2012年8月31日金曜日

そうか、もう君はもういないのか

8月1日は横浜の花火大会の日であった
幸せの絶頂みたいにして始まった8月
その8月がこんな状態で終るとは予想だにしなかった

明日からは9月
まだオマケの夏休みが続き
むせ返るような残暑も続いているけれど

2008年の9月が大きな転機だったとすれば
2012年の9月もまた大きな転換期なのかもしれない
三年寝太郎ならぬ四年寝太郎が
やっと目を覚ましてくれるのならいいけど

読んではいないんだけど
城山三郎の本に
「そうか、もう君はもういないのか」
というタイトルの本がある
妻を失った喪失感に満ちた内容だという

“亡き妻” だから引き合いに出されては嫌だろうけれど
この「そうか、もう君はいないのか」っていう
言葉に込められた悲しみは
痛いほど分かる

面白かったことや怒ったことや
気づいたこと気になったことなど
ちょっとしたこととか他愛ないことを
いつものように話しかけたくなって
でも当然のようにそばに居てくれた相手が
もういないことを再確認する時の
何とも言えない寂しさ

長年連れ添った仲良し夫婦のように
最高のパートナーであったなぁ
でもそんな思いにグズグズと立ち返るのも
もう8月を最後に止めることにしよう
今でも最高のパートナーである
それでいいのだ



コンサートウクレレ製作4[目止め]

半月ぶりのコンサートウクレレ製作である
以前ソプラノウクレレを製作した時
塗装の方法が今ひとつ良く分からず
結果的にはしょってしまった工程が
この「目止め」である

これは木材の表面の細かな穴をふさぎ
表面をなめらかにするとともに
必要以上の塗装剤が
木材に染み込むのを防ぐためのものだ

要するにこの工程を行なえば
表面はつるつるになり
塗装も楽に奇麗にできるハズなのだ

作業としては「との粉」という粉を水で溶いて
ハケか布で表面に塗り込んでいく
乾いたところで乾いた布で余分な粉を落とせば完成だ


どうせ余分な部分は後で落とすので
けっこう念入りに塗り込んでみた
30分ほど乾くのを待ってからこすって落としてみると…


お〜!美しいんではないかい?
ぽつぽつと開いていた細かい溝のような穴に
砥の粉が入り込んでいるのが分かる
すでに全体として表面がなめらかである

さぁこれでいよいよ塗装の下準備が終った
木目を活かすのならニスでつや出しするし
色を塗るなら塗料で色づけしてからニスかな
でも面倒くさがりなわたしは
カラーラッカー1本で仕上げてしまう予定である
ただ未だに何色にするかが決まらない
濃いめのブルーか濃いめのグレーがいいかなぁ…
とか思案中なのだ



明日いよいよ色づけができるであろうか

2012年8月29日水曜日

「すーちゃん」でわかった「絆」の不快感の正体


益田ミリの「「すーちゃん」
主人公のすーちゃんがお友達のまいちゃんに対して
次のようにモノローグする場面があった

「親友なんかじゃなく友達 
 親友という言葉で 
 友達をしばってはいけないんだ」

これだと思った
「絆」とかいう恐ろしい言葉を
平気で使っているのを目の当たりにした時の
強烈な違和感と不快感の理由は

言っている方は何か運命的なものに
勝手に酔いしれているのかもしれないけど
言われた方は強烈な縛りを感じるのだ
ものスゴい重荷を背負わされるのである
そんなの余計なお世話なことなのだ
人と人の繋がりは強ければ良いというわけでもなく
個々それぞれに程よい距離というものがあるのだ

だから例え家族だろうと親類だろうと
ご近所だろうと恋人同士だろうと
そんな言葉は安易に使うべきではないのだ
その言葉が逆に人を傷つけ苦しめるのだから

こういうことに鈍感なメディアには
もうウンザリである
それをさらに「正論」として
有無を言わさず押しつけてくる態度には
怒りしか感じられない


いいなぁ「すーちゃん」
性別も環境も違うけど
なんか共感してしまうのである

「すーちゃん」に見る「絆」の不快感の正体

益田ミリの「「すーちゃん」
主人公のすーちゃんがお友達のまいちゃんに対して
次のようにモノローグする場面があった。
   
「親友なんかじゃなく友達 
 親友という言葉で 
 友達をしばってはいけないんだ」
   
これだと思った。
    
「絆」とかいう恐ろしい言葉を
平気で使っているのを目の当たりにした時の
強烈な違和感と不快感の理由は。

言っている方は
何か運命的なものに
勝手に酔いしれているのかもしれないけど、
言われた方は強烈な縛りを感じるのだ。
ものスゴい重荷を背負わされるのである。
そんなの余計なお世話なことなのだ。
人と人の繋がりは強ければ良いというわけでもなく、
個々それぞれに程よい距離というものがあるのだ。

