2011年9月30日金曜日

360度無指向性スピーカーD:CODE

「個展」の時に音楽を流そうかどうか迷っていた
ウクレレ弾いちゃうか〜
みたいな気になった時もあったけど
やっぱり絵が主役だしね
音楽はイマジネーションの邪魔になるかなとも思った

とは言っても向かいのカフェ・レストランが
夕方のカフェ・バーとして再開するまで
ちょうどお休みの時間帯となるので
ヒト気すらまったくなくなってしまう

通り道でもあるし
逆に少し音が流れていた方が
気に留めてもらいやすいし
入りやすいかもと思っていたのだ

ただ無骨でかっちょワルイCDラジカセはイヤだった
見える場所に置けば雰囲気台無しであるし
隠したとしてもCDを入れ替えなければならない
いつも持ち歩いているiTouchが使えれば
選曲は楽だし曲数も豊富であるが
ステレオスピーカーを用意するのは荷物である

そこで…っていうか
そういう理由付けをした上で(笑)買ったのが

これは本体にはスピーカーが付いておらず
テーブルや床などに置くと
共振・共鳴して音が鳴り出すという
オモシロ・オーディオグッズだ
ちょっと重いが
小さなキューブ一個持ち運べば済む
テーブル上にD:CODE、左に置かれているのはiTouchとD:CODE用リモコンだ

幸いレストランの一角として使用されていたため
テーブルが置いてあったので
ここに置いて試してみたら
なんと結構良かったのである

置く場所によって音量や音質が変るから
そのあたりにあまりこだわるようだと不向きであろう

でもどこからともなく
音や音楽がふわ〜っと鳴っているっていうのは
この展示空間にはピッタリであった
もちろんオーディオ・ジャックでiTouchにつないで使った
最大出力25Wというのもなかなか頼もしかった

どんな音楽を流すかもちょっと悩んだが
結局「The Equatorial Stars」を頻繁に流していた
 
  
King CrimsonのギタリストRobert Frippと
アンビエント・ミュージックの先駆者Brian Enoによる
およそ30年ぶりのコラボレーション作である

そういう意味でもなかなか良い空間だったなぁ

  

2011年9月28日水曜日

ありがたい子どもたち

同居人は仕事で朝7時過ぎに出て行った
わたしは頭痛と戦いながら
洗濯物を干し終わった

二人の子を起こす時間だ
高1の自閉くんはほぼ自力で起きてきた
小6くんは布団にしがみついてなかなか起きない
いつもの光景である

「すまないけどパパ頭痛がひどいんだ。
頑張って自分でお仕度してくれぃ…」

そう言うと
小6くんももぞもぞと起き出してきた

同居人が用意した朝食を温め
牛乳を二人のコップに注ぐ
時刻はすでに7時半を回っている
でもわたしができるのはここまでが限界だった

アイス枕を用意してベッドに横になる
アイス枕はアタマの下に敷くのではなく
オデコを中心の顔の上に置いた
冷たい…重い…暗い…
そうしたら眠ってしまったのだ

「はい!」(たらちゃんか…)

という自閉くんの声で目が覚める

時間を見るとなんと8:28
いつも8:35に家を出るために
お仕度(制服への着替え&モンダミン)開始を
呼びかけ始める時間である
彼は時間を知らせにきてくれたのだ
スゴイ!
自分で時間を見て行動ができている
それも見るとすでにお仕度が終って
後は家を出るだけになっていたのだ
スゴイ!スゴイ!

「自分で時間を確認しながら動く」ということを
ずっと目標としてやってきた成果が
しっかりと出ていたのである
感涙…はしなかったけど感激ひとしおなり

8:10くらいに家を出る小6くんは
すでに家にいなかった
いつも玄関でお見送りするのに
彼は眠っていたわたしを起こさないように
声もかけずに一人出て行ったのだ
これもまた感激…

二人とも臥せっているわたしを見ながら
自分でできることを黙々とこなし
わたしに気遣って動いてくれたのである

すまないねぇこんな弱っちぃ父ちゃんで
あ…感涙しそう…
  
  

2011年9月27日火曜日

タコシェ(TACO ché)に画集を持って行く


「タコシェ (TACO ché)」は
東京の中野にある
“自主制作系グッズショップ”である
ちなみにこれはわたしの命名
つまり一般流通に乗らない自費出版本や
インディーズCDや手作り雑貨まで
サブカルチャーグッズを
1万点近く取り揃えているお店なのだ

1万点と聞くと大きなお店に思えるが
実際は間口一間ほどの狭いお店
神田の古本屋街に
ひっそりありそうな地味なお店であった

いや実際は地味ではないのかもしれない
置かれている本の雑多さが尋常でないからだ
でも「タコシェ」が入っている
「中野ブロードウェイ」が濃過ぎるのだ
まさにそこは魔窟
秋葉原の「ラジオ館」のように
小さなお店がゴチャゴチャと軒を並べているのだが
その建物全体がかもし出すレトロな雰囲気と
売っている雑貨類や書籍類のヲタクな雰囲気とで
久々に現世で「異界」を感じてしまったのだった

