いきなり難しいという話である
なぜ難しいのかと言うと
この話がイントロの「憂鬱な水曜日」をのぞいて
全編手紙文になっているという点なのである
それもジュディーからの一方的な手紙だけなのだ
今日常の生活で
わざわざ手紙をしたためるということは縁遠くなった
それは手紙の文章というものに縁遠くなったことでもある
具体的に言えば今書き手も読み手も
絵文字も顔文字も使わずに微妙なニュアンスを伝えたり
それを読み取ったりすることが
とても難しくなっているという気がするのだ
文章自体もメールのような短く簡潔なものが好まれる
だから
こういう風に訳すと自己チューな感じがしてしまうのではないか
あるいは皮肉に聞こえてしまうのではないか
そういう気遣いを
翻訳しながら常にし続けることになるのである
手紙を書くという条件だけで
自分の学費と生活費を出してくれている恩人に対して
年齢的にも立場的にも節度の感じられる文でなければならない
でも一方でそれが恋愛に発展して行くような
ジュディの魅力が感じられるものでもないといけない
訳文から感じられるジュディ像が
媚びてるみたいとか偉そうだとか失礼だとかいうような
魅力の無いものになってしまったら
せっかくの名作を台無しである
そういう格闘を全編に渡ってしていくことになるのだ
いやいやこれは面白いしやりがいがあるけど
大変だぞ〜