だから例え家族だろうと親類だろうと、

ご近所だろうと恋人同士だろうと、
そんな言葉は安易に使うべきではないのだ。
その言葉が逆に人を傷つけ苦しめるのだから。

こういうことに鈍感なメディアには、

もうウンザリである。
それをさらに「正論」として
有無を言わさず押しつけてくる態度には、
怒りしか感じられない。



   
いいなぁ「すーちゃん」。
性別も環境も違うけど
なんか共感してしまうのである。
   
   

新作CG「Dark Castle」

まだ中に足を踏み入れたことはない
でももしかすると
暗くて静かで安心できる場所なのかもしれない
 
二度と外に出られないのではなく
二度と外に出たいと思わなくなる
甘美な暗黒の城

2012年8月28日火曜日

二人の世界の向こう側

“にゃ〜こ”という呼び名も含めて
二人が共有していたからこそ存在していた世界がある
でも今は共有することを止めたことで
思い出に残るだけのものとなり
あんなに現実味を持っていたにもかかわらず
次第に消えていくのである

“モンちゃん”も消えていく
お店の本当の名前とは別に勝手に二人で呼んでいた
“中華一番”も消えていく
スーパーなんだけど
どうしても八百屋さんの雰囲気が漂っていた
“八百屋さん”も消えていく

そして
旅行の旅に詳細な計画を練ってくれて
「しおり」まで作ってくれた
“にゃ〜こTOURS”も消えていく
あのロゴマークもついに完成しなくて
ごめんね

“フワフワタイム”っていうのも
にゃ〜こに教えてもらったものだから
消えていく世界なんだろうなぁ

しかし…
そうやって彼女が古い世界を捨てて
新しい世界で活き活きと生きていってくれたら
それで良いのである
もう申し訳ないくらい十分尽くしてもらったんだから

2012年8月27日月曜日

ウクレレとプログレ

また血迷ってしまったようだ…

「大人の工作キット ウクレレBOOK」をポチッと購入
3,500円でなんとウクレレキット付き
つまりまぁオモチャであろうことは承知の上なんだけど
魅かれちゃうのである…


そしてまたこんな本も予約注文してしまった
表紙が何と言うかちょっと困った感じであるが…

「プログレッシブ・ロック 日本人に愛される理由」
というタイトルが
今までとはちょっと違った切り口かもしれないなぁと…
ポチっ

ウクレレとプログレ…
やっぱり今のわたしの“基本”みたいである



2012年8月26日日曜日

今日は近隣を独り散歩

以前にゃ〜こがわたしん家の最寄り駅まで来てくれて
線路沿いに幾駅か先まで一緒に散歩したことがあった
歩け歩けお散歩デートである
それを思い出して同じルートを辿ってみようと
またまた炎天下歩いてみたのだ


山の手を抜けて鉄塔の横を通り隣り駅に到着
なぜか夏には鉄塔が良く似合うなあ

そしてそこから公園を通ってさらに次の駅に向う
思えばこんなところまで良く来てくれたものだ
上ったり下りたりのアップダウンが続くルートである


ところがこのあたりまでは順調だったんだけど
その先で道を間違えたらしく迷ってしまったのだ
今回は完全に自分の居る場所がわからなくなった
それでも面白がってしばらくそのままウロウロしていたら
見知らぬ住宅地の急な上り坂に出くわした
アスファルトの道にちょうど太陽の逆光が反射して
何とも不思議な世界に身を置くことになった


このまま坂を上って行くと
“あっちの世界”に行っちゃうんじゃないか
みたいなドキドキした気持ちを抱きながらしばし佇む
最近の陽射しってそんな魔力を持っている気がするなぁ

その後当然のように坂道を上る
“あっちの世界”を覗いてみたいし
もちろん坂を上り切っても
あっちの世界には行かなかったけど
何だか心躍る体験だったので満足であった

最終的には携帯の地図ソフトでGPS位置検索をし
自分が目的の駅から大分離れていることを確認
無事駅に着くことができた


にゃ〜ことご飯を食べた
もう一つ先の駅の駅前ファーストフード店まで辿り着きたかったが
まぁ無事帰れたということで良しとしよう
今日は山あり谷ありを歩いて1万6千歩
なかなか良く歩いたものである

