2015年9月27日日曜日

「GODZILLA 2014」に自衛隊は出てこないのだ

昨日はとにかく目と口が乾いて仕方なかった。
それでも録画しておいた2014年版「GODZILLA」を見て、
少し翻訳の次回作調べなどをしていたのだが、
やがて頭痛もしてきて寝たのだ。

でも朝寝坊したにもかかわらず、

今日も頭痛なのである。
朝から鈍い痛みがあって、
ダラダダラとネット動画などを見ていたのだが、
それはそれで目が疲れてしまった。

夕方になって冷えピタを貼り、ちょっと眠った。

起きてもまだ頭痛である。長い。

風邪薬を飲んで、さらに頭痛薬も飲んだ。

とにかく眠れても眠れなくても良いから、
横になろう。

あ、ちなみに「GODZILLA」ですが、

渡辺謙演じる芹沢教授の無能っぷりが激しかった。
いや、渡辺謙の役者としてん存在感は際立っていたのだ。
でも芹沢教授がいる必然性がゼロに近かった。
いや、広島の原爆投下の悲しみを
ハリウッド娯楽映画の中で
静かに伝えたことに最大の意義があったと言えるかも。
でもそれもかなり唐突だったけれど。

物語的には

核物理学者ブロディーに代わって
妻を事故で失いながらゴジラとムートーを追う役を
芹沢教授が担えばよかったんじゃないかな。
あるいはブロディーだけで
最後まで押し通したほうが良かったか。

まぁ日本人を出したかったんだろうけれど、

思い入ればかりが強くて
うまく役として配置できなかったのかな。

その芹沢教授が抱えている反核への思いとか

核兵器の恐ろしさとかいったものへの
映画としての立場があやふやなのも消化不良。
ラスト、メガトン級の核爆発が
ただの大爆発で終わるのも
それぐらいの認識しかないのかって感じ。

怪獣の巨大さや重量感、

恐竜にはならない、適度な生物らしさ
つまり怪獣らしさは良く出ていたな。
低い位置から見上げるアングルが活きていたし、
カメラが切り替わる間際に、
何か大きなものがチラッと動くという演出も良かった。
だから特撮(CGだけど)怪獣映画的には満足である。

ただ、映画の内容とは直接関係なく思ったことが一つ。

繭の研究を行っている機関「モナーク」は
国際機関と言っていたけれど
そこで緊急事態が発生すると、場所が日本国内であっても

「この基地は米軍の監視下に置かれました。」


と、すぐにすべてを米軍が仕切ってしまうのだ。

それも、実に自然に、当然のことのように、
そしてあっという間に。
日本の警察も自衛隊も出る幕ゼロだ。
  
実際、今の日本はそういう国なんだろうだし、
アメリカからもうそう認識されているんだろうなと
ちょっと考えてしまったのであった。

ちょうど、ハワイの電車で親にはぐれて
何もできずに泣き叫んでいる子どもアキオが日本で、
状況を良く見ながら優しく世話をするブロディ大佐がアメリカ
ってところなんだろう。

う〜む。