あえて言うなら
巨大な「秘宝館」のような感じである
(「中野ブロードウェイ」の皆様ゴメンナサイ)
面白おかしくありながら妖しく淫靡
ところどころシャッターの閉まった店があるのも
何やら妖しさに拍車をかける

同じ並びにいきなり食堂なんかがあったりして
目眩が起きそうな混沌ぶりだ

お店での依頼はあっという間に終った
店主らしき女性は
それほどのお歳ではなさそうだが
線の細い(実際に身体も細い)
どこかお身体が悪そうな感じで

「これはどこか、実際の場所を見ながら描かれたのですか?」

と言うので
「頭の中だけで想像して描いたものなんです。」

と答えたら
えらく感心していたようであった
まずは納品3冊で後は様子見である

その後はまるで魔窟の毒気に当てられたように
調子がまた悪くなりそうだったので
どこにも寄らずに帰ってきた

歌舞伎町と言い
「中野ブロードウェイ」と言い
わたしの絵はおよそ「銀座」とは縁遠いようである
それもまた楽しいぞよ

とにかく中野「タコシェ (TACO ché)」にて
「店頭販売」開始である
ちなみにサイトからも購入できるが
並ぶのはいつのことであろうか…



2011年9月25日日曜日

「冷えピタ」な毎日

先日ある人と話をしていて

「いやぁ、前みたいな不調にはならなくなったんだけど、
 毎日ちょっとノボセた感じになるので、
 寝る時は冷えピタが欠かせなくて…」

と何気なく口にしたら
ひどくビックリされた

「え〜、冷えピタとかって
 実際に熱っぽいっていう
 特別な時しか使わないよ〜…」

そしてわたしを気の毒そうに見たのだった
体調を崩しているっていうのは
それほどひどかったのか…みたいに

そう言われればそうかもしれないなぁ
もう慣れちゃったけど

それでも今日
自分の机の下にあるゴミ箱のゴミを
明日捨てようとして取り出した時
その使い終わった冷えピタの量の多さに
われながらビックリしたのであった

何となくノボセた感じがする時貼ると
何となく気持ちが良いというだけで
冷えピタなしでは辛くて仕方ないわけでもないし
逆に冷えピタでノボセが消えるというわけでもない

使い捨てだからもったいない感じはあるんだけど
おでこを冷やしたいから枕じゃダメだし
ハチマキタイプのものなどより違和感がないし
朝までけっこうしっかり冷やしてくれるから
やっぱり冷えピタになってしまうのだ