今日は良く眠れるかな
明日は子守りだから


今日思い立って散歩に出られて良かったなぁ

2012年8月24日金曜日

横浜花火の夢の跡

今日は午後から突然復活し
横浜のみなとみらい地区に行ってきたのだ

そこはまだわずか3週間ほど前に
彼女と一緒に神奈川新聞花火大会を見た場所
浴衣姿のにゃ〜こと横浜駅から歩いて
穴場的な観覧場所を見つけて
二人で盛り上がったのだ


行きがけに見つけたローソンが
今日もちゃんとお店を出していた
花火大会やイベント用に臨時出店してたんじゃん?
って話してたんだけど
ちゃんといつも開いているお店だったよ〜

二人で花火を見た空き地は
普段は立ち入り禁止区域で
今は草ぼうぼうであった
まるであの時が夢であったかのようだ
二つあった影は一つになっちゃったなぁ…
来年もまた来ようねって行ったのに…
何だかどこかの歌にありそうなフレーズだけど
でもそんな歌にありそうな切ない経験をしたんだよな

  
夢だったとしてもとても素敵な夢であった
浴衣を来た大好きな彼女と二人で
夜風に吹かれながら
海上に上がる花火を観ることができたのだから…
大切な最後の思い出である


そのまま横浜駅には戻らず
ふと思い出して桜木町駅に向う
そう言えば病休になる直前の夏休みの
ちょうど今頃のこと
当時顧問をしていたパソコン部の活動で
「三菱みなとみらい技術館」に来たのだ
それほど遠くない場所にあるはずだと
見当をつけて歩いていたら見つけた
あぁ懐かしい
そう…当時の苦しさが甦るかと思ったが
もう辛くも何ともないのだ
ただ懐かしいという感じ

もう4年も前のことなんだなぁ
ついでに生徒と一緒に昼ご飯を食べた
中華街にある中華バイキング屋に行ってみようか
などとチラっと思ったが
さすがに今週の疲労蓄積がこたえて
繁華街へくり出す元気がなかった
それでも桜木町駅前の立ち食いそば屋に入り
ちょっとエネルギーを補給してから
延々と横浜駅まで歩いて
今日の小さな旅は終ったのだった
今日は1万6千歩なり

今週は良く動いてさすがに疲れた
週末は引き蘢ることにしようか


久しぶりにビールも買ったし
飲んで無事かどうかはまだ未知数だけど

今日のお昼はキムチパスタ

今日は高二くんが登校日で中一くんが部活なので
久しぶりに一人のお昼である
レトルトのパスタソースで
お手軽にお昼を食べてしまおうと思ったが
これは2〜3人前であった

ちょっとストレス食い傾向もあるので
えいやっ2人前でも食っちまえ!と意気込んだものの
やっぱりソースがもったいないと思い
自分で作ることにした

コンビニへ行ってお買い物ついでに
80gくらいの小さなキムチのパックを発見
これでお昼はキムチパスタに決定
でもキムチパスタなんてものがあるのか不明
でもやってみたくなるから不思議である

アスパラとベーコンを炒めて
最後に茹でたパスタとキムチを入れて
全体が混ざるように軽く炒めてオシマイ
パスタをちょっと多めの120gぐらいにしたら
具が多かったので大盛りになった


赤味がかって見えるのはトマトソースじゃなくてキムチだ
ちょっと炒め過ぎてパサパサになっちゃったけど
そこはお味噌汁でカバー(?)である

そうか…茹で汁を入れて全体を絡めればよかったかも…
次回にトライだな

なんかコンビニ行ってお弁当コーナーでパスタ見ても
自分で作った方がいいなって思うようになった
そりゃ味はコンビニの方が美味しいだろうけど
でも濃過ぎる・クド過ぎるって気がしちゃうのだ

わたしの中でこの夏に変わったことの一つである

カギをなくした夢

顔なじみの同僚たちと一緒にいる
開校して初めての卒業式のようだ
わたしたち卒業学年の担任団も晴着を着て
控え室のようなところで
式が始まるのを待っている

皆晴れやかで誇らしげで
やっとここまで来たという安堵の笑顔

いや卒業式ではないみたいだ
皆で旅行に来ているらしい
ここはホテルのラウンジかな
きっと卒業生を出して
学年団で慰安旅行に来ているのだ

皆で何かを見物に出ようとしている
皆その仕度を始めたので
わたしもロッカールームに行って
自分の持ち物を出そうとする

するとカギがない
   
(あぁ…無くしそうな気がしていたんだよな…)
   
と思う
ロッカーの中には大事なケータイが入っているのだ
ひとりショックで立ちすくんでしまう
その間にどうやら皆はもう出かけてしまったらしい
そしてそれは物見遊山ではなく
何かの行事の実地踏査なのであった
それじゃあ行かなくてもいいかなんて
言っていられないじゃないか…
あぁどうしよう…

