の項目に「アルコールを含む飲料水はこの薬の作用を強くしますので、医師の許可が出るまでアルコールは控えてください」と書いてあった。

「え〜っ、ジェロ先生何も言わなかったよ〜、ちゃんと薬処方する時に注意事項として伝えてよ〜」
  
が第一印象。そして
  
「アルコール(ビール)飲んで、ベンザリンをベンザリン・ストロンガー化してたのか。でも、それでも眠りが十分でなかったというのは、やっぱり自分には合っていないんじゃないかなぁ」
  
が第二印象。

だからベンザリンも引き続き処方されてはいるけれど、服薬やめようかなぁと思案中。また今夜から新たな人体実験の開始でございます。
   

2009年5月12日火曜日

歯のセラミックブリッジ

中学校の時、陸上部だったのだが、なぜか突然先輩が「瞬発力の訓練だ」とか言って、低鉄棒を飛び越えるっていう練習を始めた。

悪い先輩じゃなくて真面目な人。でも「それほど考えがあって始めたトレーニングということでもなさそうだな」っていう気持ちが緊張感の欠如につながったんだろう、飛び越えた瞬間に前歯を鉄棒に当ててしまったのだ。

ぐらつく上の前歯。噴き出す血。自分も周りの部員もびっくりするやらオロオロするやら。そして保健室へ行くまでに歯はポロリと抜けてしまった。折れたのではなく、根元から抜けてしまったのだ。だからその後、学校から歯医者へ行ったが元から取れたのだと差し歯は無理、両側からブリッジだということになった。

だから中学校以来数十年、ずぅ〜っと上の前歯はブリッジだった。まともな両側の歯に銀のカバーをかぶせて抜けた真ん中の模造品の歯を支えていたのだ。見た目銀歯が二つ。格好悪いったらない。自分でも知らないうちに歯を出して笑う事ができなくなっていたくらいだ。

それを10年前くらいに近くの歯医者で相談した。何とかならないものかと。もっと自然なブリッジってないのかなと。そうしたらやってくれました、見事に。両側の健康な歯を、神経ギリギリまで削り棒状にする。そこにセラミックの歯3つ一セットをはめ込む。両側のセラミック歯には穴があいていて、棒状に削った歯をはめ込む。

凄い。見た目は普通の歯並びになったのだ。その歯医者さんは「このセラミックの歯は、あの野球の清原選手の歯を作った職人さんのモノですから」と自慢していた。確かに自分の歯並びとピッタリと揃った。

以来10年、前歯は何の問題もなく元気に働いている。10年前だから“最前線”じゃないんだろうけど。面白いのはその後自然と歯を出して笑えるようになったってこと。これ大きいんですよ。写真取るときとかも。

ただし保険がきかないので、お高くなるのがちょっと痛いところ。でもそれで自然にニコニコできれば、多少高くたって全然オッケーなのだ。

  

さらに“二日酔いシンドローム”の予感

「今回は腰痛かぁ〜」って思って、
ちょっとビールを飲んだのがいけなかったかも。

それも夕方缶ビール1本飲んだだけなのに。
ストレスでカイロ先生曰く
「髄液の巡りが悪くなっている」首から頭にかけて、
なんとか持ちこたえていたのに
“二日酔いシンドローム”を引き寄せてしまったかも。


昨日の夜から頭痛+吐き気が微妙に取れず、
冷えピタ貼って一応頭痛薬飲んで、
少しでも阻止せんとしてみたんだが、
朝起きた感じは「いまだ交戦中」。

第一次防衛ラインはまだ突破されていない。
突破されるとたぶんパソコンはもう打てない。
第二次防衛ラインを突破されると横になるしかない。
最終防衛ラインを突破されると一日、動けない。

なんとか今日カイロプラクティックで、
今の状況までで食い止めたいものだ。

しかしストレスからこの“二日酔いシンドローム”と、
肩痛、腰痛がきているとなると、
ヘタすると動けなくなるな。
かなりストレス耐性が弱くなってるってことだろうけど、
精神的な落ち込みや自己嫌悪で
ココロとカラダが共にマイっていた時期だと、
“二日酔いシンドローム”にならなくても、
気がめいったりしてもっと寝られていた。
昼寝もしていたし。
あるいみココロとカラダは歩調を合わせていた。

でもココロが前向きになってきて、
何かやりたいとか新しく始めたいと思うようになってきたから、
逆にカラダを休ませなくなってきているのかも。
ちょっと待ってくれ、まだそれどころじゃないだろ
っていうカラダの声が耳に入らないっていうか。

