まだまだ仕事を投げ出したことのショックと自己嫌悪は消えない。
って言うかこれはもうずっと消えないのであろう。
この先何がどうなろうと過去の事実は事実としてあるのだから。
ただ、その心の傷に立ち向かえる力が取り戻せるかが、
これから生きていく上で大事なのである。
教員として積み上げて来たものがすべて無くなった時、
自分にはすがるものが消えてしまったのだった。
パソコンのことで本を出したり雑誌に連載してたりというのも
もう過去のことになっていたから、
英語もパソコンもカウンセリングのお手伝いも
すべては学校があってこそ、という感じになっていたからだ。
とにかく自分の気持ちを支えるものを探して最初に見つけたのが、
ずっと聞き続けて来たprogressive rockであった。
学校という職場とは無関係に、
唯一自分に自信が持てる分野だったということだろう。
一時は好きなアルバムのジャケットを縮小印刷して、
手帳に貼ってお守りのように持ち歩いていたほどに、
progressive rockという音楽にすがっていた。
何も無くなって無防備・丸腰になった自分に
音楽がかろうじて防波堤のようなものになってくれたんだけど、
その外側にさらに防波堤になってくれたのは
ダウン後一ヶ月くらいから突然書き始めたブログと
その一年後くらいから突然描き始めたCGであった。
ダウンする年の春から始めていたウクレレは
防波堤というよりは、苦しい思いを忘れる場であって、
自分に自信を持てる一要素になるのはまだまだ先のことだった。
CGにしてもその世界観は
ある意味progressive rockの延長みたいなところがあったから、
やっぱりワタシはずっと音楽に守られていたのだと思うのだ。
だから当然のようにCDを買い漁ることは止めなかった。
ところが今年始まった翻訳という仕事で、
初めて音楽から一歩外に出た気がするのである。
CGもそれなりに評価をいただくようになって、
“音楽の附随物”から独り立ちし始めたような感じがして来たけど、
翻訳はもう完全に音楽とは別の、新しい防波堤なのだ。
もちろんまだまだ力強いとは言えない。
でも今までには無かった新しいものという点では
何かこう潜在的なパワーを秘めている気がする。
実際、今年になってから音楽への依存度が急激に減ったのだ。
音楽ブログやfacebookの更新もご無沙汰気味だし
新しいバンドや音楽を求める熱も冷め気味だし、
第一CDを買わなくなったのである。
非常に質素な生活になってきているのだ。
届くのは翻訳の資料となる古本ばかりである。
“働いていない”自己嫌悪というのもちょっと減って、
“働いても生計を立てることができない”自己嫌悪という感じだ。
今に見ていろ、と思いながら頑張っている
作家や俳優や芸人のタマゴみたいである、この歳で…。
でも焦らないのだ。
取りあえず貯金を取り崩しつつ生活し、延命し
来年くらいまでは収入のことは考えないのである。
たぶん20冊くらい本を出せたら、
その先の生活が少し見えてくるんじゃ無いかと
今は思っているのである。