まあ仕方ないでしょう
服薬なんかもそうだけど
体験的にカラダが気持ちいいことを
選んでいくしかないんだしね

ちなみに「冷えピタ」は
“冷却ジェルシート”の総称として使っているつもり
「魔女の宅急便」の「宅急便」みたいなものか
  
ただし個人的には
いろいろ出ている中で「冷えピタ」が
臭いや粘着力や冷感度などの点で
一番合っているように思う

別に宣伝ではありません
「体験者の個人的感想です」です。

2011年9月24日土曜日

「ぼっちゃん」とアイカ様の夢

地元のそのスジの人たちの「ぼっちゃん」と
なぜか仲良くなっている
仲良くなっているんだけど
「ぼっちゃん」とは会ったことがない

クミの人たちは「ぼっちゃんのお友達」ということで
みんなわたしに優しくしてくれる

近々「ぼっちゃん」の誕生会が行なわれるという
「ばあや」のようなお歳を召した女性が現れて
手に持った扇子を広げながらこう言う

「ほらここにあなたの名前が書かれていますから、
間違いなくご招待させていただいてますよ。」

わたしは面白い縁だなぁと思う
見渡すとそこは水の中で
海上から差し込む光の帯の中に
「ぼっちゃん」の屋敷とその向こうの街並が見える

突然クミの一人が何かを持ってやってくる
  
「これアイカ様からです。お召し上がり下さい。」

それは青い袋に入ったレトルト食品らしく
すぐ食べられるようにすでに温められている

「なるほど…水の中だから封は切らないままなんだな。
でもどうやって食べるんだろう。
宇宙食みたいに直接袋の端から口に流し込むのかな?」

そしてちょっと思う

「“おぼっちゃま”じゃなくて“おじょうさま”の間違いじゃないか?
アイカ様ってその誕生会の主役の子のことじゃないの?」

水の中の風景はとてもきれいなのだ
なぜそこで息ができているかなんて
全然気にもならずに
わたしは誕生会当日のことを考えている

そんな夢

ちなみにアイカっていう名前の女性に
覚えはないなぁ

今年は集中しまくった年かも

ちょっと振り返ってみると
音楽関係のブログは7月で投稿が止まっている
手作り時計に幕張に行ったのも7月末が最後だ
結局辞めたバンドの最後の練習参加も7月である

ちょうど今年前半が過ぎたところで
いわば活動休止が相次いだことになる
意識してそうしたものもあれば
結果的にそうなっているものもあるけれど

それだけ活動量が多かったとも言える
自分の体調や意欲を考えれば飽和状態に近かったんだろう

一大イベントである
「常設展示(個展)」の話が降ってきて
いち早く手を挙げたのが 6月末のこと
これが活動切り替えの転換点だったわけだ
今から思えば

7月はまだ色々な活動の勢いが持続していた
でも気持ちが次第に「個展」に向っていき
その他の活動に集中できなくなっていった時期だ

8月はもう9月に迫った「個展」でアタマがいっぱい
他のことは手に着かず
最後まで対応し切れずにいた
バンドの件にケリを付けるまで
かなり精神的にもかなり追いつめられた感じになっていた
9月は「個展」で終った(まだだけど)ような感じ
今年前半レベルにすら戻らず
何もしていない生活を思うと
今年前半の活動量も尋常ではなかったとシミジミ思う
  
もちろん孤軍奮闘してやり遂げた「個展」も
準備から開催期間中に至るまで
その集中力と突破力と持続力は尋常ではなかった

気づけば今年の3/4が終ろうとしているのだ
尋常じゃない活動の跡を残して…

世の中の流れとしても
今年は歴史的大惨事が起きた年であるが
個人的にも今年は今までと違って
「指示/命令されない仕事」に
自分から進んでもの凄いエネルギーを費やした年として
記録され記憶される年なんじゃないか

ここのところ静かに冷静に日々を過ごしていると
そんなことを感じてしまうのであった
まだ完全復調したとは言い難いにもかかわらず

さて残り1/4はどんな生活を送ることになるだろう

  

2011年9月23日金曜日

次の駅は終点の「死」だけじゃあネェ〜

たぶん自由業とか自営業の方には
取り立てて新鮮なことではないんだろうけど
退職して自分の所属する場所がなくなったことで
この先の人生なんぞを考えたりするのである
教員をしていた頃は「定年」が一つの区切りであり
現場が忙しかったこともあって
それ以降のことは思考停止していた

「定年」になったらその時にのんびりと
その後の第二の人生のことを考えようか
みたいな

つまり「死」を終点とすると
まだそこに至るまでに
いくつかの駅に立ち寄る感じがあったのだ
作ろうと思えばさらに
「雇用延長(再任用)」によって
「教員引退」という次の駅を増やすこともできたし

でも今はそうした駅が全部なくなってしまって
見えるのは先の方に「死」という終点があるだけ
みたいな感覚なのである

だから自分で動いて
小さくてもいいから
「駅」を作っていかなければならない
例えば「自費出版本を作る」とか
「個展を開く」とか
今回重なっちゃったけど
そういう身近な目標とか区切りとかを
自分で設定していく必要を感じるのだ

別に短くなくても良くて
5年後にCDデビューとかでもいいんですけどね

それはいわゆる人生設計とは違うのである
勝手気ままに生きて死んでいくのが本望であるが
残された30年くらいの長い期間に
死ぬことしかイベントが残されていないっていうのは
ちょっと寂しいかなっていうことである

今までの仕事や生活そのものの
完全燃焼感はあるんだけど
まだ出し切れていない力があるんじゃないか
っていう不完全燃焼感もあるんだろうな…

でも何か大きなことをやりたいわけではなくて
何やってんだかわからんオヤジ→ジイさんとして
ダラリンと生きていくっていうのも面白そうかも

まぁとにかく「定年」が外されたことで
そんなことを考えたりしている
ダラリンマンなのであった

  

2011年9月20日火曜日

「悪意や敵意を持った人が来る場じゃなかったからね」

ダラリンマンは今日もお昼寝
でも2週間の疲れもたまってるし
実際ちょっと首に不快感もあるから
3時過ぎになってから
電車に乗ってカイロプラクティックに行って来たのだ

