2014年6月14日土曜日

手紙文翻訳の難しさ

「あしながおじさん」頑張ると言っておきながら
いきなり難しいという話である
  
なぜ難しいのかと言うと
この話がイントロの「憂鬱な水曜日」をのぞいて
全編手紙文になっているという点なのである
それもジュディーからの一方的な手紙だけなのだ
  
今日常の生活で
わざわざ手紙をしたためるということは縁遠くなった
それは手紙の文章というものに縁遠くなったことでもある
具体的に言えば今書き手も読み手も
絵文字も顔文字も使わずに微妙なニュアンスを伝えたり
それを読み取ったりすることが
とても難しくなっているという気がするのだ
文章自体もメールのような短く簡潔なものが好まれる
  
だから
こういう風に訳すと自己チューな感じがしてしまうのではないか
あるいは皮肉に聞こえてしまうのではないか
そういう気遣いを
翻訳しながら常にし続けることになるのである
  
手紙を書くという条件だけで
自分の学費と生活費を出してくれている恩人に対して
年齢的にも立場的にも節度の感じられる文でなければならない
でも一方でそれが恋愛に発展して行くような
ジュディの魅力が感じられるものでもないといけない
  
訳文から感じられるジュディ像が
媚びてるみたいとか偉そうだとか失礼だとかいうような
魅力の無いものになってしまったら
せっかくの名作を台無しである
  
そういう格闘を全編に渡ってしていくことになるのだ
  
いやいやこれは面白いしやりがいがあるけど
大変だぞ〜