でも自宅の一室でもあるらしい
そこに自分が担任している生徒の母親が来ている
今日は一泊の宿泊バス旅行なのだ
「あの子が宿泊旅行に参加できるなんて、本当にもう信じられないくらい嬉しいです。」
母親はちょっと疲れた顔をほころばせながら
わたしに向ってそんなことを話してくれる
旅行当日に子どもを学校へ送ってきて
帰りに寄ってくれたらしい
わたしは時計を見る…今の時間は8時15分
バスは8時30分に出発の予定だ
そろそろ行かなければならない時間だ
でもわたしは知っているのだ
わたしはその旅行には行かないことを
「あぁ…また同じだ…」
いたたまれない思いが込み上げる
カラダはどこも悪くない
行けないような理由はどこにもない…でも行けないのだ
自己嫌悪と戦いながら
必死の思いでお休みの連絡を入れねばならない
いや…宿泊という行事でのお休みはあり得ないだろう
あぁでも行けないのだ…
次第に追い詰められていくわたし
電話しなきゃ…電話しなきゃ…電話しなきゃ…
でもその電話もできずにわたしは部屋を出る
学校の校舎だと思っていた建物は
大学のキャンパスのようなところで
部室棟などを通り抜けて外に出る
わたしは集合場所とは逆の方向に歩く
遠くへ…遠くへ…遠くへ
やっぱりお休みの連絡を入れなきゃ
いや…休めないよ…だってわたしは学年主任だもの
理由をどう説明すればいいんだよ?
今頃集合場所では騒ぎになっているだろうか
そろそろわたしの携帯に連絡が入る頃だろうか
電話にも出られない…メールも見ることができない
そうだな…こういう時に外部とのやり取りを
代わってやってくれる人がいてくれたら
どれほど楽だろうと思う
“大人”としてとか“責任者”として
自分のことは自分で処理することが当たり前なのは
十二分にわかっているのだ
だからこそそれが出来ないことが苦しいのだ
そんな“甘える”ことができないとわかっているから
自分を責めて消えてしまいたいとまで思うのだ…
道のかなたに電車が見える…あれに乗ろうかな
という夢
う〜ん…リアルでディープだ…
そしてある意味ちょっと懐かしいかも…
病休後も昨年ウクレレバンドを辞める前に
同じようなことになったなぁ
無責任な行動を取ってしまったことで自分を恥じて
全ての関係を断とうとしたところも
病休になった時と同じである
今は理由もなく朝から動けない時は
動かなくてもいいのである
こんなに気持ちが楽なことはないのだ
思えばわたしは20代で仕事に就いた時から
こうした精神的な葛藤をずっと抱えていたのだ
最初は年に1回ぐらいだったろうか
それが少しずつ増えていって
退職した学校でピークになったという気もする
まぁ最初からずっとキツい職場を渡り歩いたからなぁ
何十年も戦って
やっと今平和な生活に辿り着いたのかもしれない
なんてことを思う雨の朝であった