動けない〜とか思っていても
やっぱり良い疲れ方だったようで
動き出せば動けるのが不思議

カイロプラクティックの先生も

「いつもの首が詰まっている感じはないですね。ただやっぱり緊張はしていたでしょ。ココとココがキテますよ〜。」

いつものように腰と首をボキボキとされた後
首の後ろの2つのツボを押されたら
アタマ全体が痺れるくらいキイタ〜

画集をプレゼントさせていただき
展示会のお話もちょっとしたら

「良い時間を過ごせましたね〜。だから以前のような変なストレスがカラダにキテないんですよ。基本的に悪意や敵意を持った人が来る場じゃなかったしね。」

確かにその通りで
本当にトラブルが何もない2週間で
とても嬉しい出会いや再会ばかりだったのだ

ただ場所が歌舞伎町中心地だし
ギャラリーがセミ・オープンな作りで
入場無料だったから
緊張感がなかったわけではない

カプセルホテルなので夜もオープンなこの場所に
酔っぱらいが乱入してくることも
時々あるとも聞いていたし

様々なヒトが集まる施設だから
中には批判的な意見をぶつけてくる人がいないとも限らない
なんてことも覚悟はしていたし

まぁそういうこともどうにか対処してきたのが
わたしの教員生活だったわけで(どういう生活だ…)
何が起きても何とかできるだろうとは思っていたんだけどね

結果的には何も起こらず
カフェの従業員さんや警備員さんとも親しくなれて
とても良い雰囲気の中で楽日を迎えられたのだ

今日カイロプラクティック行って
少しまた復活してくれるといいけど
時間がかかることは確かだろうから
またまたダラリンマンに変身しようと思うのであった
  
   

2011年9月19日月曜日

撤収完了!個展完全終了なり

朝9時集合で
助っ人をお願いしていたかつての同僚と合流
さらに少し送れてホテルの担当の方も加わって
3人で撤収作業に取り組む

助っ人の女性は文化祭直後で
疲労に加え風邪気味なところを
無理して来てくれたのだ
なんとありがたいことだろう

準備の時とは違って
作業はサクサクと進み
わたしの世界はあっと言う間に消えて
「ギャラリー」は
元の地味な薄暗い部屋へと戻って行った

寂しさはあるが
これでやっと一仕事終ったという
充実感がある

さらにホテル担当の方から

「個展期間の集客率が上がったので、本格的に『ギャラリー』を展示スペースとして活用しようかという話が持ち上がっているんです。もちろん一般のギャラリーのような場所とは違うので、あくまで気軽な展示スペースとしてですが。今回の個展でこの場所の利用の良いヒントを頂くことができました。」

というお言葉をいただいた
やった〜! 
集客に貢献したか!
うはははは〜!

カフェの一部でもあったところを
ちょっと入場制限をかけてもらったりしたから
マイナス効果につながっていたらどうしようと思っていたのだ 

実際「ギャラリー」としての運用が始まれば
無料で貸し出しというわけにはいかない
でも普通の画廊よりははるかに安く使用料を設定し
売れた場合も全部作家の利益になるよう検討中だという
物販も自由に行なえるようにしたいとのこと
  
喜びと安堵
やっぱりみんなが喜んでくれることが嬉しい

そして最後の最後まで
いろいろな方のお世話やお気遣いをいただいたなぁと
あらためて思う

ご予定の問題もあるけれど
個人的には決まった方にずっとお願いするより
いろいろな人に関わってもらいたかった
多くの人と今回の活動を共有したかった
その分ご無理をしていただいた面もある
本当に心から感謝である
ありがとうございました

2011年9月18日日曜日

「千秋楽」無事終了なり〜

一昨日の頭痛はさすがにキタか〜と思ったが
昨日・今日と何とか盛りかえして
今日の楽日を無事終える事ができた
とにかくまずはメデタイ!
1時くらいに到着し
今日だけの作品も並べながら
ゆっくり一つずつあらためて絵を見ていく

こうして並んだ絵も見納めである

位置をずらして入口から真正面に桜の絵が来るようにしてあった

2週間何事もなく「個展」が開催できただけでなく
2週間一日も休まず“出勤”できたことも凄かったなぁ

毎日駅からギャラリーまで良く歩いたし
細々したメンテナンスで動き回ったし
警備員さんやカフェの方とも顔見知りになったし
何より色々な方々としゃべりまくった
一人当たり数時間ともなると
お話をしたとか談笑したとかいうレベルを超えている
でもそれがまた楽しかったのだ

そういう時間と空間を与えられたことに
何よりも感謝だなぁ

今日はYoutubeに曲をアップする際に
わたしの絵を使っていただいた
Les Nostreouts "de Japanというバンドの方が見えた

「廃墟を描く絵やCGは他にもあったんですが、この絵にはなんていうか“慈しみ”みたいなものがあるように感じたんです。」
  
と言われ感激〜!
画集も買っていただいた

画集を担当してくれたデザイン会社の
社長さんのお友達で
画家でいらっしゃる方も
杖をつきながらわざわざ足を運んで下さった

「銀座の画廊でおやりなさいな。きっと足を止めてくれる人がけっこういますよ。」

と言っていただき
感激の至りであった

そろそろ少し片付けようかと思い始めた時に
カプセルホテルに泊まっていたらしい方が入ってきて
一つ一つ念入りに見た後こう言って下さった

「これ、いいですね〜。買います!でもわたし、これから仙台に帰るので、ぜひ送って下さい。あっ、ホームページがあるのですね?そこから選んでもいいんですか?じゃあぜひそうさせていただきます。でもここに掛かっている、これとこれとこれと…これは欲しいなぁ。事務所にも飾りたいしなぁ。
僕のオヤジがね、よく東京に行くと絵を買って来たんですが、『有名な画家でも駄作はある。誰が描いたかは関係なく、自分の目で良いと思ったものを買うんだよ。』って言ってたんですよ。」
  