という夢
目が覚めても不快感はなかった
甘美な思い出と深い悲しみ
人生を走馬灯のように振り返ったような…

2012年8月23日木曜日

お別れメールから一週間

にゃ〜この部屋を出入り禁止になってから9日
「別れた方が良いと思ってる…」
というメールをもらって6日が経つ
わたしは何とかその言葉を受け止めようとして
色々これまでのことを振り返りながら
ブログに思いや考えを吐き出し
連日炎天下の街を歩き回ってきた 
アタマとカラダを過剰に酷使することで
何とかショックに耐えようとしていたのだ

でも
わたしの不用意な行動が直接のきっかけだったとは言うものの
喧嘩別れしたわけではないので
この間も時々メールをやり取りしていた
だからわたしの振り返りが
必ずしも独断的一方的な見方というわけでもないことは
少しずつわかってきた
逆にこうやって振り返ることで
お互いがこれまでのことや今の状況を
冷静に客観的に見つめる機会になったのかもしれない

その上で二人とも「ごめんね」と「ありがとう」を
たくさん伝え合って
今それぞれ前を向こうとしているのだ

今でもお互いが相手のことを大切にしているし
以前とは違ってしまったとは言っても
一番近い存在であることには変わりがない
そりゃできることなら一緒にいたいと強く思う
でもそれが彼女を辛くさせるとしたら
それはわたしにとっても耐え難く辛いことなのだ

もっと自由にいろいろなしがらみから解放されて
軽く手をつないでニコニコ笑い合って
ゆっくりと歩きたいものだ
一緒にいられることの幸せを
心から喜びながら

にゃ〜ことはわたしにとって
そういう他では代え難い存在なのである
それが6年半一緒にいてわかったことなのだ

2012年8月22日水曜日

今日は国営昭和記念公園を独り散歩

以前通っていたウクレレ教室で
毎年4月末の「昭和の日」に
青空ウクレレパーティーが
この公園で催されていたのだ

それを午前中だけで中座させてもらって
昼からにゃ〜ことデートをしていた
今日までパッと思い浮かばなかったくらいだから
それほど強烈な場所ではないだろうと
タカをくくっていたのだが
実際はさにあらず…
歩き始めたらもう胸が締めつけられて
大変だったのである

もう入口からダメであった
入口の中側で立っているにゃ〜こが
どうしても目に浮かんじゃうのだ

  
とにかく広い公園なので
入口で待ち合わせてパーティーとは別の方向へ歩いた
だから毎年同じようなルートを散歩することになる


左隅に見える橋の手前のこの芝生で
にゃ〜こが用意してくれたお昼を食べたっけ
目の前を下るとサイクリングコースの
サークル(円)が見えた

草花には超ウトいわたしが付焼き刃の知識で

「あれがハナミズキだよ〜」

って自慢げににゃ〜こに説明したのを思い出す
『えらそ〜に』って言っていいよ…にゃ〜こ
もう遅いか…


日本庭園にも毎年入った
いつもどこかの改修工事をしてたっけ
春の景色と夏の景色は随分と違ってたけど
やっぱり岩の上にカメがいたのだった


「にゃ〜こ、カメ、カメ」
  
「本当だ、こんなに暑くても岩に乗るんだねぇ。
 春よりは数少ないけどね。」

にゃ〜この声が聞こえる

その次に向ったのは「こもれびの丘」
ちょっとした山歩き気分を味わえる場所だ
また今日は陽射しが強いので
木漏れ日のコントラストがきれいなのだ


そしてこの丘を越えると「花の丘(コスモスの丘)」である
今は一面何もない丘陵である


「あの木のところに、前はログハウスみたいなのがあったよね?」
「うんあった、でもなくなっちゃったんだね。」

ウクレレ教室を去年いっぱいで止めたので
今年の4月にはウクレレパーティーには参加できず
この公園デートもできなかったのだ
公園デートだけでもすれば良かったね…
楽しみにしてたのに…ごめんねにゃ〜こ

ご飯を食べたあたりに戻ってくる
すぐ近くには広大な菜の花畑があったのだが
今は畑地を整備していて
スプリンクラーで水が巻かれていた
これもこれで夏らしい風景だな


帰り道で橋の欄干で風に吹かれて立ち往生している
カマキリくんを発見した


またまたにゃ〜この声が聞こえる

「おっ!カマキリ、こんなに近くで見るの久しぶり〜!
 もんちゃん、写真撮っといてね!
 こっちから撮った方が良くない?」

お〜…ちゃんと撮ったよ〜…
でも…もう渡せないけど…

自然の風景は季節が違うとガラリと趣きが異なる
だから花々が咲いていた春のイメージは残っていないんだけど
もう懐かしくて懐かしくて
切ない思いがこみ上げてきて困った
ここもとても大切な思い出の場所だったのだ

