2014年6月23日月曜日

「風立ちぬ」をDVDで見たのだ

映画館で見た時も
何だかよく分からない涙が
ずっとじわじわ出て仕方がなかった

DVDでもう一度じっくり見た

やっぱり良かった
感動を盛り上げる構成にはなっていない
だからラストで大きなカタルシスはない
でも逆に言えば全編見どころである

とにかく絵の密度がハンパではない

動きの繊細さも質感や重量感の豊かさも
画面構成の安定感も
俯瞰を多用した圧倒的な情報量も
息をつけないほどに凄まじいものがある

特に次郎と菜穂子が絡むシーンはどれも素晴らしい

抱き合った時の顔の距離感や
身体の動き表情の変化がぐいぐいクル

一つ実感したことがある

次郎はかなり早い段階から
菜穂子が早晩死ぬことを悟っているということだ
菜穂子の父親から知らされたのかもしれないし
本人から聞かされたのかもしれない
でも次郎は知っている

「ぼくらには時間が無い」というのはそういうことだ

だから上司の黒川も妹の加代も
その言葉の前には絶句してしまうのだ
そしてその残された時間を
二人は“普通に”生きようとするのだ
もうエゴだとか可哀想とか言うレベルでは無かったのだ

だから病気がうつることもいとわずに

菜穂子はサナトリウムから次郎の元にやって来て
同じ部屋で生活するしキスもする
病気が悪化することもいとわずに
次郎は煙草を吸う
二人はそうやって一生懸命に
二人の時間を“普通に”生きたのである

そして医者になった加代が

医者として菜穂子を診に来る日に
診断を受けて病状が知れるのを避けるように
サナトリウムに帰っていくのである
そして次郎が泊まり込みで家を空け
ついにテスト飛行に成功した瞬間に
遠い山の病院で一人息を引取るのだ

いろいろな時代的要素が含まれている上に

次郎の性格が分かりづらいこともあるのだが
何か一つを取り上げて理屈で解釈したり批判したら
そこでこの作品を味わう旅は終ってしまうのだ
ちょっとした動き一つ取っても
ここだけにしかない美しさがある

いやこれはすごい作品だと

あらためて思った次第である