まったく知らない方から
「絵を買います」と言われたのは初めてかもしれない
最後の最後でこんなことがあるなんて
本当に不思議な2週間の締めくくりにふさわしいかも

いよいよ5時過ぎるかという時間になって
先日来てくれたかつての同僚で今は看護士をされている方が
夜勤明けだというのに飛び込んで来てくれてびっくり!
仮眠してからやってきてくれたのだという


新しく飾った絵を喜んでくれて
今日で個展が終わることを
とてもとても悲しんでくれた

「夜勤明けだから、脳がちょっと変で…」

と言いながら(面白い表現だ…)
ギャラリーを後にする時に
ちょっと涙ぐんでくれた
嬉しかった

明日の撤収を終えたら
やっとダウンできるか…
しかし凄まじく濃密な時間だったなぁ…
  
  

2011年9月17日土曜日

個展十三日目の土俵〜

今日はお客様が多かったのだ
まずオープンする11時前に
ウクレレ教室の方が立ち寄って
警備員さんに開けてもらい見ていったという

感想もノートに書いて下さり
購入したい絵もご指定いただいていた
ありがたいなぁ

続いて準備のお手伝いをいただいた
デザイン会社の方が
社長さんにご購入いただいた絵を取りに来られた

「ここに座って絵を見ていると落ち着きますね〜」

と言って下さってしばし歓談

そこに「悪の教典#9」のYoutubeアップ計画で
お手伝いさせていただいた
ドラムデータご担当のY氏がいらした
初対面であるがそんな感じは全くしない

お話をしているうちにほぼ同年齢であることもわかり
やはりプログレ話で話が止まらなくなる
絵をきちんと勉強されて来た方なので
わたしの絵についての話も面白かった
  
普通画家は自分のイメージする表現にこだわる
その表現を徹底的に突き詰めていこうとする
わたしの絵にはそれがないという

そう確かにそう言われればそうだと思う
細部へのこだわりはない
というか細部そのものの有り様よりも
細部を含めた全体の世界観へのこだわりの方が強い
簡単に言えば
さまざまなイメージを喚起する力が強い
“世界”が描きたいのだ
  
カッコつけて言えば
わたしは作り手ではなく
探り当てた不思議な世界への
導き手とか紹介者になりたいだけな気がするのだ
だから出来上がったものに自ら描き足すことはしない
それはもうそこに“存在”している世界だからだ
わたしはその傍観者の一人に過ぎない
  
その後かつて新設校の開設準備でご一緒した方が
ご夫婦でいらしてくれた
すでに指導主事である
10年ぶりくらいになるだろうか
  
やっぱり当時の仲間は特別な感じがするなぁ
何年経っても当時と同じように話ができるし
立場や肩書きを超えた「戦友」的仲間意識を感じるのだ
絵も買っていただいちゃってありがとうございます

今日は頭痛がまだ残っているが
がんばってギャラリーへ行けて良かった
残るはあと明日一日のみである
這ってでも行かねばならん
  
  

頭痛と朝まで格闘したのだ…

昨日の午後遅くあたりから
少し感じていた頭痛が
夜になるにしたがって次第に酷くなり
早目に寝ることにして横になったんだけど
結局なかなか眠れなかった

ちょっと眠っても
起きると頭痛は治まっておらず
夕べはそんなことを何回繰り返したか…
結局朝方5時にはまだ頭痛が残っていて
冷えピタを貼り替えた

いつもの起床時間である朝7時
有り難いことに頭痛はほぼ治まっていた
一晩格闘してやっと落ち着いたか…
長い戦いであった…

昨日の卒業生からメールが来ていた
「昨日は本当にありがとうございました。時間が早く来た上に、長々と居座ってしまって疲れさせちゃったと反省シテマス。
久しぶりにお話ができて、楽しくて、テンションが上がってしまいました(汗)
素敵な作品にたくさん出会えて、いろいろ考えました。ゆっくりでもいいので進めるように頑張ります。」

彼女は4月に仕事を辞めて今求職中であり
また同棲生活なんかもふくめて
将来を模索中なのである

だからって具体的に何かアドバイスしたり
情報を提供したりしたわけではない
いたって単純なおしゃべりだけだ

いわばただの雑談であるが
その雑談をする気軽にする機会が
けっこうないものなんだなぁと思う
他愛ないことを話して笑ったり
しまい込んでいた深刻な話を口に出したり
あらたまった場所や機会ではなく
雑談の中で自然に
いろいろな話ができることが
とっても大事なんだなぁ