後は箱根と京都に行けたらいいなぁ
でも本当はにゃ〜こともう一度


こうやっていろいろな場所を訪ね歩きたかったな

センチメンタル・ジャーニーはまだ終らないのである

デザイン・フェスタvol.36がやって来る

活動停止状態から
半ば無理矢理からだを動かしながら
併せて気持ちの整理も付けていこうと悪戦苦闘している日々
こうして文字にすると簡単に終っちゃうが
現実には愛おしい感情や深い喪失感を抑え込むのが大変で
先のことなど考える余裕もない

でも11月には「デザイン・フェスタvol.36」がやって来るのである

もうそれどころではない…とも思った
参加費はすでに支払っていて払い戻しはできないので
お金は諦めて当日空ブースになる迷惑をかけるが
ごめんなさいだなと思っていた

でもやってみようかな

春の初参加の時は
人目にさらされる昼間の店番にこそ
少ししか入ってもらわなかったけど
搬入とブースのセッティング
そして終了後の撤収に二人だけのお疲れさま会と
にゃ〜こが裏方として全面的に協力してくれたのである

お陰で無事二日間を乗り切ることができたし
二人で参加したイベントみたいな楽しさも味わえたのだった
甲斐甲斐しく手伝ってくれる姿も可愛かったし

しかし後ろばかり見ているわけにもいかないからなぁ
それにデザイン・フェスタ自体が思い出の場所でもあるから
きっと色々思い出して苦しいだろうけれど
一人で参加して記憶の上塗りをすることも
また大事じゃないかと思う

にゃ〜このお陰で前回vol.35を乗り切ったので
全体の感じは一応掴めているから
今度はもう少し気持ち的にも余裕が持てそうである
頑張ってやってみましょうか

今日の今この瞬間の気持ちとしてですが

2012年8月21日火曜日

今日は川越を独り散歩

彼女とは毎年お正月になると初詣に行っていた
場所は小江戸と呼ばれる川越
詣でるのは川越大師喜多院である

ダルマ市前日の二日に出かけて
お参りしてから屋台の焼そばとか食べて帰る
それが毎年の恒例となっていたのだ

今日歩いてみたら川越駅から結構距離があった
いつも一緒におしゃべりしながらだったから
それほど苦にも思わなかったけど
一人歩くと随分と遠い
まぁ炎天下ということもあったんだけど
2年前だったか
にゃ〜こが着物を着てきてくれたことがあった
この道を着物に草履で歩いてくれたんだなぁ
今日しみじみそんなことを思い出した

にゃ〜こはそうやってイベントを楽しくして
わたしが喜ばせてくれたし
疲れたとか暑いとか寒いとかいったことで
文句を言ったり不機嫌になったりすることはなかった
当たり前のように思っていたが
これは彼女のデキタところなのだ
そしてホントに仲良しだったのだ二人は…

この階段を下りたなぁとか
この路地を曲がったなぁとか思いながら
山門に到着する


お正月は賑やかだけど
今日は閑散としているかと思ったら
結構散策に来ている風なカップルや団体さんがいた
寺ガールみたいなその道の方々にとっては
かなり有名なのかもしれない


お正月は屋台が並び参拝者の列が途切れないが
こうして普段の様子を見ると
かなり広々した場所である
穏やかなお天気の日に
にゃ〜ことのんびり歩いてみても良かったなぁ


いつも参拝客でごった返して全体像が見えない慈恵堂も
平素はこんなにゆったり堂々としている
お札やダルマを買ったりしている時
にゃ〜こは脇で荷物を持って待っていてくれたものだ

ここならお願いごとをしても大丈夫
そう思ってまたにゃ〜このことを
よ〜くお願いしてしまった
離れていてもいつでも一緒…
と言うわけではなくなったから
ぜひ代わってにゃ〜この力になってもらえるよう
お頼み申し上げたのである