自己嫌悪のころの
「社会人として仕事もしないで寝ていては申し訳ない」
という気持ちとははまた違って、
「気持ちが元気なんだから、昼間から寝ている場合じゃないだろ」
ってカラダに鞭打ってしまう。
時間がもったいなく感じてしまう。
ココロとカラダがアンバランスになっている。

でもカイロ先生が最初から言っているのは、
カラダの方なんだよね。
カラダがストレスで疲れ切っているから、
このまま無理を続けていると、原因不明の不調が続いて
うつ病にされちゃいますよ」と以前言われたのだった。
「うつ病になっちゃいますよ」じゃないんだ。

カラダを休めなきゃ。
昼寝復活。
仕事休んで半年以上も経つし、心理的に大分落ち着いたから、
できるだけ普通の生活に近づけていくのもいいんだけど、
常にカラダ優先で考えることにする。
まぁ気持ちが安定すると頑張りたくなっちゃうのは性格なんで、
なかなか難しいんだけど。

朝食の洗い物終わって、今洗濯機回ってるから、
洗濯干し終わったら休憩しよう。
  
  

2009年5月10日日曜日

「マン」と「セヴン」の目

初代ウルトラマンの造形的な美しさは、巨大ヒーロー物の中でも群を抜いていることは誰もが認めるところであろう。

銀色の人間的肢体に大胆な赤い炎のような模様を配したシンプルで力強いデザインは、デザイナー&彫刻家であった成田亨氏がヘルメットと宇宙服のイメージからデザインコンセプトを作り、それを佐々木明が粘土造形し、試行錯誤しながら練り上げた結果できあがったものだという。


顔も能面のようにほとんど何もないところに、“宇宙人”をイメージさせる巨大な目。菩薩のアルカイックスマイルをヒントとしていると言われる口元は、耳と共に角ばった処理がロボット的であり、それが当時には“未知”や“未来”をイメージさせたのかもしれない。

わたしは子供の頃は当然のようにウルトラマン少年で、ウルトラマンと怪獣の絵ばかり描いていた。そして子供心に気になったのが、ウルトラマンの目の中にある“目”、つまりスーツアクターのためののぞき穴であった。

ウルトラマンを描く時にはこの“穴”はないことにしなければいけない、と思った。あれはウルトラマンの世界では「ないもの」なのだ。でもこの“穴”はどことなく人間のにも見えてしまい、描かないと締まらないような気もした。子供なりに葛藤していたわけだが、不思議とそれを制作サイドの「アラ」だとは思わなかった。それよりもこの“穴”を自分の中でどう処理するかが問題だった。

実際デザインに関わっていた成田亨も、“穴”と、カラータイマーはとても嫌っていたという(「ウィキペディア」より)。

そのことを思い出させてくれたのが、映画「ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟」(2006)や「大決戦超ウルトラ8兄弟」(2008)で、子供たちの親の世代を意識した初代ウルトラマンのAタイプのマスクの使用だった。懐かしさよりも違和感があり過ぎ。Aタイプとか言われても、そんなにシワシワ意識して見てなかったし。

それに何よりも例の“穴”がしっかり再現されていたのだ。いやむしろ、“瞳”的に強調されているかのようだったのだ。それだけあの“穴”は、当時子供たちだった今のウルトラマン世代に取って、見る側にも作る側にも、ある種のトラウマのような存在なのかもしれない。

あの“穴”を受け入れることは、ある意味大人の世界(現実の都合)を受け入れることであり、またある意味、リアルにこだわらない世界を楽しむという心を持つことだったのかもしれない。吊り用のピアノ線が見えても、飛行機の重量感が感じられれば取りあえず許しちゃう、オッケー、みたいな。

それは歌舞伎の黒子(黒衣)とや文楽の人形遣いのように、見えても見えないこととする日本の文化と、心の底深くでつながっているに違いない。

それに比べウルトラセブンの顔の造形はまた違った意味で見事としか言いようがない。特にウルトラマンでは中途半端な存在だった“穴”が、輝く長六角形の目の中の黒い瞳として見ることが出来るようになっている点が実に巧妙だ。

実際、当時のマンガでは梅図かずおの描く「ウルトラマン」には瞳はなかったが、桑田次郎の「ウルトラセブン」には人間のような涼しい瞳が描かれていた。

さらに秀逸なのが、目のデザイン及びバランスである。この“穴”はマスクの目の位置よりもアクターの目の位置に合わせているので、アクターの顔より一回り大きいマスクにおいては中央に寄ってしまう。にもかかわらず、ウルトラセブンの“瞳”は「寄り目に見えない」のだ。ちゃんと前方を見据えているように見える。これが素晴らしい。