頭痛になっても
話を続けていた甲斐があったというものである
  
でもまだ今日を入れて残り二日
まずは今日の体調を少しでも整えて“出勤”せねば

今日は特に誰が来るという予定もないので
ゆっくり音楽聴きながら過ごすとしようかな

2011年9月16日金曜日

個展十二日目の土俵結果

ついに最長不倒距離をマーク
っていうのは日にちのことではなく
談話時間のことである

今日のお客様は定時制高校時代の教え子
すでにもう28歳と聞いてびっくり!
大人な美人というより
少女っぽさを残した
ホンワカ癒し系美人である

11時のオープンとほぼ同時にやってきて
11時半からのワンコインランチを一緒に食べ
その後なんと4時まで話をしたのだった…
  
ノンストップでトータル5時間!
個展期間中の最高記録である
まぁ食事も入ったし
途中ちょっと別のお客様もいらしたけれど

内容は雑談に次ぐ雑談
中学時代から続く強迫神経症傾向な話から
虫歯の話やカレシとの同棲の話
もちろん絵の話
5年ぶりくらいだったけど
それでもお互い良くしゃべったものである…

彼とはオンラインゲームで知り合い
昨年末から同棲しはじめているが
家でもハンドルネームで呼び合っているという
見た目も話をしていても普通なのに
実はかなりのヘビー・ゲーマーなのだ
でも相手に応じた切り替えが上手だから
マニアックで狭い世界に閉じている感じがない

しかし話をすることは楽しかったが
少しずつ頭痛が発生
やっぱりちょっとカラダには無理だったか
朝からちょっと疲れが首に来てる感じがして
安定剤「メイラックス」飲んでたくらいだから
それを考えればよく頑張ったわがカラダよ

会期終了を目前にしての最長不倒距離達成
なかなかの底力と見るか
この頭痛がついに燃料切れのサインと見るか
答えは明日出るであろう
取りあえず今日は早寝だ〜
  
  

2011年9月15日木曜日

個展十一日目の土俵〜

2時ちょうどくらいに到着すると
以前の同僚がギャラリーに来て
書き置きを残していってくれていた
夜間定時制の時間帯が勤務なので
いないとわかっていたけれど
出勤の途中で寄ってくれたのだった
途中下車である
ありがたいことだなぁ
その後酔っぱらってるのか?みたいな
威勢の良いオジサンが登場
「いやぁ〜あなたが“絵描き”さん?いいねぇ、この絵はどれも。何ていうかネ、人間がネ、大昔から進化してきた上で、記憶に刻み付けられた光景がネ、ここにあるように思うんですよ。
あるいはユングの言う集合無意識に刻まれているような原初的な光景っていうのかな。それで…(以下長過ぎて省略)」
その方は仕事で数日泊まっているようで
昨日今日とギャラリーに来てくれたらしいのだ
でっぷりしたお腹からシャツをはみ出させながら
ご自身の思いを語りに語って去っていかれた

続いて翻訳の話で
知人がわざわざ足を運んでくれてまたまた話し込み
いろいろ確認しつつゆっくり進めましょうということになった
さらにわたしの後でギャラリーでの展示を予定されていながら
ダブルブッキングなどの担当者の不手際で断念された方も
また立ち寄ってくださって
長時間いろいろと話しをした

楽しく話をしていたので5時を過ぎたのに気づかず
「占いの館」の占い師の方がドカドカと入って来られて
慌ててテーブルの上を片付け
初顔合わせだった占い師の方(今日は二名)に
挨拶もちゃんとできないままギャラリーを後にした

今日も濃い一日だった
特にあのオジサン
明日も来るんだろうか…
  
  

2011年9月14日水曜日

個展十日目の土俵

十日目となる今日は1時半くらいに到着
やっぱり午前中医者に行ったりすると
パターンが鈍る感じがする

2時前にまたまたウクレレ教室の方がいらしてくれた
普段は席が遠いこともあって
なかなかお話しする機会がなかったが
意外とおしゃべりで快活な人だったのに驚いた
自分勝手に振る舞っているようでいて
ちゃんと周りを見て動いている感じがしていたが
こういう時も一人でいらしてくれて
ご自身の感想などを述べてくれて
“大人”な人なんだなぁとあらためて実感

そして2時になると
退職校の前任校でご一緒だった方がいらしてくれた
5年ぶりぐらいの再会である
今は学校とは関係ない
医療関係のお仕事をされているとのこと
  
職場の時とは別人のような
真っ赤なワンピースに黒ベルト
そして長身なのにさらにハイヒール
さっそうとした歩き方にニコニコの笑顔で
ギャラリーに入って来られた

職場ではあまり話す機会がなかったが
今日は3時間しゃべりっぱなしであった

絵が本当に好きな方で
わたしの絵もとても良く見て下さった
話しては笑い絵を見ては語り合い
また雑談に戻るみたいな
あっというまの3時間だった

「全部の絵を、1枚壁一面くらいな大きなサイズで見たい!」

そう何回も言ってくれたのが印象的で
それだけ絵の世界に入り込んだり
その世界に浸りたいと感じてくれているんだろう
それはとてもとてもうれしいことであった

画集も買ってくれた
そして

「今はまずここにある絵を見ます。
画集は帰ってからのお楽しみにします。」

そう言ってずっと絵を見ていてくれたのだった

帰ってからメールが届いていた

「先生(教員だった頃の同僚だからわたしはまだ“先生”なのだ)の作品には、心の深いところが癒される感じがします。
非現実でありながら、その場所に当たる光の温度がわかる気がしますし、雲や水面の揺らぐ様子から、その場所にどんな風が吹いているのかがわかる気がします。
そんなふうに作品の世界を歩きながら、自分の鈍くなった感覚が浄化されるように感じます。」