毎年初詣の日になると
あぁ今年も一緒にここに来れたなぁ
ありがたいなぁと思ったものだ
一年をとっても幸せな気持ちで始められたのだった
でも次のお正月はもう一緒ではないのだ
その時また寂しさが押し寄せてくるんだろう
この6年半の間
一番話をし
一番笑い合い
一番触れ合った人だったなぁ…
そして一人が好きなこのわたしが
一番リラックスできるのが
にゃ〜こと一緒にいる時だったのだ
思い出の詰まった場所を巡る旅はこれで一段落かな
毎年の花見を楽しんだ公園巡りは
彼女の生活圏だからもう行くことはできないし
先日横浜で花火大会を見た場所は
まだ印象が生々し過ぎて行けないし
一緒に旅行した場所は
そう簡単に行くことはできないし…
あぁでも箱根なら行ってみたいなぁ

でもきっと思い出の詰まった場所ではなくても
ふとした拍子に彼女の笑顔や振舞いや声などを
強烈に思い出すに違いない
今でも背格好や髪型が似ている女性がいると
知らず知らずに目が行ってしまうから

にゃ〜こを忘れようとは思わないのである
病休の一番苦しい時期に支えてくれた
ある意味命の恩人みたいな人でもあるから
それは土台無理な話なのだ
だから心の中のにゃ〜こには
これからもいつも声をかけていくのである
いつか「笑顔でまた会える日が来るまで」ね

別れるのは仕方ないことだったのだ……

二人の思い出の場所を歩きながら
その思い出を噛みしめていると
あぁ確かに最近の彼女からは
昔のウキウキ・ニコニコする様子が消えていたなぁ
っていうことがわかってきた気がするのだ

そう…昔は本当にわたしが会いに行くことを
彼女はニコニコしながら待っていてくれたのだ
ドアを開けてくれる時から笑顔満載だったし
ドアの外に出て
そろそろ見えるんじゃないかって
待っていてくれたこともあった

夕飯一つとっても
昔は仕事帰りに二人分のお弁当を買ってきてくれた
それは義務感とかじゃなくて
二人のお弁当を選ぶことを
とても楽しんでくれてたんだと思う

「これ絶対喜んでくれると思った!」

彼女はよく嬉しそうにそう言っていたものだ

でも最近はそれぞれが好きに夕食を買うことになっていた
ちょっと寂しい気はしていたけれど
わたしとしても
彼女にわたしのご飯のお金まで負担させるのは
やっぱり申し訳ないと思って
その方が良いだろうと納得していた

そういうお金の問題じゃなかったんだろうきっと
いや…何か彼女の意欲を削ぐようなことを
慣れて来たわたしはしていたのかもしれないなぁ

最近彼女の家で
わたしがヘタな夕食にトライしようしたのだけど
言葉には出さないけれど
わずかなメールのやり取りで伝わってきたのは

(え〜?なんでそんな余計なことするの?)

であった
正直かなりショックだった
でも平静を装って作ったんだけども

昔だったらきっと単純にニコニコ喜んでくれたか
大騒ぎしながら一緒に作るのを楽しんでくれただろうな
今になればそんなふうに思う

そうなのだ…サインはいっぱい出ていたのだ
最近は冷たい反応やキツい言葉も気になっていたのだ
でもわたしはそれを認めようとせずに
昔のニコニコした笑顔を求めて
一生懸命彼女を追いかけていたのだ

そうか…
彼女の好きなプリンを毎日のように買ったことがあったけど
それは彼女の笑顔が見たかったからなんだな

もちろん彼女にしてみれば
わたしだって昔とは違って
彼女に対するドキドキや感謝の気持ちが
薄れていたんだろうと思う



うん…何だか受け入れられる気がしてきた
もう終っていたんだよ
ずいぶん前に

でも…今でも大好きなのも本当なんだよ

2012年8月20日月曜日

舌先がちょっと麻痺しているのだ

春先からのことだから
もう4ヶ月くらいになるだろうか
舌先がちょっと麻痺したままなのである

最初はけっこう口内炎や舌炎ができたりして
麻痺だけでなく煩わしさが伴っていたんだけど
口内炎や舌炎はできなくなったし
できそうな雰囲気もなくなった

でも弱い麻痺は続いているのだ
コレステロールをコントロールする薬を飲み始めたのも
この春からなのだが
飲み始める前から舌炎や麻痺があったことは
しっかりと記憶しているのである

だから正直なところ
料理を作るようになっても
イマイチしっかり味がわからないのである

でも腫れも痛みもない
ただ痺れたような感じが取れないのである

色々調べてみたら
舌痛症であればストレスが原因で
(はっきりは解明されていない)
抗うつ剤が有効らしい
なんてこった…また抗うつ剤かい!