その後この“穴”は巧妙に卵形の目の下あるいは内側の影の部分に異動し、歴代ウルトラマンに“瞳”はなくなった。今の子供たちは初代ウルトラマンの“穴”に、何を見るのだろう。

(右上、左下写真は映画「大決戦超ウルトラ8兄弟」公式サイトより、
右中写真は「ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟」公式サイトより)

2009年5月9日土曜日

「プログレッシヴ・ロックの哲学」巽 孝之

   
「プログレッシヴ・ロック」は確かに1970年当時のロック革新時代においては“プログレッシヴ(進歩的)”であった。しかし次第に革新的だった方法論そのものが様式化しジャンル化していった。しかし、もっと言えば、「プログレッシヴ・ロック」はその当初より、ある程度の様式の中に存在していたと思う。

例えばアメリカのバンドであっても、クラシカルなKansas(カンサス)やStarcastle(スターキャッスル)は“プログレッシヴ・ロック”として受け入れられても、Frank Zappa(フランク・ザッパ)やTod Rundgren(トッド・ラングレン)、あるいはThe Grateful Dead(グレイトフル・デッド)らの、非ヨーロッパ的な、あるいは“アメリカ的”なグループは、“プログレッシヴ”なロックとは一線を画されていたように思う。

つまり「プログレッシヴ・ロック」には“ヨーロッパ的である”という“様式”がすでに存在していたと言える。したがって、ソウル、ファンク、アフロなどブラックミュージック系の音が混ざることは、実は潜在的に許されていなかった。

だからPink Floydが「The Dark Side Of The Moon(狂気)」で、「The Great Gig In The Sky(虚空のスキャット)」において、ソウルフルなスキャットを大胆に取り入れた時、リスナーは度肝を抜かた。しかしそのピアノの醸し出すクラシカルな雰囲気が実に見事に全体としてのソウル感覚を消していたため、このスキャットは“ヨーロッパ的”な音楽の一部として受け入れられたのだと思うのだ。

こうして考えてみると「プログレッシヴ・ロック」という音楽は、まだまだきちんと論じられてきていない音楽だと思う。「プログレッシヴ・ロック」に関する書籍は意外とあるのだが、そのほとんどは、1970年代を中心とする代表的なプログレッシヴ・ロックバンドの紹介及び名作アルバムの紹介を主とした内容である。

プ ログレッシヴ・ロックの範疇を越えて、ロック全体に対する影響の大きいバンドに関しては、詳細なバンドの歴史や作品制作の過程や意義に至るまで克明に記し た「研究書」的なものも存在するが、「プログレッシヴ・ロック」という音楽を、学究的な視点で論ずる書籍はなかなかお目にかかれない。

そんな中で、「プログレッシヴ・ロックの哲学 (Serie′aube′)」(巽 孝之、平凡社、2002年)は、プログレッシヴ・ロック関連の書籍の中でも、珍しくその音楽そのものを論じた著作である。

本書は慶応義塾大学文学部教授である巽 孝之(たつみ たかゆき)氏による、プログレッシヴ・ロックに関する論考である。より広い視野からプログレッシヴ・ロックを解読し位置づけしていこうとする試みが面白い。と言ってもそれほど難解なものではなく、エッセイ風な読み易さがある。

「二〇世紀における現代音楽の三大巨匠として、バルトーク、ストラヴィンスキー、それにシェーンベルクを挙げるのは、常識の部類に属するが、ELPとイエス、キング・クリムゾンはそれぞれがそれぞれの方法論によって、彼ら巨匠たちの残した課題に取り組んでいるように見える。」(同書より)

こうした指摘も、先に述べた“ヨーロッパ的”という“様式”と関連づけて読んでみると面白かった。しかしそれと同時に彼らの音楽は「もう一つの『アメリカの夢』によって貫かれていたのではないか、という確信を抱かざるを得ない。」(同書より)とも述べられている。面白そうでしょ。

著者はPatrick Moraz(パトリック・モラーツ)のキーボード・トリオRefugee(レフュジー)の唯一のアルバム「Refugee」(1974)[左写真]を、プログレッシヴ・ロックの最高の一枚にして「標準」、「理想的な範型」とする。そして最後に20枚の「名盤」を載せている。King Crimsonからは「Thrak」のみという、中々大胆な選定である。

この視点を見てどういう印象を持つかが、また自分にとってのプログレッシヴ・ロックを考えるきっかけになるであろう。