有り難過ぎるお言葉である

なんだろう…
わたしはこの一週間で
“生きろ”と言われているような気がする

しかし…来訪者の女性率がとても高いなぁと
われながら思ったのであった…

「面白さ満載ですね!」

1ヶ月ぶりの精神科検診日に行って来た
今日は事前のメモも用意せず
「案内状」と「画集」を持参

順番が来て主治医のジェロ先生と話す段になって
個展が10日ほど前に無事始まり
今のところ不調にもならず
連日ギャラリーまで通い続けることができていると報告し
持参した「案内状」と「画集」をプレゼントした

「いや〜間が一ヶ月空いてしまっていたのでね〜(ジェロ先生の夏休みのためである)、どうしちゃったかなぁ、やっぱり個展が中止になっちゃいましたぁ、とかなっていなけばいいなぁって心配していたんですよ。」

そして画集を見ながら

「絵は良くわからないんですが、美術館とかは良く行くんですよ。面白い絵ですね。不思議な感じがあって。面白さ満載ですね!これが飾ってあったら、見に行った人も足を運んで良かったって思われるんじゃないですかねぇ。」

「面白さ満載」っていうコメントが“面白さ満載”である

さらにプロフィールを見て

 「あぁ、退職されたことを書かれたんですね。素晴らしいじゃないですか。この“とりつかれたように”っていう表現が面白いですね〜。」

終始笑顔なジェロ先生であったが
その後なんとジェロ先生は
その画集を持って周りの看護士の方々に
見せて回り始めたのであった
チョーはずかしい…

もちろん“患者の描いた絵”としてではなく
一つの面白い画集としてである
ありがたいことだ
  
やっぱりジェロ先生は面白い方なのであった
  
  

2011年9月13日火曜日

個展九日目の土俵結果

今日はまず
会場準備の時に来てくれたかつての卒業生が
お花の入れ替え時じゃないかと気を遣って
新しく花を持って来てくれて
これまでのもので使える部分と組み合わせて
新しいアレンジメントフラワーに仕上げてくれたのである

泣けてくるぜ…ありがたいなぁ
受付のお花もリニューアルだ
そしてウクレレを始めた頃に
互いに「同期」と言いながら親しくなった
「レレ友」も来てくれた

ウクレレだけのつながりではなく
お姉様がパワハラが原因で心療内科に通おうかっていう時に
“経験者”としてちょっと相談に乗ったりもしたのだけれど
ご一緒だった方はもしかしてそのお姉様かも

ウクレレは持っておられませんでした

ずいぶんと快方に向かっているとは聞いていたが
目を輝かせて絵に見入っては
どう描くんですかとか積極的に質問されていたので
わたしとしてもとても嬉しかったのだった
お姉様かどうかは憶測に過ぎないんだけれども

そして「友人にさそわれて」来たという
アンケート用紙も入っていた
一言を書くのも面倒だろうと思うが
アンケートにメルアドまで書いて残してくれるなんて
本当にありがたいことである
こういう方には感謝のメールを出すことにしている

色々な人が来てくれてるなぁ
この勢いでやることになった個展は
もの凄い“一区切り”なイベントになっている気がするのである



2011年9月12日月曜日

個展八日目の土俵〜ん

夕べ早く寝てわりと朝は気分良く起きられたので
後半もイケルかと思ったら
カラダがダルダルだった…

しかし不調にはなっていないのが素晴らしい
キツいと思いながらも頭痛・吐き気は出ないのだ
疲労の仕方が良いんだろうねきっと

とは言え今日は衣替えだから
ダルダルでも行かねばならない(と決めたのはわたし)
ほぼ時間通り2時に到着
月曜日は向かいのカフェ・レストランも定休日なので
地下1Fは閑散とした雰囲気
逆に言えば“作業日和”とでも言いましょうか…

でもノートには見知らぬ方のコメントが…
やっぱりこういうコメント残してくれるのって
女性が多いですねぇうれしいですねぇどんな人(以下略)