今度の血液検査は9月1日である
ちょっと相談してみようかな
あ…でも前に言ったらビタミン剤処方されたのだった
あまりアテにならないかもなぁ

今日は横浜を独り散歩

二人の楽しい思い出が強過ぎる場所に
一人で行ってみることで
少しはその切なさが緩和されることが
昨日の熱海訪問でわかったので
今日は横浜に行ってきたのだ

横浜の訪問場所は2ヶ所
まずは昨年の春と今年の春にお花見に出かけた
三渓園に行ったのだ
一緒に行った時と同じように
横浜からバスに乗って

お盆休みも終わったウイークデーだから
人影も数えるほどしかいない
むしろ園内整備をしている業者の人が目立つくらいだ


一緒にお昼を食べたあたりを眺めながら
シンボルである三重の塔まで登る
ここに来たのも昨日のことのようだなぁ


塔のそばにあったこの「出世観音」が
ちゃんと修復されていて驚いた
昨年の3.11の地震で倒れ
その直後にここを訪問した時も
1年以上経った今年の春に来た時も
まだ修復されていなかったのである

にゃ〜こ…直ってたよ…と真っ先に伝えたいが
それはもう出来なくなってしまった…
それにもうにゃ〜こじゃないんだよな
でも今更何て呼んで良いか分からないから
やっぱりにゃ〜こはにゃ〜こだな…

続いて向ったのは横浜競馬場跡である
炎天下を延々小一時間歩いて到着だ
最後は朦朧としてきたが
何とか無事着いて良かったなぁ


この建物はなぜか自分にとって重要な存在なのだ
だからということもないのだが
思わず

「一緒にいてあげられなくなりましたから、
どうぞにゃ〜こを守って下さい」

なんてお願いしてしまったのだった
にゃ〜こにとっては余計なことだったろうし
この建物(廃墟)もひどく困惑したであろう
誠に済まないことである

しかし思い出の場所はこの建物というわけではないのだ
そのすぐ近くにある公園の遊具なのである


この滑車で滑る遊具で
大人げなくも二人で滑って遊んだのである
もちろん一人ずつだけど

あの時の大騒ぎが忘れられない
だからここは絶対来なければと思っていたのだ
もう一つ大騒ぎした長い滑り台は撤去されていた
いろいろな物が少しずつ変わっていくんだなぁ

こうして横浜を歩いて
二人の記憶の上に一人の記憶を上塗りしていった
悲しみは少し和らいだ気がする

そんなこんなで今日は炎天下歩き通しで
携帯の万歩計によれば2万歩に迫る数になった
昨日も歩け歩けだったんだなぁ
本当に元気になったものである
以前なら昨日のうちに頭痛が始まり
今日は寝込んでいたんじゃないだろうか



さて明日はどこへ行こう?

もう携帯も持ち歩かなくてよいのだ

笑顔で会える日が来るまで
またね
と言って別れた

今度会った時にぶざまなオジサンになっていないように
ストイックで前向きな生活を送らなければと思う
でも…また会える日…か…
そんな日が来るんだろうか…
悲しいなぁ

今日の朝さっそく思ったのだ
もう携帯電話を四六時中持ち歩かなくていいんだなぁって
いつものようにGパンのポケットに入れようとして
その必要はもうないことに気づいたのだ

こうやって日常のちょっとしたことや何げない場面で
これからしばらくは
胸が詰まるような悲しみに襲われるんだろうな

取りあえず一人旅がしたい
いや…動き出すだけのエネルギーはまだないか…
眠れない日が続いているのもあるんだろうけど
何も手につかないしちょっとふらふらするから…
仕方ないことだけど

それに一緒に行ったところだといろいろ思い出すし
初めてのところだと一緒に来たかったと思っちゃうだろうし
旅先を選ぶのもまだシンドイなぁ
うれしそうに食事している顔が浮かぶ

彼女との別れ、それぞれの道

彼女には彼女の生きる道がある
精一杯彼女を大切にしてきたつもりだったけど
やっぱり無理を押しつけ
生活を縛っていたことに変わりはないのだ

とても辛いけど
わがままなわたしには変えることが出来なかった関係を
彼女が変えようと決心してくれたのだ
それが彼女の…にゃ〜このためには
最良な選択なのだ

支え続けてくれた至福の6年半であった
こんな体験は二度とないと思う
だから逆にいつかは終わりが来る関係だった
お互いこれほどのエネルギーをずっと注ぎ続けることは
どう考えても不可能だもの
6年半ですでに奇跡である
無意識にわたしの回復を待ってくれていたんだね

最後まで大好きな女性であった
というこはつまり振られたっていうことになる
でもそれで良いのだ
同じ別れるにしても
彼女が自分からそれを選択したことが良かったと思う
だからわたしはそれを何とか静かに受け入れる