当初作品10点を入れ替えれるだけだから
すぐ終るだろうと思っていたのだが
そうは問屋が卸さなかったのだ
入れ替えるモノを選ぶのに時間がかかり
入れ替えによる全体のバランスを考えて
絵の配置を変えるのに時間がかかり
結局9点の入れ替えで終了としようと
決心するまでにまた時間がかかってしまった
 入口正面の絵をもう一つのA1「桜の国」に入れ替えたのだ
ほぼリニューアルが終った頃に
年配の男性が何も言わずに入ってきて
じっくり一つ一つ見てから
何も言わずに出て行かれた…
在廊時間外でも結構立ち寄る人っているのかな
そのあたりが残念ながら全然わからない

気づけば2時間半が経過
ずっと動き続けたことになる
疲労感満載状態
5時を待たずに今日は撤退を決めたんだけど
すでに歩く速度はいつもの半分くらい
家に帰れるんだろうか…と
ちょっと不安になったほどであった

でもこれで後半戦の環境が整った
前半よりもバラエティーに富んでいるような印象だ

よしよし今日はもうダウンしてもいいぞよ
  
  

2011年9月11日日曜日

中日はかなりハードであった

今日はかつての同僚が二人
絵を見に来てくれた
新設校の開設準備から一緒だった人たちだ
お二方とも何年ぶりにお会いするんだろう?
でもやっぱり何年経っても
当時苦楽を共にした
戦友のような親しさと安心感を感じるのだ

これも個展がもたらしてくれた
再会の機会なんだよなぁ
話し込むこと1時間あまり
やっぱり久しく会わなかった人とは長話になるし
お互いの思いを打ち明け合うし
時に励まし合い
時に慰め合うことになる

なんかどことなく
毎日カウンセリングルームに詰めているような
そんな感じがしないでもない…
そういう風にしているのは
わたしなんだけどきっと

さらに今日はなんと
九州は熊本から飛行機に乗って
わざわざ個展を見にやってきてくれた
女性がいたのである
それもネットで絵を購入してくれてはいたし
メールでのやりとりもしていたが
お目にかかるのは初めてである
羽田の出迎えの時に
「わたしの目印は青と白のアロハです」

って言ったくらいの初対面である
こんな出会いもあるんだなぁ
でもとっても嬉しかったのであった

加えてもう一人
ふらっと女子高生か?と思うような女性も
気軽な感じで立ち寄ってくれた
スパの帰りなんだろうと思う

青い色が好きというその女性に
明日絵を半分くらい差し替える予定と告げたら
また見に来ますと言って去って行った

ということで
今日はなかなか劇的な中日だったのである



「ぜんぜん面識のない方」に画集を買っていただいた

個展の場所はグリーンプラザ系列ではあるが
地方で展開されているホテルとは異なり
男性用カプセルホテルと女性用スパのある施設である

観光型というよりは
ビジネスマンやOLを対象とした地元密着型だ
だから子どもはまったく見かけないし
家族で訪れる様子もない

男性と女性の受付フロアが別で
利用するエレベーターすら別という徹底した作りだからね

そんな客層を前に
あのギャラリーの絵はどのように映っているんだろうか
そんなこともちょっと知りたいものである
 
というのは
数日前にわたしが入る前の時間帯で
画集が売れていたことがあった
レストランの方があずかったお金を届けてくれた

知り合いの名前が「ひとこと」ノート欄に書かれていたので
てっきりその人が買ってくれたものだとばかり思っていた
そうしたら違っていたのだ

そう言えばウエイターの方がお金を渡してくれた時

「ぜんぜん面識のない方だということでした。」
 
と言っていたのだ
わたしの友人の友人なので「面識がない」と言ったんだろうなぁ
ぐらいしか思っていなかったのだが
文字通り本当に面識がなかったようなのである

つまり通りがかりに絵を見て
気に入っていただいて
画集まで買って行ってくれたということなのだ
男性か女性かもわからない

その人とお話ししてみたいなぁと思う

2011年9月10日土曜日

個展六日目の土俵結果

今日は再訪していただいた方を含めて
知人・友人5人が足を運んでくれた
絵が2点売れ画集が2冊売れた

でも何よりも
一緒にニコニコと話をしながら過ごすことの
なんと楽しいことか

絵を買われた方は
ウクレレ教室の方であった
わざわざ来て下さったのだ
ウクレレ教室はずっと休んでいるっていうのに
さらに実は直前脱退したバンドの
主要メンバーの人でもあった
でもわたしが辞めたことは話題にもせず
絵を見て喜んでくれていたのだ

その方は最近
義理の息子さんを亡くされていた
そこで娘さんを少しでも励ますことができればと
絵を買ってくれたのだった

買っていただいた絵の一つで
男女並んでが海を見ている「Two of Us」
何かこう胸が締め付けられるような気持ちになった…

そんな風に思いを託せると
思ってもらえる絵であったことが
とてもとても嬉しい

そしてまた
見る人の気持ちによって
いろいろな意味や思いを
絵に感じ取ってもらえるんだなぁと
あらためて思ったのだ

疲れはあるけれど
毎日すごく濃い日々が続いている
中日となる明日も楽しみである