気持ちが整理できるまで時間がかかるだろうと思う
生活や心の支えが大転換しちゃうから…
でも前に進むしかないのだ
幸せな思い出をエネルギーにして

さよならは言えなかった
またね


それが精一杯の最後の言葉だった

2012年8月19日日曜日

花火を見ない花火大会

午前中の腹痛の不快感がまだ残りながらも
この炎天下のもと
どうしても熱海へ行きたくなって電車に飛び乗ったのだ
頭痛も腹痛もショックによる精神的なものだろう

途中で動けなくなったらどうしようと思ったが
にゃ〜こがいなくても
にゃ〜こと一緒に毎年行っていた
熱海の花火大会見物を
今年止める気になれなかったのだ

電車の中で一息ついて
気づけば身の回りの品々は
にゃ〜こと縁が深いものばかりなのだ
携帯用折畳み傘はにゃ〜こに買ってもらった物
柿で染めた帽子も一緒に旅行に行って
にゃ〜こが買ったのを譲り受けたもの
手作り腕時計もそもそも体験教室に
にゃ〜こがついてきてくれたのが始まりだ

でもいつも隣にいた本人がいない
山が見えても海が見えても
当たり前のように声をかけていた相手がいないのだ

そんなことを思いながら熱海に着く
するともう思い出だらけだ
改札口でトイレを待っていてくれた姿が思い浮かぶ
駅前商店街を手をつないで歩いたなぁ
あぁこのお店でご飯を食べた
ここの宿に泊まった
この階段を下りた
この風景を写真に撮った
このお店で服を買ったっけ
ここではビニールシートを買ったな
ここのガラスウインドウに
二人の姿が映ってちょっと照れたっけ
この自動販売機でジュースを飲んだ

そして海岸へ到着


日焼け止め塗って歩いたっけ
ここをキャリーバッグ転がしたなぁ
いつも熱海に来ると暑い日で
それなのに歩け歩け大会になったっけなぁ


いつものルートをたどろうと思ったんだけど
ロープウェイのそばまで行って乗るのを止めたのだ

だってロープウェイの切符は
いつもにゃ〜こが買ってくれたから
窓口で切符を買っているにゃ〜この姿が浮かんで
ちょっと耐えられなくなったのだ

そのまま浜まで戻りゆっくりと遊歩道を歩く
日曜日だということもあってかなりの人出だ


熱海に来る時は海には入らなかった
だからお散歩してから宿に戻って
夕食時食べに出てそのまま花火見物だった

でも今日は泊まるわけではないから
ふらふら歩きながら立ち止まっては海風に当たっていた
またまた見知らぬ人から写真撮るのを頼まれた
にゃ〜こがいたらまた自慢できたのに…

そのうちカラダが段々きつくなってきた
やっぱり調子はそれほど良くなかったのだ…
でもとにかくあの場所へ行こうと思った
それは去年やっと二人で浜まで降りて
花火を見ることができた階段である


この階段の砂浜に近い場所に腰を下ろして
前方の海上に広がる花火の光と音を楽しんだのだ
にゃ〜こは浴衣だった
幸せだった

そんなことを思い出しているうちに
にゃ〜こが居ないのに花火を見ても
つまらないどころか辛くなるだけな気がしてきた
歓声を上げる相手がいない
握る手がない
見つめる笑顔がない

花火を見るのは止めることにした
一緒に歩いた別のルートから駅に戻り
浴衣姿のカップルが続々と駅から浜へと向う中を
帰りの電車に乗ってしまったのだった

はるばる熱海まで行って
花火大会が始まる熱気を感じながら
その花火大会は見ずに帰ってきたわけだけど
残念感は微塵もなかった
にゃ〜こがいたから何もかも楽しかったのだと
あらためてわかった

そう…にゃ〜こがいたから
元気になろうと頑張ったし
中古CD屋で少しでもお金を稼ごうと思ったし
食生活を改善しようと思ったし
料理も作れるようになろうと思ったのだ

それはいつかにゃ〜こと
一緒に暮らそうと思っていたからなのだ

だから今はもう
どれもどうでも良いような気がしてきた
それじゃいけないってわかってはいるんだけど…

またいつか二人であの階段に腰を下ろして
ニコニコと肩を寄せ合いながら
花火を見物することができるのだろうか

今日の空は
太陽に照らされた雲が恐いほど美しかった
にゃ〜こに見せたかったなぁ


こうやって文章にしていなかったら
今の状況に耐えられなかっただろうなぁ

あぁ…そもそもこのブログも
にゃ〜こに見てもらうために
病休後に始めたんだった…